kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

やはり「非拘束名簿式」比例代表制は欠陥制度だった

3年前、「AbEnd」界隈では天木直人が大人気で、「非拘束名簿式」の比例代表制を利用して、比例区では政党名(9条ネット)ではなく「天木直人」の候補者名を書こう、という運動が盛り上がっていた。「選挙区では好きな政党を、比例区では『天木直人』を」などという素っ頓狂な訴えをした「野党共闘」論者まで出てくる始末だった。

この熱狂に冷水を浴びせたのが私で、2007年6月25日に、「きまぐれな日々 非拘束名簿式比例代表制への疑問」を書いた。以下引用する。

周知のように、参議院選挙の比例区は、「非拘束名簿式比例代表制」である。

だが、どのような経緯でこの「非拘束名簿式」が導入されたかを覚えておられる方は、意外と少ないようだ。

1980年までは、候補者を選ぶ「全国区」だったが、1983年に「拘束名簿式比例代表制」に改められ、それが1998年まで続いた。

しかし、1998年の参院選で大敗した自民党は、2000年当時の森内閣のあまりの不人気に頭を抱えていた。同党は、このままでは2001年の参院選与野党議席が逆転してしまうと危機感を募らせ、2000年秋に自民・公明・保守の与党三党の賛成多数で「非拘束名簿式」に改めてしまったのである。

当然、野党はこれに反発した。たとえば、社民党は2000年10月13日付で、下記のような党声明を出している。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~sdpkitaq/hikousoku.htm

(前略)

 参議院選挙制度については、本年2月25日の各派代表者会議において「当面現行制度を維持する」ことで各党が合意していた。しかし、久世公尭・前金融再生委員長の大型ヤミ献金問題をきっかけに、与党は制度問題に疑惑をすり替え、一方的に非拘束名簿式の導入を打ち出した。しかも、非拘束名簿式自体が民意に適うものであるどころか、票の横流しによって有権者の民意を踏みにじる制度である。

 非拘束名簿式の導入は、「残酷区」・「銭酷区」といわれた旧全国区を再現するだけでなく、政党と国民との絆・結びつきを深めるという比例代表制導入で期待された理念をも否定することになる。政党自らの存在価値自体を問われかねないものにする制度改悪であり、まさに時計の針をはるか昔に戻してしまうことにほかならない。(後略)


私は、この社民党の意見は正論であり、比例区は「拘束名簿式比例代表制」に戻すべきだと考えている。

2000年当時、自民党は女子マラソン指導者の小出義雄氏に声をかけるなど、さっそく「非拘束名簿式」を悪用しようとした。なぜ、シドニー五輪で優勝した高橋尚子選手に声をかけなかったかというと、高橋選手は当時被選挙権を持つ年齢に達していなかったためだろう。

結局、自民党はコイズミの異常人気によって、01年の参院選では、選挙制度のいかんにかかわらない圧勝を収めたのだが、それでも大仁田の当選など、今思い出しても苦々しい気分になる。

もちろん、制度が導入された以上は、野党も有名人で票を集めようとした。民主党大橋巨泉社民党は田島陽子を候補に立て、それぞれ当選した上、他の候補に票を横流しした。しかし、両氏とも任期途中で議員辞職してしまい、制度の弊害を浮き彫りにする結果になった。自民党の大仁田も、さすがに二期目に立候補する厚かましさは持ち合わせていなかったのである。

基本的に、選挙区は候補者個人に、比例区は政党に投票するというのが選挙制度の理念に沿った投票行動だろう。6月21日付の当ブログ記事「『AbEnd』のための参院選投票パターン」では、比例区民主党に投票する場合は、ネオコン候補を排除するために候補者名での投票を推奨したが、これはあくまで例外であり、基本的には比例区は政党本位で投票することを推奨したい。民主党議員の篩い分けは、今後政界再編成とともに進んでいくと思う。

参議院選挙のあといずれ行われる衆議院総選挙で自公政権が倒れたあかつきには、参議院比例区は「拘束名簿式比例代表制」に戻してほしいものである。


当時、このエントリは『雑談日記』のSOBA氏に罵倒されたものだが、今思い返せばこの頃から私は「『AbEnd』主流」とは違った路線を取り始めていたようである。この年秋の「大連立」政局でも、私は小沢一郎が大連立を企てたことを批判する論調をとった。

現在、民主党は、「拘束名簿式比例代表制」に戻すどころか、谷亮子原田大二郎を擁立し、高橋尚子にも出馬を要請し(これは自民党も同様の要請を行っていたと思われるが)、比例区の定数を削減しようとしている。

現状を見るにつけ、3年前の私の主張は正しかったと改めて思う次第である。間違っていたのは「AnEnd」に巣食っていた烏合の衆たちの方だった。