kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

原発とジャーナリズム―大熊由紀子元記者と故岩佐嘉寿幸氏/(下)大熊由紀子が「原発推進」の旗振り役を務めたきっかけは「岩佐事件」だった?

上編の続き。当ブログは最新の記事を一番上に置くので、下編が上編の上にくる。


過激な原発推進ジャーナリストである元読売新聞論説委員・中村政雄が元朝日新聞論説委員・大熊由紀子を絶賛したことは、上編の最後に書いたが、中村の著書を紹介している原発推進派のブログ記事があるので、そこから引用する。


http://erict.blog5.fc2.com/blog-entry-106.html


ブログ記事の冒頭に、1985年に大熊由紀子が書いたらしい文章の引用が出てくる。ブログが引用しているブログのコメント欄*1経由なので、孫引きになる。

魚類一号 2005/07/16 22:00
『女性科学ジャーナリストの眼』(勁草書房 1985)
 これを書いた大熊由紀子という人は、朝日新聞記者から論説委員。現在は国際医療福祉大学教授みたいです。まあ、リベラルな人ですね。週間金曜日にも書いてますし。
 で、古い本なんですけどなかなかおもしろいことがかかれてまして。「発がん」、「奇形」、「可能性」、「否定できない」という言葉は煽るには最適。これらが放射能放射線と結びつくと判断力が停止する、とか。
「(略)反対運動、住民運動市民運動をしている人に対しても、もし事実無根のことを元にして運動を進めていたり、運動の進め方が卑劣であったりすれば、それはそれなりに批判して当然だ、と私は考えています。もしそれをしないとそのような運動は結果的には堕落していくのではないかと思います。(略)」

http://www.kinyobi.co.jp/MiscPages/kensaku *2
大熊由紀子で検索。反原発のひとからは嫌われてるみたいですw(以下略)


女性科学ジャーナリストの眼 (1985年)


赤字ボールドで引用した部分のうち、「反対運動」で始まる後段はその通りだろう。同意する。だが、前段はいただけない。大熊由紀子自身が反対派を挑発している。これでは批判されても仕方あるまい。


さて、大熊由紀子がこのような主張をするに至るきっかけになったと思われる事件があった。それを、中村政雄が取り上げた。

以下、上記ブログから引用する。

ある冊子を読んでいて、恐らくこれが大熊由紀子氏が原発反対派に嫌われる引鉄になったのではないか、という事象があった。


その冊子とは、中村政雄氏が著作された「原子力と報道」[中央公論新社中公新書ラクレ (157)]である。

その中で取り上げられていたのは、岩佐事件と呼ばれる原子力発電所で働く作業員の方が被曝されたという事象だそうで。

岩佐事件に関しては、福井県史より引用するとすれば

『福井県史』通史編6 近現代二(福井県文書館)

 七四年四月に敦賀で工事にあたっていた岩佐嘉寿幸が作業中の被ばくにより放射線皮膚炎に罹災したとして、大阪地方裁判所へ日本原電を相手に損害賠償請求訴訟を提起していたが、大阪地裁は八一年三月、原告の請求を棄却した(八七年一一月大阪高裁、九一年一二月最高裁でも棄却)。しかし、一回の定期点検のさいに約一〇〇〇人が動員され、その七、八割は各地の原電を転々とするといわれる原電下請作業員の実態がこのころからようやく社会的な注目を浴びるようになったのである。


 → いわゆる「原子力発電所における作業員被曝訴訟の先駆けとなった方」なのだろうか。


中村政雄の本には、「『岩佐事件』を見抜いた科学記者の眼」と題された節が設けられている。ブログには引用されていないが、中村は大熊由紀子を大変優秀な方だと持ち上げている。そして、かつて大熊由紀子が講演した内容と大熊由紀子が行った報道を紹介する。

(p.96-)
 日本原子力発電労働組合結成二十周年の記念講演会(一九七七年八月)で大熊記者が話した内容によると、岩佐自身は新聞記者に会いたがらないので、障害を受けたというヒザの写真を入手し、かつて医学を取材してきた経験を生かし、本当のことを言ってくれそうな皮膚科医を回った。放射線障害と診断した阪大病院皮膚科の田代実医師が、学問的にどういうレベルの人で、何を得意としていて、彼がそのとき阪大の助手になっているのはいかなる経緯によるものかということまで調べた。同時に田代と、その診断を支持した阪大理学部の久米三四郎講師にも会った。

