前原誠司が記者会見から産経新聞の記者を締め出した件だが、やられたのが産経だからといって肯定されて良いものではないだろう。
前原誠司の行動から私がすぐ連想したのは1972年に佐藤栄作が総理大臣を辞める時の記者会見で新聞記者を締め出した一件だった。テレビドラマ(TBSテレビ『運命の人』)ではナベツネもとい読日新聞の山辺一雄が抗議したことになっていたが、これは事実ではあるまい。数年前に現毎日新聞主筆の岸井成格が佐藤に抗議したのは自分だと言っていたように記憶するが、本当に記者会見からの退出の首謀者が岸井だったかどうか、これも事実か否かさだかではない。
ただ、佐藤の行為は当時すべての新聞が非難したはずだ。
前原の行為は佐藤を思い出させる、というのは某所で書いたのだが、朝日新聞の社説*1にも出ていた。しまった、昨日当ダイアリーに書いておけば良かったと思った次第。
前原を手厳しく批判した朝日新聞の社説は、最近の同紙の社説にしては共感できるものだった。前原の「対応に驚くとともに、あきれる」とした上で、
公党、とりわけ政権与党の政策責任者が、報道された内容を理由に、特定の社を会見から締め出すなどということを、なぜ、やるのか。
前原氏はみずからの説明責任の重さを自覚して、速やかに、「産経排除」を撤回すべきだ。
(中略)
政治家は常に批判にさらされるものだ。その覚悟のなさを露呈した取材拒否は、前原氏の政治家としての狭量ぶりを印象づけるだけだろう。
と書いている。
さらに社説の批判は「野ダメ」(野田佳彦)にも及ぶ。
民主党は従来の政権より、フリーにも会見を開放するなど、国民への説明責任を重視してきたはずだ。
その意味では、民主党政権としての対応も問われる。
ところが、野田首相はきのうのインタビューで、「それぞれの判断に、お任せしている。これ以上はコメントできない」と答えた。この認識は甘すぎる。党の代表として、前原氏をたしなめるのが筋だ。
朝日の社説は、2005年のNHK番組改編問題の際に、自民党の役員が朝日の記者に実質的な取材拒否をした件にも触れていた。社説には書いていないが、この件で朝日が安倍晋三や故中川昭一らに屈服した経緯は、毎日新聞にとっての「西山事件」ほど劇的な例ではないにせよ、以後朝日の論調が徐々に腰が引けていき、斜陽化している現在の姿につながっている。
そのあとに佐藤栄作の例を引いている。
「新聞は大嫌い」と、テレビカメラだけに向かった佐藤栄作首相の退任会見も有名だ。
佐藤といえば、新聞記者が全員出て行った退任記者会見があまりにも有名だが、「西山事件」当時にはこんな言葉も発している*2。
「毎日新聞」は編集局長の名で政府を攻撃しているので、ああいうのにはつき合えない。「毎日」の記者はいるかね。手を上げて。
朝日新聞社説の結びは下記。
こんな政治家の振る舞いがあるたびに、社会で広くかみしめられてきた言葉がある。
「私は君の意見には反対だ。だが、君がそれを主張する権利は、命をかけて守る」
先人の、この名言を前原氏に贈る。
今回締め出されたのが右翼の「産経」だからといって許される話ではあるまい。前原誠司といえば軍事タカ派の新自由主義者として有名だ。いつ矛先が「リベラル・左派」側に向けられるかわかったものではない。
*1:http://www.asahi.com/paper/editorial20120225.html#Edit2
*2:1972年4月7日付毎日新聞。澤地久枝『密約 - 外務省機密漏洩事件』(岩波現代新書, 2006年)80頁より転記。