kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

税金は「応能負担」が原則なのだ

昨年だったと思うが、『きまぐれな日々』のコメント欄で消費税をめぐって議論になったことがある。私は自分のブログのコメント欄における議論には参加しないのだが、この時には自ら参加し、反対者をやり込めた。

反対者は、消費税は金持ちの方が貧乏人より多く消費するから、金持ちが多く負担する税制だ、公平ではないなどと言っていたのだ。要するに、彼(彼女かもしれないが)にとっては、人頭税こそ理想の税制というわけだ。竹中平蔵と同じである。

だから私は彼を「人頭税支持者」呼ばわりしてさんざん馬鹿にしたのだが、世の中には同様の人間が多いらしい。

また聞きだが、ある人のSNSの日記に、税金を「共産主義」と決めつけるコメントが押し寄せた例もあるらしい。

ネット検索をかけてみたら、「たばこ千円増税共産主義者の罠」とか、「累進課税制度&福祉は社会主義の一種ですか?」などという記事が次々と出てくる。馬鹿じゃないか。共産主義国家には財政は存在しない。

こんな世の中だから、有権者に媚びようとするポピュリストの為政者は、「応能負担」という租税の原則を口にしない。もともとの主義主張からいえば直接税による税収増を図るべき与党の政治家が、マスコミと財界と官僚に媚び、直接税よりは国民の批判も少なかろうと思ったのかどうか、安易に消費税増税を口にし、それが自らの信念から出た政策でないために言うことが二転三転し、有権者の支持を失ってしまう。あげくの果てに謝罪する醜態だ。

少し前に沖縄の米軍基地問題を巡って言葉が二転三転させ、支持率を暴落させた政治家がいたが、瓜二つだ。いや、前政権政党の総理大臣たちも、発足当初だけ支持率が高かったが、軒並み支持率を下げた。やはり信念を持たない政治家たちだった。

そして、強くはあるが誤った信念を持ち、日本をどん底に突き落とした元宰相の人気は一向に衰えないのである。

その宰相が君臨していた頃、「痛みに耐えて頑張れ」とか、「自己責任」とか、「頑張った人が報われる社会」とか、そんな言葉ばかりがはやっていた。

資産課税、相続税の強化、所得税の分離課税の総合課税化や累進性の再強化。これらに対しては、「頑張った人間を敵視する政策だ」、「お金持ちが外国に逃げていく」、「金持ちに対する妬み、ひがみだ」などと批判が浴びせられる。だが、そういう批判をする人間の多くは貧乏人なのだ。「肉屋に熱狂する豚」そのものである。そんなに自殺や餓死がしたいのかと思ってしまう。彼らは企業に対しても甘いが、法人税を減税してもらわなければやっていけない企業や、最低賃金を1000円に引き上げたら経営が成り立たない企業は、市場から退出すべきなのである。それが市場社会ではないのか。

そもそも、税金は、「応能負担」が原則である。税の基本は直接税なのだ。高福祉高負担の社会では、直接税だけでは不足だから、穴埋めのために間接税もそれなりにかけるが、それはあくまで直接税の高負担あっての話であり、基本はあくまでも直接税だ。読売ワールドにおいては「国民が広く薄く負担する」ことが「税の原点」ということになるらしいが、そんな誤謬が通用するのは東京ドームの中だけで十分である。