kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

内田樹の「陰謀論」論(朝日新聞「わたしの紙面批評」より)

今朝(9/13)の朝日新聞紙面でもっとも目を引いたのは、内田樹の「わたしの紙面批評」だった。

内田は、かつては日本における情報資源の分配は「一億総中流化」的であり、たとえば内田自身が小学生の頃は、親がとっていた朝日新聞週刊朝日文藝春秋を熟読していれば、世の中の「知っておくべきこと」はだいたいカバーできたという。それに対し、欧米の「クオリティー・ペーパー」は知識階級のためのものであり、せいぜい数十万の「選ばれた読者」しか対象にしていない。それらは階層社会に固有のものであり、権力と財貨と文化資本がある社会集団に集中している場合にしか成り立たない。日本にそれがなかったのは「一億総中流化」の日本社会が欧米ほど排他的に階層化されていなかったためだと指摘する。

その「情報平等主義」がいま崩れようとしていると内田は言う。理由の一つはインターネットの出現による「情報のビッグバン」、一つは新聞情報の相対的な劣化であり、人々はもう「情報のプラットホーム」を共有しておらず、それは危険なことだというのだ。

内田の論考の後半はインターネット論であり、良質な情報がある種の人々(のサイト)に排他的に集積する一方、「情報の良否を判定できないユーザーのところには、ジャンク情報が排他的に蓄積される傾向がある」として、以後ネット言論の「陰謀論」論へとつながる。以後朝日新聞記事から直接引用する。

 「情報の良否が判断できないユーザー」の特徴は、話を単純にしたがること、それゆえ最も知的負荷の少ない世界解釈法である「陰謀史観」に飛びつく。ネット上には、世の中のすべての不幸は「それによって受益している悪の張本人」のしわざであるという「インサイダー情報」があふれかえっている。「陰謀史観」は彼らに「私は他の人たちが知らない世の中の成り立ちについての "秘密" を知っている」という全能感を与えてしまう。ひとたびこの全能感になじんだ人々は、それ以外の解釈可能性を認めなくなる。マスメディアからの情報を世論操作のための「うそ」だと退ける。彼らの不幸は自分が「情報難民」だということを知らないという点にある。

 情報の二極化がいま進行している。この格差はそのまま権力・財貨・文化資本の分配比率に反映するだろう。私は階層社会の出現を望まない。もう一度「情報平等社会」に航路を戻さなければならない。そして、その責務は新聞が担う他ない。

朝日新聞 2011年9月13日付紙面掲載 「わたしの紙面批評」(内田樹)より)


私自身は現在の新聞に「情報平等社会」を再建する力があるかどうかは疑問に思う。とはいえ内田の「陰謀論」論が目を引いたのでブログで取り上げた。特に目新しい論点はないかもしれないが、手際よくまとめられているのに感心した。