kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「いそん」と「いぞん」と『めぞん一刻』

「脱原発」タブー化を正せ: 反戦塾 より。

 長崎の原爆記念日の平和宣言に「脱原発」という言葉を使うことを避け、別の言い回し方をするという。前例として、菅首相の記者会見を「脱原発」ではなく、周辺が「脱原発依存」だなどといいつくろったことがある。その後「卒原発」だとか「減原発」など、ノンセンス造語の濫発だ。

 この奇態な現象は何に起因するのか、なかなか理解ができなかった。それが、新聞記者や解説者の語り口を聞いているうちに、脱原発→反原子力反核運動→左翼という連想が働いているのではないか、ということに気がついた。

 そこで、はたと思い出したのが、当時官房長官だった仙石さんが国会答弁で使った「暴力装置」という言葉である。マックスウェバーが国家論の中で使った「ゲバルト」というドイツ語を「暴力」と直訳した学術用語で、塾頭もいつの頃からかごく自然に使っていた。

 それを「自衛隊に失礼だ」とか「左翼が使う言葉だ」とか喧々諤々の非難を浴び、あっさり陳謝し、辞任にまで持って行かれた。これがいけない、なぜ堂々と反論し、説明をつくして相手の不勉強をなじらなかったのか。

 こうして、間違った解釈が正しくなり、正しい表現が誤用になってしまった。これと全く同じ現象がいま起きつつある。この言葉は、福島事故が起きるはるか前から、むしろ原発容認派といっていいような学者の間でも使われていた言葉である。(後略)


ここで書かれていることには本当に同感だ。ついでにいうと、「脱原発」という言葉を避けたがるのは自民党に特に顕著な傾向で、民主党もマスコミもそれに引きずられているのは情けない限り。


菅政権が広めた「脱原発依存」などという珍妙な言葉から、「依存」という言葉をテレビのニュースで耳にする機会が増えたが、アナウンサーやニュースキャスターは「いそん」と発音する。一方、ゲストのコメンテーターは「いぞん」と発音することが多い。国語辞典では「いそん」の読みで記載され、「『いぞん』とも読む」と書かれているものが大半らしい。一説には、「いぞん」には「異存」という同音異義語があるので、それと区別するために「依存」は「いそん」と読むのだというが、この説にはどうにも後付けのにおいがする。


以上の話とは全然関係ないのだが、「いぞん」という文字列を見て、突然高橋留美子の漫画『めぞん一刻』を思い出した。当ブログでも取り上げたことがあったかと思って調べてみたが、一度も取り上げていなかった。あの漫画は、ある年齢層限定で非常に有名で、その上の世代にもその下の世代にもさほど知られていないのではないか。読者の年齢の中心値は、キャンディーズのファンのそれより数年だけ若いというところだろうか。手塚治虫の漫画だとか、最近だと浦沢直樹の漫画ではこういう推定はできない。そのあたりが高橋留美子の限界かな。彼女の代表作というか最大傑作は『うる星やつら*1だと私は思っているけど。

*1:特に最初から4分の1ないし3分の1あたりの巻まで。後半はかなりマンネリ。