kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

なぜかいつもは不人気なプロ野球の記事が少しだけ注目された(笑)

 まさか主に政治に関する記事を公開する弊ブログではもっとも人気のない記事の範疇に属するプロ野球についての記事(下記リンク)に2桁のはてなブックマークがつくとは思わなかった。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 プロ野球人気自体は全盛期とは比較にならないほど衰えたとはいえ、さすがにプロ野球ファンの45%が応援しているともいわれる、日本プロ野球では今や文句なしに一番の人気チームが18年ぶりに優勝しただけのことはあると思った。

 私は子ども時代の1967年から77年まで*1タイガースの地元で育った人間だが(生まれは大阪)、阪神ファンにはならなかった。

 昔、こんな笑い話があった。

 曰く、大阪(関西)のプロ野球ファンは3種類しかいない。阪神が好きな人、巨人*2が好きな人、そして巨人が嫌いな人だ。

 私はこの最後の「巨人が嫌いな人」に属した。決定的だったのは1978年の「江川事件」であって、あれで読売は絶対に許せない球団になった。しかしあの時読売に協力した球団が阪神だったので、阪神のイメージも下がった。たまたまその直前の1978年のシーズンでヤクルトスワローズの「にわかファン」になっていた。もっともそのあとの数年間でヤクルトが読売に負けまくったために一時は激しくヤクルトを嫌っていた時期もあったが、オールスター前に早々と読売戦負け越しが決まった1984年の球宴明け3カード目で、その直前に前半戦で苦手としていた中日と阪神にそれぞれ敵地で勝ち越した読売を神宮で3タテした時に土橋正幸監督が発した心から嬉しそうなコメントに心打たれ、それから徐々ににわかでないスワローズファンになっていった。その後1990年から98年までの野村克也監督時代には野村采配に大いに心酔した。但し極右人士だった野村の思想信条は私とは全く相容れない。

 その一方で「郷に入れば剛に従う」ことにもしているので、横浜に長く住んだときは横浜ベイスターズも、中国・四国に住んだ時にはカープも応援していた。特に四国在住時代後半には私が嫌う元読売の高田繁がヤクルトの監督になって読売にボロ負けしたので、高田が監督をやっている時期にはスワローズの応援を一時休止してカープを応援していた。中国地方に引っ越して最初の年だった2000年に、広島から読売に移籍して広島市民球場でのカープ戦でホームランを打ちまくった江藤智をはじめとする「巨大戦力」の猛打によって読売が広島を3タテした3連戦をテレビで見て「まるで大虐殺みたいだな」とぞっとした印象が強く、それが一時期カープに肩入れした原因になった。

 2010年に東京に引っ越すと、折良くこの年途中で高田繁が休養して監督代行に小川淳司が就任するやスワローズが快進撃を開始したので、スワローズファンに復帰して現在に至る。その2年目の2011年に中日球団の愚かな経営陣が落合博満監督の解任を内定し、それが逆にドラゴンズの選手たちに「優勝のチャンスは今年が最後かもしれない」と思わせて奮起させたためにスワローズがとばっちりを食って中日に逆転優勝をさらわれたが、それを境にアンチ中日になった*3。特に中日球団の経営陣は最悪の無能組織として大いに嫌っている。2年連続最下位の可能性が高い(但し今年はスワローズが最下位に落ちるかもしれない)立浪和義を留任させたことは、いかにもこの球団の経営陣らしい愚策にほかならないと思うが、読売の人気・実力の凋落と合わせて、新聞業界全体の凋落と関係する事象ではないかと思っている。

 以上の経緯で、私はスワローズファンにして大の読売嫌いだが、カープベイスターズにはそれなりに好意的である一方、タイガースとドラゴンズに対しては必ずしも好意的ではない。ただタイガースに対しては育った地のチームなのでアンビバレントな感情を持っているといったところだ。

 本記事ではプロ野球関係の記事に関するコメント特集にするつもりだったが、今日は朝から外出する予定なので以上の前振りに予定した部分だけを独立した記事にして一旦終わらせる。コメント特集の記事は帰宅後に書く。

*1:大阪と神戸を合わせれば生まれてから1980年まで。67年から77年まではタイガースの地元中の地元である阪神間に住んでいた。

*2:この単語は本来弊ブログの使用禁止ワードだが、本記事では例外的に使用する。この言葉自体にアレルギーを持つほど私は読売球団が大嫌いなのである。

*3:もっともそれ以前から私は星野仙一を嫌っていたので、それが中日と阪神に対するネガティブな心証につながっている。