kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

そういや「森の歌」はソ連政府の植林を称える音楽だったが...

再びid:kechackさんのコメントより。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091023/1256298993#c1256355384

森の歌に「祖国を緑化せよ」という曲がありましたね。
表向き、ソ連の自然改造計画は戦争で荒廃した領土を改造し農業生産を高めることでしたが。まあその結果アラル海は干からびたのでしょうが…

「森の歌」を聴いたのは1981年が最初で最後だったように思うので(もしかしたらもう一度くらい聴いたことがあるかもしれないが)、もはや記憶になかったが、Wikipediaで調べてみると、

第2曲 祖国を森で覆わせよう(Оденем Родину в леса)

とある。そもそも曲のタイトルが「森の歌」で、ソ連政府の植林を称える音楽だった。このタイトルからは、私は森昌子や森進一ではなく、おぞましそうな森喜朗の歌をついつい連想してしまうが、同じWikipediaによると、ジダーノフ批判の対象となり、共産主義国家の目的達成を阻害する者として冷遇されたショスタコーヴィチが名誉回復のために作曲した音楽ということになっている。

ショスタコーヴィチの音楽のダブルミーニングは有名だが、いかにも交響曲第5番(その第2楽章を北山修自切俳人の名で「オールナイトニッポン」をやっていた時に、つなぎの音楽として用いていた)の、いかにも思わせぶりで裏の意味のありそうな音楽とは違って、「森の歌」はひたすら体制に媚びるだけの音楽に聴こえたので、その後、オーディオのセットを購入したあとも、交響曲第5番のCDは買ったけれども「森の歌」は買わなかった。

前の記事を書いたあと、1981年頃ショスタコーヴィチに興味を持っていた理由として、当時ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』という本が話題になっていたことを思い出した。

ショスタコーヴィチの証言 (中公文庫)

ショスタコーヴィチの証言 (中公文庫)

上記リンクは2001年の再版だが、最初に邦訳が中公から出たのは1980年だった。分厚い本だったのと、当時から偽書説があったので、買わずに一部を立ち読みしただけだったが、ショスタコーヴィチソ連当局を批判した証言をヴォルコフが聞き書きしたものだった。考えてみると、私が「森の歌」をNHK-FMで聴いた1981年は、この本が話題になっていた頃だったはずだが、番組の解説者だったチェコスロヴァキア(当時)びいきの藁科雅美氏(故人)が放送でヴォルコフの著書に触れたかどうかはよく覚えていない。おそらく触れてなかったのではないかと思う。

NHK-FMで音楽解説をやっていた人で言うと、1983年頃に50代で亡くなった大木正興という人が東欧びいきで、東欧の演奏家ばかり紹介していた記憶がある。前記藁科氏はチェコスロヴァキアびいきだったが、大木氏は東独びいきだったような印象がある。ほかに門馬直美という人がよく解説をしていたが、この人の傾向についてはよく覚えていない。しかし、ネット検索で見つけた論文(下記URL)に興味深い指摘があった。
http://www2.komatsu-c.ac.jp/~yositani/jaspm.htm

敗戦後から1970年代前半頃まで、「革新」「進歩」派の知識人に少なくなかった左翼的な思想の持主にとっては、共産党当局に何度も公的に批判されたというショスタコーヴィチの経歴は、必ずしも好ましいものではなかったようだ。例えば、『証言』以前の第5交響曲の解説で、典型的な一つに、「プラウダ」に批判(=教育?)されたことによってはじめて、ショスタコーヴィチは第5交響曲のような「真の名作」−−この表現には、もちろん、人民大衆のための、という含意が含まれている−−を作りえた、というレトリックによって、ショスタコーヴィチの創作環境を外的に制約(あるいは抑圧)した党による文化政策が、臆面もなく正統化されていた(注19)(ちなみに、この頃<1970年代初頭頃>の筆者は、時代的な潮流もあって、新左翼的な運動にある程度のシンパシーを抱いていたが、この議論だけは、その頃からとうてい納得出来ないものであった)。

ここで「注19」として挙げられているのが、「バーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニックによる一度目のレコード(1959年録音)の日本版ライナーノーツ(CBSソニー)で、執筆者は門馬直美。」とのことだから、やはり門馬直美氏は教条主義的な左翼思想の持ち主だったようだ。なお、前記の論文では、門馬氏とは逆に、「アカ嫌い」の、「相変わらず「戦車」などの比喩的な表現によって、ショスタコーヴィチの音楽を形容しようとしている」評論家(吉松隆が例に挙げられている)も槍玉に挙がっているが、少なくとも私がNHK-FMクラシック音楽番組をよく聴いていた頃には、こうした右翼的な人たちが重用されることはなかった。NHKの解説陣は左翼が主流を占めていたというのが、私の持っている印象である。おそらく、人事権を握っていた人物の嗜好だろうと想像する。

sumita-mさん(http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091023/1256317057)からは、

ただ少し理屈を捏ねてみると、蘇聯(また東欧)はアヴァンギャルドを抑圧していたせいもあって、音楽にしてもバレエにしても、オーソドックスなクラシックが西側よりもよく保存されていたということと関係があるのでは?