(p.96-97)
 久米や田代は「岩佐さんの足の骨にも変化が起きている。だから放射線障害の証拠である」と言っていた。岩佐が胸にかけていた線量計は一ミリレムしか指していなかった。これでは、どう考えても皮膚に跡を残すような傷を起こすはずがない。皮膚にやけどや潰瘍を起こすのは五〇〇レムとか一〇〇〇レムでないとつじつまが合わない。これについて久米たちは「それは線量計」が感じないベータ線をたくさん浴びたからだ。ガンマ線が出ない、特殊なそういう核種が岩佐さんにくっ付いていたんだ」という説明を盛んにしていた。ところが、この「骨に異変が起きていること」と「ベータ核種が付いた」という二つのことは、どう考えても両立しない。おかしい。ベータ線というのは、皮膚のところで止まってしまって、骨に変化を起こすようなことは起こり得ない。

(p.97-)
 そこで大熊記者は四月十八日付朝日新聞科学欄に次のような記事を書いた。
「ナゾだらけの皮膚炎、放射能説に多くの異論」という見出しがついている。当時の社会面はどの新聞も全部、「放射能障害であることは確定的だ」というふうな、少なくとも見出しは少なくとも見出しはそういう感じだった。大熊記者の記事は、それと一八〇度違っていたので、同僚記者とも議論になった。

(p.97-98)
「岩佐さんは下請けどころか孫請けのそのまた孫請けである。たとえ岩佐さんの言い分に分がなくても、原子力発電会社という強大な力を持っているほうに、味方をしてやることはないじゃないか。あなたはこれまで製薬会社をやっつけるとか、科学技術庁を批判するとかやってきたのに、なぜ弱い者が困ることを書くのか」と議論になった。
 大熊記者はこう考えた。原告自身は力は弱いけれども、新聞社が味方についてきて、大きな見出しで「岩佐さんが放射線障害を受けたのは原子力発電の原子炉のせいだ」と広く国民に伝えた。その時点から、新聞という一つの権力が原告の側についた。だから原告と日本原電の力の強さはバランスがとれている。科学部の人間としては、科学的に調べてみてこうだということはそのまま書くべきである、と判断して書いた。


以上が、中村政雄が解釈した大熊由紀子の報道姿勢だ。


ブログ主は下記のように書く。

この文面を素直に信じて読むとすれば……

「たとえ岩佐さんの言い分に分がなくても、原子力発電会社という強大な力を持っているほうに、味方をしてやることはないじゃないか。」「なぜ弱い者が困ることを書くのか」と大熊記者を批判をしたある同僚記者。

「(原電側を批判する記事を書いた時点で)新聞という一つの権力が原告の側についた。」「科学部の人間としては、科学的に調べてみてこうだということはそのまま書くべきである、と判断し」て記事を書いた大熊記者。

もしこれが事実だとすれば、私としては前者の「ある同僚記者」の考え方というのはどうしても納得がいかない。「事実はどうか」「他の視点から眺めた場合はどうか」という記事を書くことが、仮に「弱い者が困ること」であったとしても、それは峻別して書くことで、多角的な紙面構成になる。それが新聞の魅力になるのではないかと私は考える。

それ以上に許せないのは「岩佐さんの言い分に分がなくても、原子力発電会社という強大な力を持っているほうに、味方をしてやることはない」という、新聞・マスメディアが「権力を監視する」という立場から逸脱し、弱者と呼ばれる立場の人間を必要以上に抱え上げて祭りあげ、彼らの訴えかけの正当性すら失わせかねない報道姿勢である。

このメンタリティというのは、現在のマスコミ報道が今でも抱えている「被害報道」あるいは「災害報道」の問題点である、過剰な「被害者」という人々のフレームアップや演出、そして「権力・国・地方自治体VS市民」という単純な対立構造を持ち上げて報道し、被害の実態や深層、実情をぼやけさせる原因になっている現状に繋がっているのではないか、と私は考える。

そして、あなたが思い浮かべる「被害報道」そして「災害報道」というもの。それはテロ報道、JR福知山線事故、拉致被害者報道、劣化ウラン関係、イラク・アフガン等の中東問題、アフリカ問題、イラク人質事件など……立場によって違うかもしれないかな、と考えたりもした。

