kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

なれ合いのなれの果て

昨日公開した『きまぐれな日々』の記事「『ものわかりの良さ』の落とし穴 - 橋下徹翼賛ブームを憂う」は、途中例によって「小沢信者」批判に脱線したりしてうまく書けず不満の残る記事になったが、「橋下さんの評価すべき点は評価しよう」というある共産党系左派の論者の主張を念頭に置いており、そういう一見「ものわかりの良い」言論は結果的に橋下徹への一切の批判を封じかねない、もっと自由な議論をしようよ、というのが言いたかったことだ。

「批判封じ」の悪例は、それこそ「右」も「左」もなく、洋の東西も問わず、多くの集団に見られることだと思うが、ネットの「小沢信者」が形成する「ブログ村」には特にその悪弊が深刻だ。

昨日某所で知ったのだが、「小沢信者」の代表的なブログが、南京大虐殺を行なったのは福島の兵士たちだったから東日本大震災が起きたのだ、南京大虐殺の死者数と東日本大震災の死者数はほぼ同じになったなどと書いていた。しかし、早川由紀夫どころか石原慎太郎さえをもはるか突き抜けたこの大暴言に対し、「小沢信者」の仲間うちからは何の批判も出ていないようだ。

最近は、「小沢信者」のブログなど誰も読まないのかもしれないし、私自身も上記の記事は某所での指摘を知るまで読んでいなかったのだが*1、かつて同じブログが山口県光市母子殺害事件に絡んで死刑反対論を述べた時には、厳罰論を声高に叫ぶことで有名な某カリスマブロガーに噛みつかれたものだ。こういう「トンデモ」な方向からの批判こそあれ、石原慎太郎よりひどい暴言に対して何の「自浄作用」も働かないのが「小沢信者」という集団らしい。

なれ合いのなれの果てはかくの如しだ。かつて別の某人が国籍法改正をめぐる城内実の暴言を肯定したり、「城内実さんは9条護憲派だ」と言い出した時にも「これはひどい」と思ったが、明らかにその比ではない。そうそう、「東日本大震災南京大虐殺のたたり(『天罰』)だ」という上記ブログ記事に肩を並べるほどひどい記事を一つだけ思い出した。城内実が書いた "bakawashinanakyanaoranai" *2 である。

*1:「小沢信者」たちも単に上記の記事を読んでいなかっただけかもしれない。

*2:http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/