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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

フィクションと史実と - 澤地久枝『密約 - 外務省機密漏洩事件』を読む・第3回「天声人語と市川房枝」

フィクションと史実と - 澤地久枝『密約 - 外務省機密漏洩事件』を読む・第2回「38年後、フィクションに『裁かれる』蓮見喜久子元事務官」 - kojitakenの日記 の続き。


外務省機密漏洩事件(「西山事件」)の一審判決の翌日、1974年2月1日付の朝日新聞天声人語」は下記の言葉でコラムを締めくくった。

他の者はすべて免れ、ただ一人うなだれて有罪の判決を聞く女があわれである。


当時の「天声人語」子は深代惇郎(ふかしろ・じゅんろう)。1975年に急性骨髄性白血病で急逝した深代は名文家として知られ、その死後に朝日新聞社から『深代惇郎天声人語』と題した、深代のコラムを抜粋した本が出版された。しかし、「西山事件」が起きた当時の1972年の朝日新聞の論調との落差を思えば、この日のコラムの結びは世論に迎合したものだったと酷評せざるを得ない。

この「天声人語」の結びの文章は、澤地久枝著『密約 - 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫, 2006年)222頁から引用した。


密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)

密約―外務省機密漏洩事件 (岩波現代文庫)


以下、澤地さんの本から引用する。

 判決の夜、「知る権利を守る国民集会」のひらかれることを知って出席した。昭和47年4月13日*1、二人が起訴される直前に、共立講堂でひらかれた「国民の知る権利を守る大集会」に比べて、この夜はまさに、寥々たるという表現がぴったりの、寂しい集会であった。<<知る権利>> という言葉は、私たちの歴史にはほとんど定着していない。手ごたえもなければ実感も乏しい。民主主義をうたうようになって30年近いけれど、その実体はいかに寒々しいかを思わせる。それに反して、<<情を通じ>> という言葉の生ま生ましい実感と手ごたえ−−。

(中略)

 女を欺いて秘密文書をぬすませ、しかもニュース・ソース秘匿に失敗してその全生活を脅やかし、自らは無罪になった背徳漢、悪徳漢−−、知る権利に奉仕するなど気のきいた口などきくな−−。そういう非難や罵倒が <<情を通じ>> 問題から発しているとき、沖縄密約の責任追及へと問題をたぐりなおすことの絶望的なむずかしさ−−。

 みごとなすりかえであった。私はおのれの無力さと、このすりかえ劇の圧倒的な仕上りに、打ちひしがれる思いだった。

澤地久枝『密約 - 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫, 2006年)223-224頁)


西山太吉記者無罪の一審判決を、時の首相・田中角栄は「まあまあだな」と評価した。佐藤栄作の暴走を角栄も感じていたのかもしれない。佐藤の矛先が、角栄の盟友・大平正芳に向けられていたせいでもあろう。しかし国は結局控訴し、西山元記者は二審で逆転有罪判決を受けた。ロッキード事件田中角栄が逮捕されるちょうど1週間前、1976年(昭和51年)7月20日のことだった。

深代惇郎は既に亡く、朝日新聞天声人語」子は辰濃和男に代わっていた。同年7月21日付の同コラムは次のように書いた。

判決が『通常の秘密取材は認める』としたことは評価すべきだろうが、四十代の社会人である女性事務官が『自由な意思決定をする心のゆとりのない状態』でそそのかされたというのはどういうことか。そうきめつけることは、ある意味では女性の人格べっ視にもなる、とはいえまいか。

澤地久枝『密約 - 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫, 2006年)293頁より孫引き)


2年前の深代惇郎のコラムとは異なり、こちらは正論である。


裁判は1978年に上告が棄却され、西山元記者の有罪が確定した。新聞に報じられたのは同年6月1日付夕刊だったが、翌6月2日付朝日新聞に、かつて「蓮見さんのことを考える女性の会」を立ち上げた市川房枝氏のこんなコメントが載った。

 西山元記者は、国民の知る権利を行使して、国民として当然のことをやってくれたので、犯罪にすべきではないと思う。ただ、その取材の方法が、女の人を脅迫するみたいなやり方で、卑劣だった。いくらかの刑罰は仕方ないと思っていた。こんどの決定は懲役ということで重そうだが、執行猶予つきでもあり、あれくらいはやむをえないだろう。

澤地久枝『密約 - 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫, 2006年)301-302頁より孫引き)


澤地さんも指摘しているが、「犯罪にすべきではない」と言いながら、その舌の根も乾かぬうちに「あれくらいはやむをえないだろう」とは、コメント自体が自己矛盾している。今なら、「はてなブックマーク」のコメントに「これはひどい」のタグをつけるところである。

市川氏のこのコメントを、澤地さんは「露骨なすりかえ劇にすっかり乗せられ、本質を見失うことになる」、「大先輩に対して失礼とは思うが、政治家としての市川房枝氏には、もっとことの本質を透視する眼をもっていただきたかった」と手厳しく批判している(同書302頁)。

山崎豊子氏の小説及びテレビドラマ『運命の人』に、市川氏と「蓮見さんのことを考える女性の会」が戯画化されて描かれており、あれはひどいなあと私は思った。実際の同会の発行物をネットでも閲覧することができるが、その主張はいたってまっとうだとの印象を私は受けた。だが、市川氏は最後がいけなかった。もしかしたら、市川氏がこんなコメントを発していたことを澤地さんの本を読んで知った山崎豊子氏が、悪意を込めて市川氏を戯画化したのではなかろうかとふと思った。それと同時に、市川氏には戦争に協力した過去があることを思い出した。

市川氏は、戦争協力の姿勢をとることで女性の政治的権利を獲得しようとしたとのことだ。しかし、その危うい駆け引きは失敗に終わり、戦争を推進した者たちに奉仕するだけに終わってしまった。やりたい放題の権力者に「理解を示す」ことはしばしばそういう結果を招く。先人が犯した過ちを繰り返してはなるまいと強く思う。

(この項続く → 第4回「澤地久枝さんとナベツネに会った男の告白」

*1:漢数字を算用数字に書き改めた。以下同様。また、原著では「昭和四十六年」となっているが、これはもちろん誤りで、正しくは「昭和四十七年」とすべきところなので、引用に際して修正した。