kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

34年前、中曽根康弘は田中角栄以上に怪しいといわれていた

http://www.asahi.com/politics/update/0211/TKY201002110364.html

ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書
2010年2月12日3時30分

 ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている。

 この文書は76年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写し。米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管され、2008年8月に秘密指定が解除された。

 ロッキード事件は76年2月4日に米議会で暴露されたが、ロ社の裏金が渡った日本政府高官の名前は伏せられた。(以下略)

asahi.comより)

この記事を読んだ第一印象は「やっぱりな」だ。

だって、34年前に私は中学生だったが、その頃世間では、「中曽根は角栄以上に怪しいけど、三木にくっついているから逮捕されないだろう」と噂されていたからだ。

私は当時から中曽根が大嫌いだったので、「中曽根こそ逮捕されればいいのに」と思っていた。中曽根派の大物だった佐藤孝行が逮捕された時にも、子分がやってて親分がシロのはずないなと思ったのだった。

そして、案の定中曽根は逮捕されなかった。もしかしたらアメリカへのもみ消し工作が奏功したのではないかと今回の記事を読んで思ったほどだ。

私の中曽根嫌いはその後も続き、中曽根が総理大臣になった時にもこれを許せないと思ったし、中曽根内閣時代の1983年の参院選で、朝日新聞が「田中曽根審判選挙」という見出しをつけた時にも、朝日は何をバカな見出しをつけてるんだ、中曽根は田中とつるんでいるから悪いんじゃない、中曽根自身が一番悪いんだと思ったものだ。そして、1985年に田中が倒れて中曽根が好き勝手やり始めた時には、言わんこっちゃないと苦虫を噛み潰したのだった。私はもちろん当時からレーガンサッチャーも大嫌いだったが、彼らは外国の政治家だから、なんといっても一番嫌いだったのは中曽根康弘だ。

ロッキード事件の捜査がアメリカの陰謀だったなどという馬鹿げた議論は、当時は渡部昇一(現在では稲田朋美パトロン)のような極右の専売特許だった。馬鹿を言っちゃいけない。田中角栄三木武夫の政敵だったから逮捕されたのであり、中曽根康弘三木武夫に取り入っていたから逮捕されなかったのだ。児玉誉士夫が口を割らず、「児玉ルート」の捜査が進展しなかったという要因もあるだろうが、先日来、宗像紀夫は容疑者が口を割らなかった事件だって検察は立件してきたと指摘している。なんといっても中曽根「風見鶏」の計算高さの勝利だったのではないか。