kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

DeNA、阪神に敗れる

 セ・リーグクライマックスシリーズ第1ステージは阪神DeNAに勝った。

 2015年と2021年(去年)もそうだったが、ヤクルトがリーグ優勝した年のAクラス争いやクライマックスシリーズ第1ステージは、いつも思い通りにならない。2015年と2021年は私が全球団の中で一番嫌いな読売が勝ち上がった(勝ちやがった)。そして、今年は日本のプロ野球球団の中ではソフトバンクと並んで二番目に嫌いな阪神が勝ち上がった。阪神の選手たちには含むところがないが、「予祝」の矢野監督や岡田次期監督、それに阪神ファンたちには大いに含むところがある。

 阪神ファンの何が嫌かというと、他人の家、つまり相手チームが本拠地にしている球場で我が物顔で振る舞うことだ。それが今回、横浜スタジアムでの六甲おろし大合唱が批判された件で改めて注目された。

 古くはヤクルトが14年ぶり2度目のリーグ優勝を決めた1992年に「阪神フーリガン」が批判されたものだが、その30年前の腹立たしさの記憶が改めて甦った。

 ヤクルトが甲子園球場でリーグ優勝を決めたのは30年前の今日、1992年10月10日だった。当日の試合は、TBS系の毎日放送MBS)が全国ネットで中継したが、ゲストに呼ばれていた阪神フーリガン月亭八方が、阪神の劣勢にえらく不機嫌で、阪神の選手たちにデッドボールに当たりに行け、などととんでもない暴言を吐いていた。

 その翌週だったかの朝日新聞の夕刊で、八方は確か大谷という姓の経済担当編集委員(フルネームは覚えていない)に手厳しく批判されていた。当該の編集委員氏は結構な「経済右派」だったため、経済記事にはうなずけないことが多かったが、「今年のセ・リーグを盛り上げたのは彼ら阪神の選手たちだったのに」として八方を批判したコラムには強く共感した。そんな八方がテレビにしゃしゃり出て世の阪神フーリガンたちを扇動するという目を覆う惨状を呈していたのが1992年のセ・リーグのファン事情だった。

 その日、大部分が阪神ファンで占められた甲子園球場にもヤクルトファンはいたはずだが、圧倒的な少数である彼らに傍若無人な振る舞いなどできるはずもなかった。

 というより、スワローズファンの多くには「敵地での応援の作法」が自然と身についているのではないかと思う。

 私はコロナの前には、阪神だの広島だの(かつての読売だの)が相手だと相手チームのファンが多数を占める神宮のスタンドを嫌って、年1回、交流戦の時にだけ球場で観戦することにしていた。それも相手を千葉ロッテに決めていて、週末に千葉で試合が組まれている時には幕張のマリンスタジアムに行き、運良く神宮でロッテ戦が組まれている時には神宮で観戦した。ロッテ戦だと敵地では相手チームの応援が圧倒的に多く、神宮ではスワローズファンの方が多いという当たり前のスタンドで観戦でき、相手チームであるロッテのメンバーもわかる面白さもあった*1。そして、千葉のマリンスタジアムで傍若無人に振る舞うスワローズファンなどほとんどいないのではないかと思う。

 なお、セではヤクルトに次いではDeNAに親しみを持っている。これにはかつて横浜市民だった時代があることも影響している。その意味でも今回のCS第1ステージの結果は痛恨だった。

 今回の横浜スタジアムでの「六甲おろし」批判で、横浜ファンだって声を出しているではないかと反論する阪神ファンが少なからず見られるが、私としてはそもそも敵地での応援の作法を知らないだけでも論外だ、と吐き捨てたくもなるのである。郷に入っては郷に従えといやつだ。そんなことは常識ではなかろうか。現状では、阪神ファンは「球界の盟主」とやらの威光を笠に着て威張っていたかつての読売ファンとなんぼも違わないんじゃないかと思う。

 まあファンは嫌いだがタイガースという球団には読売のように絶対的に否定する気はない。しかし阪神に負けたら阪神ファンに神宮で騒がれるので、それは嫌だ。2014年のCSで読売を4タテした時には、和田監督の胴上げはしなかったと記憶するが*2、今回は阪神の監督が去年村上宗隆とのいさかいを引き起こした憎むべき「予祝」のおっさんでもあるので、勝ったら胴上げをしやがるんじゃないかと恐れている。

 そんなことを心配しないでも済むような結果で終われば問題ないのだが、後半戦のスワローズの戦い方を思えば「絶対大丈夫」とは決して思えない今日この頃なのである。

*1:その習慣のおかげで、今でもパでは千葉ロッテをひいきにしている。

*2:2007年に東京ドームで読売に勝った中日の落合監督も胴上げはしなかった。