http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120405-OYT1T01403.htm
橋下市長、市音楽団員の配転認めず「分限免職」
大阪市の橋下徹市長は5日、市が同日発表した施策・事業の見直し試案で「2013年度に廃止」とされた市音楽団の音楽士36人の処遇について「単純に事務職に配置転換するのは、これからの時代、通用しない。仕事がないなら、分限(免職)だ」と述べた。
市改革プロジェクトチームの試案では、音楽団を「行政としては不要」としつつ、市が正職員として採用してきたことから、「配置転換先を検討」としていたが、橋下市長は「分限(免職)になる前に自分たちでお客さんを探し、メシを食っていけばいい」と述べ、配置転換を認めない意向を示した。
市音楽団は1923年に発足。国内唯一の自治体直営の吹奏楽団で、市公式行事での演奏や有料公演などを行っている。市は公演収入などを差し引いた運営経費や人件費として年約4億3000万円(2010年度)を負担している。
(2012年4月6日08時28分 読売新聞)
この手の話に接すると反射的に思い出すのは「文革」期の中国のベートーヴェン批判であり、そこから「反知性」という言葉を連想する。文革の中国は、毛沢東という独裁者の手前勝手な都合によって多くの人間が殺されるなり社会的に抹殺されるなどする一方、「白紙答案」を出して開き直る人間が称賛されたりした。
それはともかく、橋下の「芸能・音楽」に対する敵意は、2008年に大阪府知事に当選した頃から露骨だった。そんな橋下は「テレビがひり出した糞」(by 辺見庸)なのだから皮肉なものだ。
歴史的にいえば、大阪の老舗放送局である朝日放送(ABC)は童謡・唱歌の創作や普及に力を入れた放送局だった。ネット検索をかけると「阪田寛夫」(1925-2005)という名前が引っかかる。子供の頃に親しんだ童謡「サッちゃん」は阪田の作詞。
そんな伝統のある大阪の放送界から橋下徹のようなモンスターが生まれ、日本の文化を破壊しようとしている。電波メディアも60年代の昔と今では大きく変わってしまったのだろう。
大阪人の気質もまた大きく変わった。大阪といえば「人情が厚く、反骨精神が旺盛」というイメージを持っていたが、現在ではそのかけらもなく、今では「東京と並ぶ全国二大ネオリべ都市」*1という悪印象しかない。現在の東京と大阪は、いずれ劣らぬ、いや勝らぬ「酷薄な都市」といえるだろう。そういや昔の東京下町も「義理人情の町」だったはずだが、大阪と同様に今ではその面影もない。人間は出身地(出生地)を選べない。私はついに大阪に生まれた*2ことを恥ずかしく思うようになってしまった。
下記の記事を読むと心が痛むが、橋下徹を選んだのは大阪府民(2008年)であり大阪市民(2011年)である。
http://bandpower.net/soundpark/04_gurushin/82.htm
これに対し、今回の試案を評価する声もけっこうあって「この不景気下、女房に無駄な化粧をさせるようなもの。そんな余裕はない」「大阪市民でもない者が、あれこれ言うな。そんなに廃止が嫌なら、財源をもってこい」「市音のメンバーは実力派だから、解散しても食うには困らない」……等々の意見を見かけた。
こういうことを言う人間が橋下を支えている。彼らは大阪市音楽団の楽団員を路頭に迷わせる橋下に拍手喝采しているのと同じだ。自らがいつ橋下によって同じ目に遭わされないとも限らないという想像力は、彼らにはない。いまやそうした感性が大阪の圧倒的なマジョリティになった。