kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

横浜ベイスターズ身売り問題における最大の疑問。球団名をどうするんだ

横浜ベイスターズ身売り問題だが、私の推測するところ、2004年のプロ野球再編騒動で大逆風を受けて、プロ野球人気の急落を招いたことに懲りたナベツネが、もうだいぶ前からフィクサーとして動いて話が決まっており、住生活Gへの身売りはほぼ確定、本拠地は横浜と新潟(時々は長野でも)を最初は6:4くらいの比率で使い、かつてオリックスが神戸から大阪に何年かがかりで重心を移したように、徐々に信越地方での試合を増やしていくとかそんなストーリーではなかろうかと思う。

だが、あまり誰も言わないのだが大きな疑問がある。球団名をどうするのかということだ。

マルハ(旧大洋漁業)は、90年代に意欲的な球団経営を行った。その中でも、球団名から親会社の名前を消し、「横浜ベイスターズ」にしたことは、チームを38年ぶりに優勝させたことと並んで私がもっとも高く評価する功績だ*1

つまり、球団名改称をマルハが決めた1992年*2において、マルハはベイスターズ横浜市民に根付いた球団にしようとしたのだった。

その目論見は当たったかに見えた。横浜ベイスターズが意欲的な球団経営を見せていた時期、私は横浜に住んでいてしばしば横浜スタジアムに試合を見に行ったものだ。普段は年1回行くか行かないかだったが、ベイスターズが優勝した1998年には4度見に行った。そして、その年9月の阪神戦で、当日券が売り切れて入場できないという、それまで一度も経験したことのなかった目に遭った。それでも、優勝目前の試合を生で見たかったので、翌日早めに球場に行って観戦したが、普段阪神ファンの方が多いスタンドが、レフト側、三塁側に至るまで横浜ファンの姿が目立った。近くのファーストフード店で弁当を買った時、ベイスターズの帽子を被っていたためか*3、「頑張れよー」と声をかけられたものだ。試合をやるのは選手だが、頑張ってベイスターズを応援しろよという意味だったのだろう。試合はベイスターズの圧勝で、私は三塁側内野席で見ていたが、横浜が得点を重ねていくにつれ、周りの阪神ファンに遠慮してか正体を隠していた横浜ファンが拍手を始めるようになり、最後には周り中が横浜ファンだらけだったことが明らかになった。

私は当時から、神宮や横浜で行われる巨人戦や阪神戦で、相手チームのファンの方がホームチームのファンより多いようではセントラルリーグの未来はないと考えていたので、前年ヤクルトが神宮で優勝を決めた阪神戦ともども、横浜スタジアムで、巨人戦や阪神戦であろうともホームチームの応援が相手チームを圧倒するようになって、やっとまともな時代になったと思ったものだ。

しかし、それは長くは続かなかった。どんなに球団経営に力を入れても、それに見合ったリターンが得られなかったためだろうか、マルハは球団経営から手を引き、なんとTBSが親会社になってしまったのだった。この頃、巨人は2000年に巨大戦力で優勝し、「ON対決」の日本シリーズも制して、ナベツネプロ野球界における覇権はピークに達した。

余談だが、2000年に巨人が優勝を決めた日は、シドニー五輪女子マラソン高橋尚子が優勝したのと同じ日であり、翌日の一般紙*4は高橋を大きく、巨人を相対的に小さく扱ったが*5ナベツネの顔色ばかりうかがう東京のスポーツ紙は、軒並み巨人優勝を一面にしたらしい*6

実はこの2000年のシーズン開幕前、セントラルリーグ優勝争いの本命との呼び声が高かったのは、横浜ベイスターズだった。前年度の優勝は中日だったが、地力では横浜の方が上だとされていた。しかし、横浜は開幕から巨人に7連敗を喫し、同じく巨人にカモにされた中日ともども巨人を大きくアシストした。すると、2年前の優勝に熱狂した横浜市民はベイスターズ離れを起こしてしまい、横浜スタジアムは元通り横浜ファンより巨人や阪神のファンの方が目立つ球場に戻ってしまったのである。

これには、巨人ばかり応援した当時のマスコミの悪影響もあったが、横浜市民がベイスターズに冷淡だったことも響いたと私は考えている。しかし、マルハの球団経営自体は間違っていなかったと思う。問題はプロ野球機構、特にセントラルリーグの構造そのものにあった。マルハとは対照的に球団経営に消極的だったTBSの時代になって、横浜は大きく弱体化したが、そりゃTBSじゃ無理に決まっている。

