kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

浜矩子「老いらく国家」を批判する

昨夜(4/19)はテレ朝「報道ステーション」のシリーズ「原発再稼働 私はこう思う」の最終回で、浜矩子が出演し、原発再稼働に反対していた。それには賛成だが、それに続いて浜が述べた言葉は全くいただけなかった。

「ニコブログ」に浜の発言が文字起こしされているので引用する。


ニコブログ 報道ステーション「原発再稼働 私はこう思う」 浜矩子

原発再稼働については?

浜矩子「反対です。福島のときに非常にはっきり分かったことは、いかに我々は技術を、まともに制御できる力を、まだ蓄えていないかということ。この一連の展開を見ていて、“魔法使いの弟子”という言葉を思い出しますけど。ディズニー映画でご覧になってるかもしれないですけど、“魔法使いの弟子”って要するに、おまじないをかけることはできるんだけど、そのまじないを止めることはできないという、未熟者だから。我々はこの原子力との関わりではまだまだ“魔法使いの弟子”であって、本当の魔法使いになっていないんだから、魔法を使ってはいけないということなんじゃないかなと思います」


ここまでの浜の主張には異論はない。だがそのあとがいけない。

浜氏は原発を動かさないと日本の経済が成り立たないという考え方を厳しく批判する。

浜矩子「いくら原発をフル稼働させたって、やっぱりシャッター通りシャッター通りのまんまじゃないですか。地方の疲弊は進むまんまですよね。この際、逆を向いて歩こうというので、今までやってきたことといわば正反対の方向に行くと。成長戦略ではないのだと。原発をあれだけの規模でフル稼働させなければ維持できないような経済活動の水準というものが、そもそも高すぎる、大きすぎる、膨張しすぎだと考えて、そこを下げていくと。その意味、そのためのいいきっかけになるというようなことで考えればいいんじゃないかと思うんですよね」


これからの日本について

浜矩子「私はやっぱり日本の現状とこれからについて“老いらく国家”というイメージを持っています。“老いらく”というのは要するに“老いは楽”だ“老いは楽し”ということですね。ゆっくりのんびり生きるためには、どんな感じのエネルギー政策が必要なのか。“今まで”は終わったことなんですから、“これから”をどうするかということとの関わりで、政治政策、経営のあらゆる側面について、新しいビジョンを描いていくと。そういう姿勢が必要だと思うんです。そっちの方が面白いですよね。これだけの成熟度と規模を果たした、達成した経済を回している日本が、断固原発には依存しないという方向を打ち出したらば、もしかするとですよ、世の中を地球的に変えることができるかもしれないと思うんですよね。原発問題に対して、どういう哲学と、どういう心意気というか気構えを持って日本が臨むのかということをはっきり示していく。福島のあの大惨事を体験したということもあり、そして被ばく国でもあるという観点から、日本はこの問題についてこのようなスタンスでいくということを示していく。これは言ってみれば日本のグローバルなレベルでの社会的責任だと思うんですよね」


「ふざけるな」と思ってしまった。全く共感できない。浜の言葉を聞いていて、ああ、この人は恵まれた自分の環境に疑問を抱かない「お花畑」の人なんだなあと思った。世界経済が成長している中、日本の経済が縮小していくとどうなるか。昨今話題になっているソニーのリストラを思い起こせばすぐわかる。雇用が縮小し、失業者が続出して、残された人々も生き残りのために激しいサバイバル競争を余儀なくされる。

日々の生活を通じて私は、ポジティブな競争は人を成長させるが(スポーツのトップレベルの選手のライバル関係を思い出せば納得していただけるだろう)、ネガティブな競争は人をスポイルさせると常々思っている。

1970年代の自動車の排ガス規制は日本の自動車産業を成長させたが、現在であれば再生可能エネルギーの技術革新と普及がその関連産業を成長させるはずだ。現に企業はその方面への投資を惜しんでいない。

70年代と今で違うのは、かつては自動車会社の経営者は困難な課題を克服するために闘志をたぎらせたが、現在では経団連や電力総連などが「労使一体となって」オワコンである原発固執している。むろん経産省も「野ダメ」政権もその路線に乗っかっている。問題なのは、浜が言うような「経済活動の水準が大き過ぎた」ことではなく、成長分野の自発的な成長を「政官業」プラス「労」、それに読売や産経など一部のマスコミが妨害していることなのだ。

さらに頭にきたのが「老いらく国家」なる浜の妄言だ。浜が何歳かは知らないが、浜の年齢で「老いらく」などといえるのはかなり恵まれた人たちである。年齢を重ねていくうちに体の調子がおかしくなったり、不幸にして大きな病気を得てしまったりする人は多い。そうなった時のために「強い社会保障」が必要なのだが、経済活動が縮小した国においては税収が減少するため、それでなくても「小さな政府」の国である日本においては、小泉政権時代に現に行なわれたような「社会保障費の削減」圧力ばかりが強まっていく。しばらく前から、この状況に対する絶望感をますます強めているところに、浜の妄言を聞いたものだから怒り狂ってしまった。

浜矩子はおそらく「リベラル」派の代表的な論者なのだろうが、「リベラル」があのていたらくだったら全く支持を拡大できないのもむべなるかな、と思った。かつて加藤紘一は「強いリベラル」というタイトルの本を出した。私は読んでいないが、今必要なのは浜のような「お気楽リベラル」ではなく「強いリベラル」だろう。

社民主義をとる北欧諸国だって、実は厳しい競争社会の国々であり、競争力のなくなった企業は容赦なく「市場からの退出」を迫られる。しかし、安倍晋三のようなイカサマでない、本当の意味での「再チャレンジ」が、「強い社会保障」によって可能であるから、「高福祉高負担」の国であっても高い経済成長率が維持できるのだ。というか経済成長なくして「高福祉高負担」が可能であるとは私には思えない。

浜矩子のような学者が「論壇からの退出」を余儀なくされる、「強いリベラル」の論壇の構築が必要だと思う。