というコメントをいただいているが、確かにそういうところがあって、藁科雅美氏はさほどではなかったが、大木正興氏や門馬直美氏の解説には権威主義を感じた記憶がある。そののち、オーディオのセットを買ってFMを聴くよりもCDを買うようになると、西欧やアメリカの演奏家たちの方が面白いと思うようになり、NHK-FMの解説陣の人たちが放送でよくかけていた東欧の演奏家たちのCDを買うことはほとんどなかった。

もっとも、80年代以降になると、自分の趣味を読者に押しつける宇野功芳という評論家に人気が出て、彼はスポーツライター玉木正之とも意気投合して、狭い業界で一世を風靡したのだが、私は宇野氏の評論にも辟易したものだった。

結局、朝日新聞権威主義で申し訳ないが、日本のクラシック音楽評論ではいまだに96歳の長老・吉田秀和の印象批評を超える人は出ていないのではないかという月並みな結論に達してしまう。

吉田秀和というと加藤周一の盟友だが、加藤周一と違って政治的な発言をほとんどしていないにもかかわらず、その数少ない政治的発言を右翼からも左翼からも批判されている。加藤周一は、『羊の歌』(正編・続編のどちらかは忘れた)でスターリンに対して微妙な評価を下していたと思うが、吉田秀和は1961年に出版した『現代人のための名曲300選』に、ショスタコーヴィチについて下記のように書いている。私が持っているのは、1981年に新潮文庫から『LP300選』と改題して出された版である(下記リンクはちくま文庫から出た新装版)。

名曲三〇〇選―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)

名曲三〇〇選―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)

 バルトークの発見?についで、私たちにショックを与えた戦後の出来事は、ショスタコーヴィチが、戦後最初に発表した『第九交響曲』の日本の初演と、それとほとんど同時にソ連共産党中央委員会が、この作品を非難したというニュースだった。この問題は、ここで触れるには大きすぎる。一言いっておけば、原則としてこういう形で政治家が芸術に容喙(ようかい)するのは、私は反対である。

吉田秀和 『LP300選』 (新潮文庫、1981年)より)

まっとう至極な意見だが、「この問題は、ここで触れるには大きすぎる」とか、「原則として」政治の介入に反対(ということは例外を想定しているとも解釈できる)という表現に、ソ連を批判するのに抵抗があった1961年当時の知識人層の「空気」が感じられて興味深い。これは「時代的制約」であって、これらの表現をもって吉田氏を批判することはフェアではないと思うが。

ついでに書くと、私が持っているショスタコーヴィチのCDの中でいちばん面白いと思うのが、この交響曲第9番と歌劇「カテリーナ・イズマイロヴァ組曲、「祝典序曲」、「タヒチ・トロット」の4曲を収録した、ネーメ・ヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の演奏によるアルバムである。
http://ml.naxos.jp/album/CHAN8587

交響曲第9番は前記ソ連当局の批判を受けた音楽だが、私にはむしろソ連当局の好みそうな、平明でわかりやすい音楽に思える。しかし、ソ連当局はベートーヴェンの「第9」のような壮大な合唱入りの大曲を求めていたのだそうで、その批判に答えるためにショスタコーヴィチが作曲したのが「森の歌」だった。独裁権力とはなんとも勝手なものである。歌劇「カテリーナ・イズマイロヴァ」は、もとは「ムツェンスク郡のマクベス夫人」というタイトルだったが、その赤裸々な不倫の描写がスターリンの怒りを買い、批判を受けて露骨な場面を削って改作した作品だという。しかし、音楽自体はアヴァンギャルドといっていいもので、特に、暗くて情熱的なパッサカリアが圧巻だ。形式はバッハの頃の変奏曲だが、音の使い方は先鋭的だと思う。ところが、「祝典序曲」は一転して革命何周年だかを祝う、明るく景気の良い御用音楽であり、最後の「タヒチ・トロット」は、ショスタコーヴィチの自作ではなく「二人でお茶を」の音楽をオーケストラ用にアレンジした楽しい小曲である。といった具合に、ショスタコーヴィチのさまざまな側面を持つ音楽を1枚のCDに収めたものになっているところが、とても面白い。初出は1990年だが、今も現役盤のようである。