昨今は、孫崎享のトンデモ本『戦後史の正体』によって、歴代の総理大臣を「自主派」と「対米追随派」に分類し、前者に高い評価を与えて後者をこき下ろすという粗雑なステレオタイプ的歴史観が蔓延している。孫崎本の歴史観は噴飯ものの一語に尽きる。何度も書くけれども、そんな孫崎のバカ本にかぶれる読者の見識を疑う。
そんな人たちに読んでもらいたいのがこの本。

- 作者: 有馬哲夫
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2012/08/01
- メディア: 単行本
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著者の有馬哲夫は、孫崎享と同様「保守」の人だと思うが*1、孫崎のステレオタイプ的な歴史観とは大違いで、資料に当たって歴史的事実を浮き彫りにしていく研究者である。
たとえば、孫崎享が称揚する岸信介が、「日本が戦術核を保有(さらには使用)することは違憲でない」と述べたことは、岸信介の孫にして明日自民党総裁に返り咲くであろう安倍晋三が2002年5月13日に早稲田大学における講演会で述べたことによって最近でもよく知られているが、岸は現実にアメリカとの外交において、この「核カード」でアメリカと交渉した。この本のタイトルが示しているように、原発を持つことは核兵器を作る能力を持つことを意味する。
著者は、「日本はアメリカの陰謀で原子力発電を導入し、そのアメリカ製の原子炉に欠陥があったために、爆発事故と放射能漏れが起きた」という「陰謀論」を厳しく批判する。現実にはアメリカは日本に核兵器製造能力を持たせまいとしたから、正力松太郎はそれに対抗する意味でイギリスの原子炉を導入したのである。正力松太郎と岸信介がともに夢見たのは日本の核武装だった。その意味で、岸信介は確かにアメリカの言いなりになるのをよしとしない「自主派」の保守(というより右翼)政治家だった。なにしろ、単なる軍備増強にとどまらず、核武装まで視野に入れていたのだから。
さらに著者は「田中角栄は独自のエネルギー政策(ウラン供給源の多様化)を進めようとしてとしてアメリカの虎の尾を踏み、CIAに失脚させられた」という俗説にも厳しい批判を加える。事実は、田中のエネルギー政策はアメリカの「言いなり」だった。著者は田中のエネルギー政策は田中の創作ではなく、官僚が時間をかけて研究して用意したものを実行したに過ぎないと指摘する*2。
そもそもニクソン政権の国務長官だったキッシンジャーは、孫崎享が「自主派」に分類した、日本の立場を強く主張するタイプの福田赳夫*3よりもアメリカの言うことをよく聞く田中角栄を好み、「ポスト佐藤」の自民党総裁選(1972年)では田中の勝利を望んだとのことだ。
ロッキード事件にしても、1972年当時懸案だった日米貿易不均衡是正において、日本がアメリカの航空機を買わされたことに端を発しているが、この時の交渉で首相・田中角栄と通産相・中曽根康弘がアメリカから購入する品目として最重視したのは濃縮ウランであり、次いで自衛隊の武器の購入だった。航空機の優先順位はそれらよりも下だった。
この日米貿易不均衡是正のための日米協議で、田中と中曽根はアメリカに言われるまま、濃縮ウラン、エアバス、武器と輸入品目と金額を次々と積み増していったというが*4、著者はそれを田中内閣の懸案だった日中国交回復を成し遂げるための障害とならないよう、アメリカをなだめる必要があったためではないかと推測しているようだ。
著者は、この日米協議でアメリカから購入させられた品目のうち、田中がもっとも乗り気でなかった航空機の購入をめぐって田中が収賄事件を起こしてしまったとする。よくある「田中角栄は『自主派』だったためにアメリカの怒りを買ってロッキード事件で陥れられた」という「陰謀論」には根拠など全くなく、事実は田中がアメリカの言いなりになった航空機の購入で田中は汚職事件で自滅したのだった。著者は、必死にアメリカの機嫌をとろうとしていたものわかりのよい彼ら(田中角栄と中曽根康弘)をアメリカ側が失脚させようと思うだろうか、と痛烈な皮肉を放っている*5。孫崎享は田中角栄を「対米追随派」に分類し直すべきではなかろうか(笑)
なお、1970年代の日本で「ロッキード事件はアメリカの陰謀」などというトンデモ言説を開陳したのは、近年稲田朋美の応援団長を買って出、今行われている自民党総裁選では安倍晋三を応援している極右の渡部昇一くらいのものだった。そんなトンデモ陰謀論を、今では少なからぬ「リベラル・左派」が信奉している。嘆かわしい限りだ。
重ねて書くが、このような悪しき風潮を助長する、現在では「小沢信者」に成り果てた老元外交官・孫崎享に「洗脳」されてしまった人には、是非この本の一読をおすすめする。
最後に書いておくと、正力松太郎と並んで日本に原発を導入した張本人である中曽根康弘を通産相に任命したのは田中角栄である。あの「電源三法」は、田中曽根(第2次田中内閣)時代の1974年に制定された世紀の悪法であることはいうまでもない。そうそう、すっかりごぶさたになったスローガンを復唱しておこう。