最後に、大熊記者の「岩佐事件」取材後の話を引用させていただいて、このエントリを締めさせていただく。


■「岩佐事件」を見抜いた科学記者の眼(原子力と報道:記事を書くことの難しさ) より

(p.98)
この事件の取材で、「原子力批判運動家の言うことについても、推進派の人たちを取材するのと同じように、警戒して科学性を吟味する必要がある。市民運動についても、非科学的なものは批判する必要があると考えるようになった」と大熊記者は語った。
 大熊記者はその後、『核燃料』(朝日新聞社)という本を出版した。その中では原子力を推進している人だけでなく、反対運動の人が言っている非科学的なことについても「それは間違っている」と指摘したり、反対運動の人が言っているいくつかのことは「アメリカの直輸入である」ということを書いたので、岩佐事件のとき以上に同僚からもなじられた。多くの反対運動の人が大熊記者に面会を求めてきて、大きな声で怒鳴ったり、編集局長に抗議文を持っていったりした。


 → 「事実報道を書く」「反証記事を書く」というのは、あらゆる面で大変そうである。同時に、この辺りで「反原発のひとからは嫌われてるみたいですw」というのはなぜか、ということが、この記事から垣間見えるのではないか、という印象を私は持つ。


報道は事実に立脚したものでなければならないというのは、本当にその通りだと思う。
だが、私がもっとも疑問を感じるのは、大熊由紀子記者(当時)の事実認定が本当に事実だけに立脚した「科学的」なものだったかどうかである。大熊由紀子の著書『核燃料』が科学的に正しかったとはいえないことは、先の東電原発事故で立証された。果たして、裁判で争われた「岩佐事件」における大熊記者の判断は本当に正しかったといえるのか。そこに見落としはなかったか。10年前に亡くなられた岩佐嘉寿幸さんの事件について再検証しなければ、真実はわからない。少なくとも、中村政雄が紹介した大熊由紀子の講演内容と報道だけから、大熊由紀子元記者は事実のみに立脚してすぐれた報道を行った優秀なジャーナリストであるとの評価は私には下せない。ましてや、『原子力と報道』にざっと目を通してみればすぐわかるが、中村政雄が書いたこの本は、立場が「原発推進」に激しく偏っている。どうしようもない誤りを世に撒き散らした論外の悪書であることは、今や誰の目にも明らかだ。東電原発事故が起きてから「あと出しじゃんけん」で事故の前の報道やブログ記事を批判するなよ、と思われるかもしれないが、それこそ東電原発事故という事実が目の前にある以上しかたがない。


大熊由紀子について私が特に問題にしたいのは、上記の報道を契機にしてかはわからないが、大熊由紀子が上記の報道の2年後に一方的な原発礼賛本を書くに至り、さらにその後10年近く経った1985年に、

「発がん」、「奇形」、「可能性」、「否定できない」という言葉は煽るには最適。これらが放射能放射線と結びつくと判断力が停止する

と書いたことである。そこには、事実ではなく感情に立脚する、原発の技術への肩入れはなかったか。同僚記者になじられた悔しさが、原発の技術に対する、現実をはるかに超えた幻想を育んだとはいえないか。私は(1985年当時の)大熊由紀子に、傲慢さと不遜さを感じる。彼女が多くの反原発論者たちに、中曽根康弘と同じくらい激しく嫌われていたというのは、こういう態度のためだったのではないか。私にはそう思える。


図書館には、1986年のチェルノブイリ原発事故を受けて朝日新聞が連載した記事をまとめた本(題名は失念した)も置いてあった。1987年発行のその本には、現在朝日新聞編集委員の竹内敬二記者や、既に朝日新聞を退社した原淳二郎元記者の名前があったが、大熊由紀子の名前はなかった。大熊由紀子は2001年まで朝日新聞論説委員を務めたそうだが、その間原発についていかなる社説を書いたか、私は知らない。もしかしたら原発から足を洗って福祉関係の社説を書いていたのかもしれないが、朝日新聞の社説には署名がないので、誰がどんな社説を書いたかはわからない。もちろん、朝日新聞社には記録が残っているだろうけれど。


だが、大熊由紀子元記者が70年代半ばから80年代半ばまで書いた文章は残っており、特に1977年に出版された『核燃料』が、日本における原発受容の歴史において非常に大きな影響力があったことは、多くの人たちが指摘している通りだ。


大熊由紀子元記者は、原発について何らかのコメントを発するべきだと思う。

*1:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050716#c1121518800

*2:リンクは切れている=引用者註