話が脱線したが、マルハの球団改革の目玉だった、都市名を略称にした「横浜ベイスターズ」の球団名を、新しい親会社はどうするつもりなのか。そこを私は問いたいわけだ。

ナベツネの考えは決まっている。かつてJリーグヴェルディ川崎を、読売新聞は「読売ヴェルディ川崎」と表記して顰蹙を買った。住生活Gのチームにも企業名が入るに違いないと思ってたら、案の定それを裏付ける記事が毎日新聞のサイトに載っていた。


http://mainichi.jp/enta/sports/news/20101003k0000e050007000c.html

 また、球団名には「横浜」と「ベイスターズ」は残すものの、住生活グループ内の企業名が入る可能性が高いという。

 若林オーナーは「『東京ヤクルトスワローズ』などのように『横浜○○ベイスターズ』とする案がある」と話した。チーム名に入れる企業名には、住生活グループが今年4月に設立した新ブランド「LIXIL(リクシル)」などが浮上している。


「横浜リクシルベイスターズ」、略称「リクシル」なんて絶対に止めてほしい。リクシル対ヤクルトというカード名を見るだけで、プロ野球人気がさらに衰退することは明白だ。昔からプロ野球には企業名を押し出す傾向が強く、「広島カープ」もある時期から「広島東洋カープ」になった。私は、「福岡ダイエーホークス」ができた時に、略称を「福岡」にすべきだと思っていたが、「ダイエー」になってしまった。RKB毎日かKBCか忘れたが、地元のラジオ中継でアナウンサーが、親会社に抗するかのように「福岡」という略称を勝手に使って中継でしゃべっていたことを思い出す。その3年後、「大洋」が「横浜」に変わったが、その後追随するチームは一つも現れない。「大阪近鉄」の略称は「近鉄」だったし、オリックスとの合併で「大阪」を名乗るチームは消えてしまった*7。「東京ヤクルト」、「北海道日本ハム」、「東北楽天」の略称も、「ヤクルト」、「日本ハム」、「楽天」である。

笑えるのは巨人であり、巨人の正式名称が「東京読売巨人軍」だと思っている人が多いだろうと思うが、それは誤りであって、巨人の正式名称は「読売巨人軍」である。かつては「東京読売巨人軍」だったのだが、2002年7月に、「読売巨人軍」に改称した。それと同時に巨人がロードゲームで使うユニフォームの球団名ロゴが「TOKYO」から「YOMIURI」に変わったことを覚えておられる方はどのくらいおられるだろうか。あのダサいユニフォームは、よほど不評だったと見え、その後巨人は、ホーム用でもロード用でも「GIANTS」のロゴが入ったユニフォームを使うようになった。私は、せっかく球団名から「東京」を外したんだから読売はどっか地方に移転した方が良いと思う。キャンプ地の宮崎あたりはどうだろうか。

また巨人の悪口に話がそれてしまったが、要するに何かというと反動的な方向に動こうとするのがプロ野球機構であって、単にベイスターズのみならず、早晩プロ野球全体が再び大きな危機に見舞われることは確実だと思う。さしあたっては、ダブルフランチャイズなんて言わずに、ベイスターズは新潟に移転して、「新潟○○○○ズ」を名乗るべきだろう。それなら、プロ野球界の活性化に多少は役に立つかもしれない。横浜のファンには、これまでベイスターズに冷淡だったのだから仕方ないと諦めてもらうほかはない。「いつまでも あると思うな プロ野球」と言いたい。

*1:但し、「ベイスターズ」という愛称はセンスがイマイチだったと思うけれども。

*2:この年は、ナベツネが巨人のオーナーに就任した年であり、マルハによる前向きの改革と読売による反動のせめぎ合いが始まった年でもあった。

*3:私は鵺のような人間であり、中四国に住めばカープを、横浜に住めばベイスターズを、東京に住めばスワローズを応援するが、巨人だけは絶対に応援しない。

*4:読売新聞を除く。

*5:特に中日新聞はその傾向が極端だったらしい。

*6:東京中日スポーツを除く。

*7:阪神タイガースは球団創設時に「大阪タイガース」を名乗っていたが、なぜか略称は「阪神」で、ある時期から正式名称も「阪神タイガース」に変えてしまった。もっとも本拠地の甲子園は阪神間兵庫県)の西宮市にあることから、「阪神」の略称を正当化する議論を、大昔から阪神ファンが展開している。だが阪神間は大阪のベッドタウンであり、「大阪タイガース」の本拠地が西宮にあっても何の問題もないし、「阪神」はやはり企業名であると私は考えている。「中日」が「中部日本」の略だという一部中日ファンの主張も詭弁であり、「中日」もどう考えても企業名だ。