kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「脱原発派」は「小沢新党」以前に橋下徹の跳梁跋扈を許している

朝日新聞(7/7, 東京本社版)の「声」欄に新潟市在住の会社員(65歳)の人から寄せられた「小沢新党の脱原発には違和感」と題した投書が掲載されている。

以下、一部を引用する。

 近々発足する小沢新党に強烈な違和感を覚える。それは、新党が「脱原発」を掲げようとしていることに対してだ。小沢一郎氏の今までの言動からは脱原発と言えるようなものはさほどうかがえないし、今回一緒に離党した「小沢チルドレン」諸氏の言動にもそれらしきものは見あたらないからだ。


昨年の民主党代表選の時、「小沢ガールズ」たちは、小沢が海江田万里を支援すると決めた時、大ブーイングを発していたが、小沢は「(海江田を)俺だと思って応援してやってくれ」といって「ガールズ」たちを丸め込んだ。つまり、配下の者たちには「脱原発」の声を上げたい者もずいぶんいたのだが、小沢がそれを抑え込んでいたというのが正確なところだろう。

投書からの引用を続ける。

 新党が発足すれば、「脱原発」は「反消費増税」と並んで最重要公約になるのだろう。だが、これではどう見ても、選挙で多くの有権者の支持を得ることだけが狙いで掲げるとしか思えない。だが、原発の問題は選挙や権力闘争の道具に使うべきものでは決してない。


お説ごもっともだが、既に小沢よりもっとずっとどぎついやり方で、「脱原発」を政治利用した橋下徹の跳梁跋扈を「脱原発派」は許してしまった。それどころか、「脱原発に頑張る橋下市長を応援しよう」と呼びかける左翼人士が現れたり、脱原発自然エネルギー推進の代表的な論者だった文化人が橋下の「ブレーン」になり、橋下と袂を分かった今も橋下に未練たらたらだったりする。これに比べれば「小沢新党」の「脱原発」などかわいいものだ、程度にしか私には思えない。少なくとも「野ダメ」(野田佳彦)のようになし崩しで原発を推進するよりはよほどマシだ。

3日前に書いた 小沢の「なんちゃって脱原発」でも推進派よりはマシかもしれないが - kojitakenの日記 を、id:norton3rdさんに

kojitakenさん珍しく小沢に期待するの図。まあ改悛だの謝罪だのは望むべくも無いが最初から裏切る気満々が丸見えだった橋下よりはマシかもしれない

と評されて苦笑したが*1、確かに橋下と比較すればまだマシかもしれない、程度には思っている。むしろ、かつて70年代には自民党にも環境派の国会議員が多数いたことを思い起こせば、民主・自民両党に「脱原発」を正面切って標榜する議員がほとんどいない、いや、河野太郎菅直人がいるじゃないかと言われるかもしれないが、彼らはそれぞれ単独で何やら言っているだけに過ぎない、その方がよっぽど問題だと思う。ただ、小沢に対して過去に行った原発や核燃サイクルに関する言動の総括を求めていくことは必要だ。


投書の結び。

 小沢新党が本当にこれを公約に掲げるならば、今まで地道に原発の危険性を訴えてきた人たちへの冒瀆のように思えてならない。


それよりも、橋下や小沢のような人たちに「脱原発」を掲げさせてしまった日本の政治と、それを許してしまったわれわれ有権者のあり方に暗澹たる気分になってしまう。