kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

高田がんは生きている!?

巌だの敏だのを思い出して - Living, Loving, Thinking, Again より。

何故この大して面白くもない記事を採り上げたかというと、この記事に対して、「高田がんみたいなやつだな」というコメントがあったからだ。これで、私のノスタルジーに火が点いてしまった。高田がんを手始めに、戦後の右翼関係者に関するWikipediaのエントリーを手当たり次第読むという時間の浪費をしてしまった。40代以上の人というか、昭和の記憶を保持している人なら、その政治的立場(左右或いはノンポリ)を問わず、赤尾敏とともに高田がん(高田巌)の名前を知らない人は殆どいないだろう。これに対する左側の有名人といえば東郷健か。Wikipediaによれば、高田がんはまだ生きているらしい。高田がんよりも、その師匠格の肥後亨(1964年没)の方がそのトンデモ性、また自民党関係者との癒着ぶりにおいて、はるかに面白い。ところで、赤尾敏が亡くなったのは1990年。高田がんは1992年(東京都議会議員補欠選挙)を最後に選挙には出ていない。それから、深作清次郎という政見放送で軍歌を歌うことで名の知れたおじさんがいたのだが、彼の場合は、昭和が終わった辺り以降、消息不明、生死不明(多分死んだだろう)ということになっている。今挙げた3名の古典的右翼が昭和と平成の変わり目、冷戦終結、蘇聯崩壊の時期に表面から姿を消しているということは興味深いと思った。あと、けっこう名を知られていた右翼系の泡沫候補として、品川司という人がいて、1977年に出たその伝記には当時の現職総理大臣だった福田赳夫が推薦文を寄せてもいたのだが、彼も1992年を境に消息不明。南俊夫という人もいたが、彼は1991年の東京都知事選挙立候補以降消息不明。それから、福田拓泉という人もいた。彼は1927年生まれだが、選挙デビューは1983年と、やや遅め。1997年まで活動が確認されているが、その後は消息不明。福田拓泉の師匠は有田正憲で、自称笹川良一の秘書。興味深いのは、彼が敗戦直後熊澤天皇の支持者だったということだ。1986年の参議院選挙以降は生死不明。このように、古寺多見さんのせいで、とんだ昭和ノスタルジーに浸ってしまった。


横粂勝仁菅直人の選挙区から立候補するという話を聞いて、高田がん(高田巌)を思い出した理由は、ロッキード事件が起きた1976年の総選挙で、高田がんが新潟3区から立候補したことがあるからだ。横粂がやろうとしているのは高田がんと同じことだな、と思った。

新潟3区から立候補するまで、高田がんは関西の人だと勝手に思い込んでいた。彼は大阪や兵庫県の地方首長選に立候補しては落選していたからだ。他の地方でも立候補しては落選していたことは知らなかった。だから、新潟3区に高田がんが立候補したと知った時には大ウケしたのである。ちなみに、この時の選挙で田中角栄は17万票近くを獲得して圧勝したのに対し、高田がんの得票はわずか1044票だった。全立候補者中の最下位で、供託金を没収されたが、私が「供託金(没収)」という言葉を覚えたのも、高田がんのおかげだった。もっとも、彼が立候補していた最後の頃の選挙では、知名度が上がったせいか、供託金が返還された選挙もあったらしい。これには驚いた。

この選挙に、同じ新潟3区から野坂昭如が立候補したと思い込んでいたのだが、これは記憶違いで、野坂は確かに新潟3区から立候補したことはあったものの、それは1983年のことだった。この時の選挙では田中角栄は1976年をも上回る22万票以上で圧勝し、野坂は2万8千票あまりで落選したが、それでも次点にはなった。とはいえ、野坂の立候補は高田がんの「二番煎じ」に過ぎなかったのかもしれない。

なお、私自身も「はてなブックマーク」に「高田がんみたいなやつだな」と書いたあと、そういえば高田がんの名前を最近聞かないなと思ってネット検索をかけ、どうやら高田がんが健在らしいと知って驚いたのだった。1930年生まれだそうだが、野坂昭如と同い年だ。学年も同じだが、高田がんは既に誕生日を迎えているので現在81歳で、野坂昭如は誕生日がまだなので80歳。

高田がんが愛媛県出身だと初めて知ったのも昨日だった。関西出身ではなかったが、西日本の出身ではあったわけだ。

今回、高田がんに関するネット検索で見つけた記事の中、一番懐かしかったのは下記。1976年の岡山県知事選挙の選挙公報に記載されていたという*1

高田がん

立候補のご挨拶

 親愛なる岡山県民の皆さん、おなつかしゅうございます四年ぶりであります、前回の知事選におきましては、なかなかのご理解とご支援をたまわりいろいろお世話さまになり本当にありがとうございました。

 その後も私は、皆さま、とくとご承知かと思いますが、日本せましと東奔西走、全国的な政治運動を展開してきましたが、すなわち、都府県知事選十七回、衆参両院選十三回主要都市市長選十三回、今回文字通り四十四回目の選挙に挑戦しておりますが、再度岡山県知事選に立候補するにあたり、当落もさることながら、県民の開眼という一点にしぼり、反ニセ革新非自民のスローガンのもと、「ながの」独走選挙をはばむため、全力を尽くして闘う覚悟です。

 立会演説にも参加申し込みをしない偽善、みてくれ、ていさい、すりかえ、の「ながの」県政の打倒をめざして頑張ります。

 四年前の激戦をケロリと忘れ、身は高級役人でありながら、共産党に乗っかった「ながの」、これに絶縁されても推せんする共産党自民党については、いまさら言うもおろかなこと右も左もまっくらやみ、まさに人心一新の秋であります。

 目覚めよ、岡山県民、これ以上、ニセ革新をのさばらせないために、願わくば、新しい日本の夜明けは岡山から、新しい岡山の夜明けは、今度こそ、本当の本物、真の政治家を選ぶことからとゆきたいものである。


これに類したフレーズは、遠い昔に目にしたか耳にしたような、かすかな記憶がある。もちろん、それは岡山の選挙ではなく、おそらくは兵庫県の選挙で目にしたものだろうと思うが、確かに高田がんはそんなことを書くなりしゃべるなりしていた。それこそ、「おなつかしゅうございます」だが、4年ぶりどころのご無沙汰ではない。その10倍近い時間が経っている。ノスタルジーにどっぷり浸ってしまった。