kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

今さらながら、雨宮処凛『生き地獄天国』を読んだよ

一昨年買い込んだまま読んでいなかった雨宮処凛のデビュー作『生き地獄天国』を読んだ。


生き地獄天国―雨宮処凛自伝 (ちくま文庫)

生き地獄天国―雨宮処凛自伝 (ちくま文庫)


2000年に出た本だが、私が雨宮処凛の名前を知ったのはこの本が文庫化される少し前の2007年だった。当時流行語になり始めていた「プレカリアート」に関連して知ったように思う。

で、この本だが、面白かった。25歳にして何とも波瀾万丈の人生である。しかし、これは必ずしも「共感した」ことを意味しない。

本書の内容について、雨宮処凛自身によるレビュー*1から引用しながら紹介する。

 小学校時代のいじめから始まるこの自伝は、80年代後半から90年代前半のバンドブームを皮切りに、ゆっくりと時代とシンクロしていく。そうして95年、そのシンクロは第一次のピークを迎える。阪神大震災オウム事件と戦後50年。当時のサブカル・アングラ雑誌にはいつも世紀末の匂いがして、世の中は就職氷河期とか不況とか言われていて、私はフリーターでここからどうやって抜け出していいのか出口がなくて自分を定義する言葉が「時給900円の使い捨て労働力」だけで、だけどまだこの国は「豊か」なんて言われていて、それでも自分の気持ちを表すには「閉塞」なんて言葉が一番しっくり来て、鶴見済の「完全自殺マニュアル」と「ゴーマニズム宣言」が愛読書で、「終わりなき日常」なんて言葉に窒息しかけてて。

(マガジン9条〜「雨宮処凛がゆく!」第36回「25歳で書いた自伝」より)

オウム真理教の信者にも共感していた雨宮処凛の90年代半ばの愛読書は『ゴーマニズム宣言』だった。

その後雨宮は右翼団体に入って、右翼活動にのめり込んでいくが、のちには北朝鮮を訪問し、よど号ハイジャック犯たちの家族と会い、北朝鮮人民の民族主義に感激して帰国する。

そんな雨宮を見て、雨宮が主役の映画『新しい神々』(1999年)を撮った反天皇派の映画監督・土屋豊は呆れるが、雨宮は土屋に反発する。

「でも、そんなのイヤでしょ? 個人の自立っていうか、個人の自由が大切でしょ?」
 土屋さんはいつも、個人のことばかり主張する。土屋さんの言いたいことは、いつもわかりすぎるほどわかる。でも、私がほしいのは、自由なんかじゃないことは明らかだ。だって、本当の自由ほど、私にとって恐ろしいものはない。(中略)私がほしいのは、自由よりも心地よい束縛だ。(中略)
 そんな私は、いたってマトモだと思う。だって日本人の大部分が、そういう感性の持ち主だから。日本の資本の煽り方と、北朝鮮の国家目標、いったいどこが違うんだろう? もし違うなら違うところを、私にわかるように説明してほしい。オウムだって北朝鮮だって、そしてその対極にあるかに見える”社会”だって、結局は心地よい思考停止状態以外の何物でもない。
 私は、みんなが縛られているこの基準が、「この夏頼れるのはこのファッション!」とかじゃなくて、高尚な国家目標である北朝鮮が羨ましい。それが素直な気持ちだ。

雨宮処凛『生き地獄天国―雨宮処凛自伝』(ちくま文庫、2007年) 276-277頁)

こんな雨宮に呆れた土屋豊監督の方に私が共感したのは当然だ。

しかし、雨宮は北朝鮮のみならず、映画完成後の1999年にはイラクに行き、サダム・フセインの長男ウダイとも会見する。この行動力には舌を巻くほかない。ウダイは周知のように本書出版後の2003年のイラク戦争で殺され、弟クサイともども遺体の写真が全世界に配信されて日本のマスコミにも掲載されたが、雨宮はイラク戦争前にも「人間の盾」になるべくバクダッド行きしている(イラク戦争開戦前に帰国)。いわゆる「自己責任厨」の槍玉に挙がる行動だろうが、雨宮が自己責任で行動していることは言うまでもない。

そんな雨宮は、1999年の天皇在位10周年を祝う国民祝典の際に皇居に出向いた時、皇居に集まった人々の「思考停止状態」や「無責任」を見て取り、「天皇陛下バイバイ」と告げる。そして、「別に本当の自由なんて、怖くない気がする」と書く。

本書のエピローグで雨宮は、自分はずっと少しでもマシな状態を求めて依存を繰り返していたが、今生まれて初めて「本当の自由」の中に放り出されている、しかしそれはそんなに恐れるものではなかった、なんとか一人で立てるようになったと書いている。文庫版でのあとがきでは、現在(2007年)では北朝鮮に対しても距離を置いていることを明かしている。

つまり、破天荒なこの本にも、きっちりオチがついているのだ。雨宮が、90年代半ばに愛読して「依存」の対象としていた小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』など、とっくの昔に卒業していることはいうまでもない。

ところで、その小林よしのりに今さらながらのようにすり寄っているのが城内実である。
☆お知らせ☆ SAPIO最新号に台湾論掲載!! « 城内 実(きうちみのる) オフィシャルサイト

『ゴー宣』を10年以上前に卒業した雨宮処凛と、いまや読者がめっきり減ったと思われる小林よしのりに今さらながらに接近する城内実

超左翼だか何だか知らないが、一部には雨宮処凛城内実も、と持ち上げる「左」側の人たちもいるようだ。しかし、それはおかしいと私は思う。雨宮処凛に対しても、批判的視座も持ちつつその言論に接する必要があるし、下記ブログ記事をいまだに撤回も何もしていない城内実に至っては、論外というほかないだろう。
◎ 政 治 ◎ 「国籍法」の改悪に反対する! « 城内 実(きうちみのる) オフィシャルサイト


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