kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

もっとも鋭い石原慎太郎批判を放ったのは本多勝一だと思う

佐野眞一の「ハシシタ」の件だが、事実を不可視化する方が有害だ - kojitakenの日記 へのコメントより*1

id:bogus-simotukare 2012/10/19 06:47
佐野が石原本『誰も書けなかった石原慎太郎』(講談社文庫)を以前書いたとき今回と似たようなことを言っていたのを思い出しました。ちなみに後に『空虚な小皇帝・石原慎太郎』(岩波書店→後に講談社文庫)を書いた斎藤貴夫と対談したときも斎藤から「僕は都知事になった石原の政策(日の丸・君が代押しつけ、築地移転計画、新銀行東京、差別暴言など)に興味があるし、そこを批判するのが有益だと思ってるけど、どういう学生生活を送ったかとか出自にこだわる佐野さんは違うんですね」と言ったことを思い出してああ、今回も変わらないんだなと。個人的には佐野本より斎藤本の方が俺は好きですが。佐野本は石原への政策批判があまりないんで。


以下の文章は私の個人的な感想に過ぎませんが、佐野眞一石原慎太郎を描いた『てっぺん野郎 - 本人も知らなかった石原慎太郎』(講談社, 2003年)は、ハードカバーで出た時に買って読みました。正直言って期待外れで、今に至るも佐野本の中では最低の出来に近いのではないかと思っていますが、それは、佐野が石原の政策ではなく出自にばかりこだわっていたからではなく、「石原の一番痛いところを突けていない」というもどかしさを感じたからです。斎藤貴男の『空虚な小皇帝』(岩波書店, 2003年)もハードカバーで買いましたが、こちらもあまり良いとは思いませんでした。両方とも、読んだ数か月後には中身を思い出せなくなっていました。斎藤の著書についても「石原の本当に痛いところを突けていなかった」と思いましたね。石原批判に関しては、佐野・斎藤両氏の仕事よりも週刊誌による数々の石原批判の方がインパクトがあったくらいです。私は佐野眞一の代表作は『カリスマ』と『巨怪伝』(有名な『東電OL殺人事件』は、あまり買いません)、斎藤貴男の代表作は『梶原一騎伝』だと思っています。


てっぺん野郎―本人も知らなかった石原慎太郎

てっぺん野郎―本人も知らなかった石原慎太郎


空疎な小皇帝―「石原慎太郎」という問題

空疎な小皇帝―「石原慎太郎」という問題


私にとってもっとも印象的だった石原批判は、本多勝一によるものです。以下、『週刊金曜日』2000年7月7日号より。

 想えばもう三十余年も前(1967年)のことになります。ルポ『戦場の村』(朝日新聞連載、のちに朝日文庫)を書くため南ベトナム(当時)に滞在中、石原慎太郎ベトナムへやってきました。私がサイゴンにいるときだったので、何かの会合で他の記者たちと共に会ったことがあり、その帰りの夜道でニューギニアについて彼と話した記憶があります。
 そのあと彼はサイゴンを離れて何ヶ所かの前線を取材に行ったようですが、肝臓だかを悪くしてひどい下痢で活動できなくなり、まもなく帰国したという噂をききました。もともと真の冒険家ではありえない人だから、修羅場には弱かったのでしょう。
 それからほぼ一年のち、南ベトナムから私が帰国してまもなく、報道写真家の石川文洋が『ベトナム最前線』というルポルタージュ読売新聞社から刊行しました。これに序文を寄せた石原の文章を読んで、次の部分に私は少なからず驚かされることになります。

 ベトナム戦線Dゾーンのチャンバンの砲兵陣地で、訪れた我々日本記者団に向かって、試みに大砲の引き金を引いて見ないかと副官にすすめられたことがある。(中略)番が私に廻って来そうになった時、同行していた石川カメラマンがおだやかな微笑だったが、顔色だけは変えて、「石原さん、引いてはいけません。引くべきでない。あなたに、この向こうにいるかも知れない人間たちを殺す理由は何もない筈です」といった。
躊躇(ちゅうちょ)している私に、陽気な副官は鉄兜をさし出し、"Kill fifteen V.C.!" と叫んだが、幸か不幸か突然射撃中止の命令が入り、その時間の砲撃は止んでしまった。
 私は今でもその時の石川君の、私を覗(のぞ)くように見つめていた黒いつぶらな瞳(ひとみ)を忘れない。童顔の、あどけないほどのこの若いカメラマンの顔に、私はその時、なんともいえず悲しい影を見たのだ。
 彼がもし強く咎(とが)めていたら、私は天邪鬼(あまのじゃく)にその後まで待って引き金を引いていたかも知れない。


 この文章からみると、石原は解放戦線または解放区の住民に対して、副官にすすめられるままに、大砲の引き金を引く寸前だったことになります。たまたま「幸か不幸か突然射撃中止の命令が」出たために、彼はそれを果たせなかった。もし中止命令が出なければ、第一には 「すすめられるままに」、そして第二の可能性としては「彼(石川文洋)がもし強く咎めていたら、私(石原慎太郎)は天邪鬼にその後(砲撃再開)まで待って引き金を引いていたかも知れない」 のです。
 こういう小説家の神経と体質について、私がここで解説を加えるまでもありますまい。私はこのあと解放区の取材に長く潜入していましたから、時間と場所がすこしずれれば、ことによると石原の撃った砲弾が私のいた村にとんできたかもしれませんね。
 ここに見られるように、石原はベトナムへ行ってもせいぜい陣地までしか行けはしない。石川文洋の苛烈な体験はもちろん、私がやったていどの歩兵との最前線従軍さえできず、安全地帯にいて、卑劣にもそんな中から大砲だけは撃ってみるような、子どもの戦争ごっこくらいしかできないのです。しかも石川文洋が言うとおり、石原慎太郎にとって殺す理由など何もないベトナム人を砲撃しようとする鈍感さ。この卑劣で鈍感な男が政治をやろうというのであります。


本多のこの文章は、石原の政策を批判したものでもなんでもなく、石原の人格に対する批判です。しかし、私の感じる限り、石原の出自にこだわった佐野眞一はもちろん、石原の政策を批判したという斉藤貴男の石原批判も、本多勝一を超え得ていないと思います。この本多の批判は、石原慎太郎という人間の本質を突くものでした。

今回の佐野眞一の『ハシシタ』の件で、政治家を批判する時は人格ではなく政策を批判すべきだという意見が、左右双方から多く出されました。しかし私はそれには賛成しません。人間が政治を行う以上、政治家の批評にはその人格に対する批評が欠かせないと考えています。