kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

植草一秀かく語りき 〜 税が私に語ること

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110106/1294240331 の補足。植草一秀の著書『知られざる真実』に書かれた、植草自身の言葉を以下に引用する。

 96年年初、私は「大型消費税反対キャンペーン」を開始した。97年に予想される消費税増税を大規模に決定すれば、回復基調の日本経済が崩壊する恐れありと警告した。主張の概要は『財政再建最優先論に異議あり』(東洋経済新報社「論争」1996年7月号)に示した。

 もっとも懸念したのは不良債権問題の深刻さだった。私は日本の不良債権規模を約100兆円と見なした。バブル期に金融機関の融資残高が約200兆円増加した。そのすべてが株や土地などの資産獲得に向かった。バブル崩壊で資産価格が取得価格の半値に下落すれば100兆円が焦げつく。100兆円規模の不良債権マグマを考慮すれば、性急な大増税は危険があまりに大きいと判断した。

 消費税率を97年4月、98年4月に1%ずつ引き上げるべきだと主張した。消費税率の1%引上げが2.5兆円の増税を意味した。私の提案は、97年度、98年度に2.5兆円の増税を実施するものだった。消費税増税を実施すべきだが経済、金融情勢を踏まえて、慎重に対応すべきだと主張した。増税を回復初期の日本経済を損なわない範囲内で実施すべきと提案したのだ。

 6月25日、橋本政権は消費税率を2%引上げる方針を閣議決定した。株価は6月26日を境に下落トレンドに転換した。日経平均株価は98年10月9日の1万2879円まで、2年3ヵ月で1万円暴落した。

 新進党が私の提案を採用した。10月20日実施の総選挙の争点は消費税増税だった。小選挙区制度で発の総選挙だった。自民党が勝利した。自民党239議席に対し、新進党156議席だった。メディアは国民が増税にゴーサインを出したと伝えた。

 選挙結果には裏事情があった。民主党が発足して非自民の票が二分されたのだ。比例区の得票率を見ると、自民党32%に対して新進党28%、民主党14%だった。新進党民主党の合計は42%で自民党の28%を大幅に上回った。非自民勢力が新進党民主党に割れなければ自民党は敗北していた。小選挙区制度の特性で自民党が漁夫の利を得た。投票日直前に自民党幹部が5兆円減税を提示していたことも影響した。有権者は大増税に同意したとの解釈は正しくない。


植草一秀『知られざる真実』 56〜61頁)


以上は、植草一秀の著書からそのまま引用したものだ。評価は読者の皆さまにお任せするが、下記の点を指摘しておく。

  1. 植草一秀は、90年代後半の消費税増税そのものは批判しなかった。税率引き上げのプロセスを批判しただけである。これを、「大型消費税反対キャンペーン」と自称するのは、羊頭狗肉針小棒大の類の妄言である。
  2. 1996年の総選挙が行われた頃、自民党より「経済右派」の度合いが強い新自由主義政党が新進党だった。民主党鳩山由紀夫菅直人が中心となって発足したが、その前には自民、社会、さきがけの3党で連立政権を組んでいた。連立から離脱して発足した民主党がいきなり新進党と組む方がよほど不自然だった。
  3. 植草一秀は、小選挙区制の導入を軸とした90年代の「政治改革」に賛成していた。これをもっとも強く推進した政治家は当時新進新党党首の小沢一郎であった。その小沢率いる新進党が、自らが導入した選挙制度のもとで行われた最初の総選挙に敗れたからといって、政治改革を支持した植草が「小選挙区制度の特性」をあげつらうのは筋が通っていない。
  4. 橋本政権は消費税増税の代わりに「5兆円減税」を提示した。つまり、間接税の比率を増やして直接税の比率を減らす、その頃には既に自民党の常套手段となっていた新自由主義政策を国民に提示したわけである。だが、植草は「有権者が大増税に同意したとの解釈は正しくない」と書くだけであって、直接税の減税そのものは批判していない。これは、植草一秀自身が新自由主義者であり、彼が支持していた新進党が当時、自民党よりさらに過激な新自由主義政党であった以上当然である。
  5. とはいえ、植草の提言は実際に自民党政府がとった政策よりマシであったことは否めない。橋本政権は、増税の翌1998年の参院選に惨敗するという厳しい審判を受け、退陣に追い込まれた。