今朝の朝日新聞を見ると、また同紙が文字を大きくするという。文字拡大競争なんてまだやってるのかと呆れた。
文字拡大競争の口火を切ったのはその朝日新聞で、30年ほど前に「電算写植」を導入した同紙が、「文字が大きくなりました」と大々的に宣伝したのが始まりだ。それまでの1段15文字を14文字に改めたものであるが、活字を使わない印刷方法を導入したことから活字を作り直す手間が不要であるため、他紙に先駆けてこのようなことをやったものだ。
その後、読売新聞や毎日新聞といった競合他紙も追随し、さらなる大文字化は競合他紙の方が先行した。
かつての文字は、戦時中、少ないページ数に多量の情報を詰め込むために文字を小さくし、文字の形を扁平にした時代の名残であり、よくお年寄りが拡大鏡を使って新聞を読んでいた。だから、いくらなんでもあの時代の文字は小さ過ぎ、適度に拡大されたのは時代の流れだっただろう。新聞のページ数も、70年代当時には20頁建てや24頁建てが標準で、石油ショック後の不況期(1974年頃)には16頁建ても珍しくなかった。今では、今朝の朝日新聞(東京本社発行最終版)で40頁である*1。私は、今世紀初め頃までの文字の拡大は、なされるべき改革がなされたものと思っている。
しかし、各紙とも新聞記事の文字の密度よりも内容の方が目立って希薄になってきた現在、さらに文字を大きくするといわれても、そんなことやるより記事の中身をまともにしてくれと言いたくなるだけだ。
新聞の文字が大きくなるにつれ、かつてに比べて何倍になり、1頁あたりの文字数は何分の1になったのだろうとずっと思っていたが、今朝の朝日新聞で確認できた。1951年から81年までは、縦2.2ミリ、横2.8ミリだったのに対し、今年4月からは縦3.3ミリ、横3.9ミリになる。縦は30年前までの1.5倍、横は1.4倍、面積にして2.1倍になる。増えたページ数の分を考慮しても、新聞が発信する1日あたりの情報量は確実に減っている。
それ以上に問題なのは記事の質の低下であり、これは半減では効かない。それどころかベクトルの向きまで変わっており、ある種の記事は害毒さえ撒き散らしているのだから問題外である。