kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「御用学者」の暴走に始まり、「一部脱原発派」の暴走に終わるのか?

きまぐれな日々 原発「リスク厨」とは月とスッポンの猪飼周平氏の論考 のコメント欄より。


http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1240.html#comment13601

「危険な土地に住み続ける権利」なんてものはありません。緩慢な自殺(ないしは殺人)を要求する権利など福島だろうが東京だろうがどこに住んでいたって主張することは許されません。


あーあ、ついにこんなこといい出したよ。これじゃ、「『汚染地域でのイベント』だのって放射能浪花節や精神論で立ち向かうバカは自分だけで被曝してろ!」と暴言を吐いた某元カリスマブロガーや、「福島の農家はオウム信者と同じ」とほざいた某火山学者と何も変わらない。


東電原発事故が起きた時から私が一貫してずっと持っている意見は、「今後、日本に住む人間は『東電原発事故が起きた』という事実をずっと直視し続けなければならない」ということだ。

東電原発事故発生直後には、「原子力ムラ」の「御用学者」が事故の発生を認めたくないといわんばかりの対応を繰り返した。これらは「安全厨」の暴走と位置づけられる。それは事故がいっこうに収束しない事実を前に説得力を失い、「野ダメ」政権が原発再稼働へと動こうとするたびに内閣支持率が下がる現状に至っているが、一方でこの事実を前にして、一部の「脱原発」、「反原発」派からは「汚染地域・福島を切り捨てよう」といわんばかりの主張をする傾向が出始めた。某元カリスマブロガーや某火山学者の暴言はその一環としてとらえるべきだ。こちらは「リスク厨」の暴走といえるだろう。

震災がれきの受け入れ問題についても同様の例が見られる。私自身は当ダイアリーや『きまぐれな日々』に証拠の文章が残っていることから明らかなように、東電原発事故以前からずっと「反原発」派だが、それにもかかわらず震災がれきを受け入れるべきだと考えている。最近、河野太郎ががれき受け入れに賛成意見を表明したところ、Twitterで「裏切り者」との非難が殺到したとのことだが、これが「脱原発派クォリティ」なのかと思うと暗澹たる気分になる。

結局、「御用学者」にしても、某元カリスマブロガーや某火山学者に象徴されるような「一部脱原発派」にしても、東電原発事故が起きたという冷厳な事実から目を背け、これを日本に住む者すべてが受け入れ、責任を負い続けていかなければならないなどとは全く思っていないのである。

「御用学者」も某元カリスマブロガーも某火山学者も、両陣営の支持者もみな、「同じ穴の狢」に過ぎない。


[PS]
日本テレビの報道局社会部デスクだという「木下黄太」の暴言もひどい。

汚染地にいて、避難をしたくない人は、このブログを読みに来ないで下さい。迷惑です。 - 「木下黄太のブログ」 ジャーナリストで著述家、木下黄太のブログ。

こちらは、ぎりぎりの闘いをやっているときに、避難したくない言い訳を言い募る人々の相手はできませんし、するつもりもありません。

一年という区切りはもうまもなくです。三月末まで、もう二ヶ月をきっています。

この期に及んで避難したくないという言い訳をしにくる人は、このブログも、ぼくのツイッターも、講演会もすべてこなくてかまいません。というか、来るな。

こういう愚かな言い訳を言い続けて、その同調行動をとる愚かな人々は、僕のブログを見るのは、やめてください。

ツイッターもフォローしないで下さい。

何のために再三再四、こちらがよびかけているのかわかりません。

僕は何度も何度も同じことを言っています。もう時間的な猶予はありません。

避難したくないなら、話は簡単です。僕のブログも、ツイッターも読むのをやめなさい。

避難したくない人に読んでもらうために、こちらは、書いていない。

くだらない。言い訳ばかりしてくるな。


これっていかにも(元)マスコミの人間らしい下劣な発想だよな。いったい自分を何様だと思ってやがる。