kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

1976年に朝日新聞が連載した大熊由紀子の原発推進記事「核燃料―探査から廃棄物処理まで」

朝日新聞が昔「原発推進」へと舵を切ったことがあった。その時、先兵として活躍したのが「大熊由紀子」という記者だという話を以前聞いた。

で、しばらく忘れていたのだが、10年前に出版され、東電原発事故後に急遽増刷された下記鎌田慧の著書の「はじめに」に大熊の名前が出てきた。


原発列島を行く (集英社新書)

原発列島を行く (集英社新書)


以下引用する。

また、原発の信奉者は、これまで数多く輩出した。かつては大熊由紀子(「朝日新聞論説委員)、最近は上坂冬子(作家)などが、宣伝に貢献している。

鎌田慧原発列島を行く』(集英社新書、2001年)11頁)


上坂は一昨年亡くなったが、晩年には熱心な自民党の応援団員として知られていた。
上坂冬子死去 - kojitakenの日記


一方の大熊由紀子は今も健在だ。だが、大熊が書いたという朝日新聞記事は全然記憶になく、いったいいつのことだったんだろうと前から不思議に思っていた。以前調べた時にはわからなかったのだが、今回調べ直してみたところ、ようやくわかった。大熊は1976年(昭和51年)に全48回の連載記事を書いていたのだ。田中角栄ロッキード事件で逮捕された年だが、当時私の家では毎日新聞をとっていた。道理で知らなかったはずだ。そんなに昔のことだったのか。スリーマイル島原発事故以前ではないか*1


大熊の連載記事は『核燃料―探査から廃棄物処理まで』というタイトルで、翌1977年に朝日新聞社から単行本として出版された。


核燃料―探査から廃棄物処理まで (1977年)


もちろんこの本は大昔に絶版になったのだろうけれど、この本に言及したブログ記事があったので、記述の一部を知ることができる。


原発の賛否 : 50%プラス


以下引用する。

「VIII 子孫のために」と題されたページには、「福島第一原子力発電所」の写真が掲載されている(p163)。まるで福島第一原発は、「子孫の幸せのために」とでも言いたげだ。

そして本文。「これ以上エネルギーをふやす必要はない」と、主婦が口でいうのはたやすいが、現実にはエネルギー消費量は増えている、などと述べる。原発反対の市民運動に加わることの多かった主婦たちをバッサリ批判する。

次にアメリカの原発反対科学者の主張を批判する。


この「アメリカの原発反対科学者の主張」への批判には、地球温暖化論が援用されている。ブログには引用はないが、本からスキャンした画像が掲載されているので、以下に文字起こしをする。

原子力は人類絶滅の危険をはらむ」というタンブリン博士たちの論法をまねることが許されるなら、その二酸化炭素は「全人類を絶滅される危険がある」と主張することもできる。なぜなら、大気中の二酸化炭素は、地球の表面から外へ向かって逃げようとする熱を吸収して、そのまま蓄え、地球の気温を上げるからだ。「二酸化炭素温室効果」と呼ばれる現象だ。

(大熊由紀子『核燃料―探査から廃棄物処理まで』(朝日新聞社、1977年)172頁)


ブログ記事からの引用に戻る。

「■安全性の相対論」では、「ほんとうに『絶対安全』なものしか許さないとしたら、わたしたちは、ダム、自動車、列車、薬をはじめ、すべての技術を拒否して、原始生活にもどらねばならなくなる」(p175)と断定する。

「Ⅳ 原子炉の安全装置」では、地震が来ても安全だと主張する。(中略)

次ページでは、「多重防護」で安全が守られていると説く。ここでは、地震が起きた際の安全装置について、図入りで繰り返し解説する。原発の安全性に太鼓判を押すような表現ばかりだ。

つまり、著者によると・・・燃料集合体は、「圧力容器」に納められている。めったなことでは破裂しない。万が一ひびわれがはいったら、安全なように、さらに丈夫なとりで「格納容器」がある。この「格納容器」の外側には、鉄筋コンクリートの厚いとりでがさらに築かれている・・・。

ああ、これが本当なら、どれだけうれしいことか。

筆者は「これほど徹底した安全対策が、ほかの産業や、人間の命をあずかる病院で、果たしてとられているだろうか」などと結ぶ(p274)。

さらに、こんなアナロジーも出して原発の安全性をたたみかける。

「百人以上の死者を出す事故の確率は、1つの炉について140万年に1回。百基の炉があっても14000年に1回の率でしか起こらない、という計算になる。つまり『縄文時代の昔から今日まで原子力発電所を運転し続けてきたと仮定しても、その間、そういう事故は1回も起こらない』ということだ。また、炉心溶解事故が10回起こったとしても、10人以上の死者を出すのはそのうちの1回きりだという。」(p279)

最後に筆者は、原発事故を恐れる人たちをこう切り捨てる。

「しかし、違いはあるにしても、原子力発電所が、どれほど安全かという大づかみの感触には変わりはない。あすにでも大爆発を起こして、地元の人たちが死んでしまう、などとクヨクヨしたり、おどしたりするのは、大きな間違いである。」(p280)


なんとも恐れ入った「上から目線」の説教調の文章だが、こういう文体が社の上層部に気に入られたのかどうか、大熊は朝日新聞社内で出世の階段を駆け上がっていくことになった。のち大熊は、朝日新聞の社論決定にかかわる論説委員になった。数多くの社説を書いたものと思われる。


ブログ記事は、下記のように結ばれている。

原発推進は、大熊由紀子記者(朝日科学部員)だけでなく、上司・木村繁科学部部長をはじめ、朝日新聞社をあげての方針だったに違いない。そうでなければ、朝日新聞紙上で48回もの連載をし、その後、朝日新聞社から単行本の出版という大キャンペーンが行われるはずもない。

原発推進の世論形成に、当時の朝日がどれだけ大きく寄与したか、は言うまでもないだろう。

小出裕章さんは、40年間も原発の危険性を主張してきた。しかし原発増設を止められなかった。そのことに、「ごめんなさい」と謝った。

一方、発行部数800万部の力で「原発の安全性」を繰り返し公言してきた朝日新聞方面から、そうした声は聞こえてこない。


東電原発事故後、徐々に「脱原発」へと傾斜し始め、若宮啓文主筆に就任してからは「脱原発」色をさらに強めている朝日新聞だが、自社の過去の記事を検証し、自己批判した記事は見たことがない。おそらく毎日新聞をはじめとする他紙*2も同じだろう。

朝日新聞社も大熊由紀子元記者も、まさか35年前の記事を批判されるとは思っていなかったかもしれないが、自らの過去を検証も総括もせず、黙って「脱原発」に転向するのではあまりにも無責任と言わざるを得ない。

*1:実は大熊由紀子という記者の名前には昔から見覚えがあった。彼女は朝日新聞の社会部にいて、同紙に連載された「いま学校で」という学校教育の連載記事を書いた取材班の一人ではなかったか。私の家でとっていたのは毎日新聞だったけれど、親が「いま学校で」の単行本を買っていたので、それを読んで大熊の名前を知った記憶がある。これは70年代半ばのことだから、その後大熊は科学部に転じたものだろう。

*2:今も昔も原発推進派の読売や産経は除く。