元朝日新聞論説委員・大熊由紀子の原発推進記事を調べていたところ、下記のブログ記事に行き当たった。著者の原淳二郎氏は元朝日新聞記者。
原発を拒否できなかったジャーナリスト - junhara's blog
大学で原子力工学を学びながら、畑違いの朝日新聞社に就職した原淳二郎氏が先日朝日新聞に書いた記事は読んだ。ブログで紹介しようとも思ったがタイミングを逸した。その原氏が「マスコミ市民」という雑誌の6月号に書いた記事のPDFファイルに、上記ブログ記事からリンクが張られている。大熊由紀子が書いた連載記事をまとめた『核燃料』が言及されているが、原氏はかつて原発を推進した新聞社の幹部記者として田中慎次郎氏の実名を挙げていながら、なぜか大熊由紀子の実名は伏せている。書名を出しているから、ちょっとネットで調べれば著者名などすぐわかるのだが、原氏はなぜ大熊由紀子の名前を出さなかったのだろうか。
ブログ記事によると、朝日新聞経済部記者として関西電力を担当していた原氏に、関電は大熊の『核燃料』をプレゼントしたという。関電によると、「電力会社にとっての良書だから多数部購入し、原発への理解を求めるために関係者に配布していたそうだ。
大熊由紀子が『核燃料』を刊行した頃に反原発運動を始めた小出裕章氏*1は、「どうしたら反原発を実現できるか」という聴衆の問いに、「それが分かっていたら自分でやっていた」と答えたそうだ。地域住民の反原発運動しか原発を阻止する方法はないというのが小出氏の言わんとしたことらしい。しかし、地域の反原発運動を阻んでいるものがある。それが「電源三法」だ。以下、原氏の文章から引用する。
エネルギー問題の取材はおもしろかった。その中で原発がやっかいな問題だった。取材すればするほど、核燃料サイクル、使用済み核燃料の最終処分問題が経済的にみて解決できないのだ。原子炉で再び核変換させ放射能を低レベル化するとか、ロケットに積んで太陽に打ち込むなどの馬鹿げたアイデアには納得がいかなかった。経済的にみて、核燃料サイクルのコスト、最終処分のコストが計上されていないことにも納得できなかった。どう見てもおかしい、と思いつつ、原発建設を止めさせる手は思いつかなかった。原発が立地する地元の反対運動に期待するしかない。だが、電源三法で地元が潤うようになるとそれも期待できなかった。
(原淳二郎「原発を拒否できなかったジャーナリスト」=『マスコミ市民』2011年6月号12頁)
「田中曽根」が編み出した「電源三法」とは、実に巧妙きわまりない仕掛けだった。「電源三法廃止」に的を絞った主張を今後も続けていかなければならないと改めて感じる。
原氏は、「ジャーナリストは過去に書いた記事が残る。検索もされる」と書いている。それどころか私みたいに、大熊由紀子のごとき原発推進勢力に属するジャーナリストがかつて書いた記事を暴いてやろうと考えるネット市民もいる。
原氏が記事の末尾に、過去のミスリードを批判されるのを怖がっていつまでも路線変更をしないのは、(転向して書いていることが一貫しないと批判されるよりも)もっと罪深いのではないかと書いているが、その通りだと思う。物書きは誰しも、自らが過去に誤りを犯したと思うなら、それを認めた上で主張を転換すべきだろう。それは何もジャーナリストばかりではなく、市井のネット市民だって同じことだと思う。