kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

やしきたかじんとショスタコーヴィチ、それぞれの「3番目の夫人」

やしきたかじんソ連の大作曲家、ドミートリー・ショスタコーヴィチには、ものすごい共通点があることに気づいてしまった。

渦中の人・家鋪さくら氏は、やしきたかじんより32歳年下の3番目の夫人だったが、ショスタコーヴィチも3回結婚しており、3番目の夫人は健在だ。

そしてなんと、3番目の夫人、イリーナ・アントーノヴナは1938年生まれ、つまり1906年生まれのショスタコーヴィチとは32歳の年齢差があった。やしきたかじんと全く同じだった。

そしてショスタコーヴィチの死を看取ったのもイリーナだった。

https://www.facebook.com/LawyerIishikawa/posts/436801849717387(2012年10月30日)より

ご質問:作曲家ショスタコーヴィチの遺族 イリーナ夫人、息子マキシム、娘ガリーナのうち、ヴォルコフ編「ショスタコーヴィチの証言」について批判的なのは3番目の奥さんであったイリーナ夫人だけであることは、知っていますが、2000年の“Shostakovich Casebook[2004年出版]””所収のイリーナ夫人の寄稿(p126〜133)以降は見当たらないのですが、どうしてなんでしょうか
ショスタコーヴィチの親族で「証言」を本物とするものは一人もおらず、知人や友人でもほとんどいません。」とか言っているのは能天気な議論であることはわかりますが・・・・・・・

答えこのマクシムと同い年の3番目の夫人が何でそんなことを言っているのか私にはよくわかりませんが、この方、言っていることがマクシム、姉ガリーナが「証言」を否定から肯定ないし支持を明らかにしているのに逆なのですね。 なに言っているのかよくわからん発言が2000年まで続いています
(後略)


イリーナ夫人の年齢は、ネット検索をかけてもなかなかわからなかったのだが、ショスタコーヴィチの息子マクシム(マキシム)と同年齢だという記述を複数のサイトで見つけた。マクシムの生年は1938年なので、期待通り(笑)ショスタコーヴィチとイリーナとの年齢差が32歳であることがわかった。

しかもこのイリーナ、『ショスタコーヴィチの証言』に対するスタンスが、他の遺族と異なるらしい。

公正を期すため、2012年のイリーナ夫人のインタビュー記事も挙げておく。

http://jp.rbth.com/articles/2012/09/25/39229.html(2012年9月25日)より

イリーナ夫人のインタビュー

―ご主人と知り合われた経緯は?

 私がショスタコーヴィチと結婚したのは1962年のことです。当時、私は、教育大学を卒業して、音楽雑誌の編集部に勤めていました。そこで彼と知り合ったのです。私も、彼と同じくレニングラード出身です。レニングラード封鎖は、子供の頃でしたが、よく覚えています。

―ヴォルコフ編「ショスタコーヴィチの証言」について、いまだに真贋論争が続いていますが。

 ヴォルコフの本は、本当の部分もありますが、他の人間のインタビュー、他の本の引用、借用が大半です。彼は、三回、二時間ずつショスタコーヴィチからインタビューをとっただけです。しかも、そのインタビューは、本来はソ連の音楽雑誌のためのものでした。彼は、その原稿を持ってアメリカに亡命し、他の要素を加えて、「ショスタコーヴィチの証言」として出版したのです。この本は、いまだにロシアで出版されていませんが、それは、でっちあげが露見し、批判されるのを恐れているためです(今では、ロシアでもかんたんにオンラインで読める―佐藤)。

ソ連で対抗して出版された「ショスタコーヴィチ回想録」についてはいかがですか?

 1980年にソ連当局は、ヴォルコフの本に対抗して、「ショスタコーヴィチ回想録」を出しましたが、これも、とうてい内容が信用できず、読んでもいません。この二つの本の事件は、結局、東西の政治的プロパガンダ合戦にすぎなかったのです。

―「証言」では、ショスタコーヴィチは、指揮者ムラヴィンスキーをまったく評価していなかったことになっていますが。

 たしかに、「証言」では、夫は、ムラヴィンスキーを、「自分の音楽をまるで理解していない」として、強く批判しています。だが、そんなことがあるはずがありません。もしそうなら、あれほど多くの作品の初演をムラヴィンスキーに委ねるはずがない。

―「証言」は、従来の「レニングラード神話」をも大きく揺るがしました。同書によると、ショスタコーヴィチは生前ヴォルコフに、交響曲第7番「レニングラード」は、ヒトラーよりもむしろスターリンによるレニングラードと国の破壊を描いたもので、ソ連全体主義批判に眼目がある、と告白していました。また、「第7」は、独ソ戦ではなく、旧約聖書ダビデ詩篇」を読んで着想したものだというのですが。

 交響曲第7番の第1楽章のボレロ風のテーマは、もちろんドイツ軍の侵略、破壊とロシア人の葬送を表しています。夫自身、これは「葬送」だと、作曲直後に述べています。その印象から離れる必要はありません。いろいろほじくり返しているうちに、本質からずれてしまいます。交響曲第10番のスターリン批判説も同様です。まあ、政治的に利用したい人はするがよろしい。だれにも禁ずる権利はないのですから。「ダビデ詩篇」を読んで着想したなどという話は聞いたことがありません。
(後略)


まあスターリンヒトラーの両方に批判的だったというのが真相ではないか、それが普通なんじゃないかと思う。スターリンを含むソ連当局との関係についていえば、表現の自由を当局に容喙されて、それを何とも思わない人間の芸術が後世に残るとは私には思われない。