kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「憲法廃棄」も「憲法改正」も実質的に同じだろうが

最近目に余るのが、「憲法廃棄」を唱える石原慎太郎と「憲法改正」を唱える橋下徹では、憲法問題に対するスタンスが違うといって、あたかも橋下が「ハト派」であるかのような噴飯ものの議論を、わざわざ「リベラル」の側がやっていることだ。朝日新聞がそうだし、ブログにもそういうところがある。もっとも呆れた言説の一つは、これまで安倍晋三は「憲法改正」と言わずに「自主憲法制定」と言っていたのが、最近は「憲法改正」と言っている、というものだ。

今更言うまでもないが、「自主憲法制定」は自民党の立党以来の党是だ。そして、これまで「自主憲法制定」と「改憲」は同じ意味で用いられてきた。安倍晋三も前回の総理大臣時代を含めて「憲法改正」をずっと言い続けている。首尾一貫しているのである。

首尾一貫していないのは「リベラル」の側であって、それは単にわざわざ「憲法廃棄」と言い出した石原慎太郎に、橋下が手続き論で「異論」を唱えて、あたかも対立の論点であるかのようなでっち上げを行ったことに、無批判に乗っかってしまっただけの話だ。あまりにもお粗末である。

そういえばかつて「憲法改正ではダメだ、自主憲法でなければならない」と声高に主張していたのが平沼赳夫城内実だった。その平沼・城内を全力で応援していた某「護憲」ブログが「城内実さんは『9条護憲派』だ」と言い出して失笑を買ったことがあった。あの時、城内実が「自主憲法制定派」であることを、証拠を挙げて示したのが当ダイアリーである。しかし、こともあろうに極右勢力を応援する「護憲ブログ」を批判する声は大して起きなかった。「少なくとも城内実さんは護憲派の邪魔をしなかった」と言うのが精一杯だった。こんな脆弱な「リベラル・左派」が現在の惨状を招いた。石原慎太郎橋下徹安倍晋三も、私に言わせれば同じである。

これが小沢一郎になると、さすがに「石原・橋下・安倍と同じ」とまでは私は言わない。しかし、小沢一郎とて自民党時代からの「集団県自衛権の政府解釈変更」論者である。2003年に民主党入りする以前には「明文改憲派」だった。03年に旧社会党(横路一派)と野合して「解釈改憲派」に転じたが、間違っても「護憲派」ではない。経済政策においても、「まず無駄を削減」とばかり言ったり、「減税日本」と組むなど、明らかに「小さな政府」を志向している*1

それより何より、小沢の大罪は「橋下の悪口は言うな」と、配下の者の橋下批判を抑え込んでいることだ。

このあたりの理由をうかがわせるのが、昨今の週刊朝日「ハシシタ」の件に絡んで一躍注目された、ノンフィクションライター・上原善広が昨年11月の『新潮45』に発表した「『もっとも危険な政治家』橋下徹研究 孤独なポピュリストの原点」で紹介された、池田市(大阪)の倉田薫市長の言葉である。倉田市長はこう語った。

「知事(注:橋下徹を指す。橋下が大阪府知事時代の発言)は石原慎太郎さんとか小沢一郎さんの前では甘え上手なんですよ。府知事選のときも『倉田市長、ぼく選挙のことなんかわからないんですよー』と言ってきたけど、彼のいうスネ夫理論は今でも生きてると思いましたね」(前掲記事40頁)

なんのことはない。小沢一郎は「おじさまキラー」のスネ夫橋下徹にコロっといってしまったジャイアンに過ぎないのだ。そして、過去ジャイアンたちはこの「スネ夫」にどんな目に遭わされたか。上原氏の同じ記事から、木原敬介・前堺市長の例を引こう。

 裏切りでは、二〇〇八年一一月堺市内のホテルで開かれた「木原敬介堺市長を励ます会」で、橋下はこう話している。
「木原市長は自治体トップの理想モデル、自治体トップの神様だと僕は思っています。木原市長が堺の市長である限りは、皆さんは日本一幸せな市民であると思っています。逆になくなれば、皆さんは不幸になるんではないかと思います。」(一部抜粋)

 その一〇ヶ月後、橋下は堺市長選において、府庁で自身の腹心である竹山修身・元政策企画部長を対立候補にし、自らも積極的に堺市に乗り込んで選挙応援を行った。そのとき橋下は「堺市は楽した馬、太った馬です。もっとムチを入れろッ」と、木原を揶揄した悪意ある演説を行う。結果は竹山が新しい堺市長となるのだが、裏切られた形の木原は、「橋下は生まれつきの詐欺師、生まれつきのポピュリストだ」と今も憤りを隠さない。(前掲記事39〜40頁)

小沢一郎も同じ目に遭うことになる、いや、既に遭っている。石原慎太郎は大の「小沢嫌い」だから、石原と橋下の連携は、直ちに「小沢外し」を意味することはいうまでもない。そして、橋下が小沢よりも石原を選択することは明らかだ。なぜなら、小沢一郎の「国民的不人気」は、「小沢信者」たち以外には明らかだから、橋下がそんな小沢と組むはずなどあり得ないのである。

また、万万万一(兆一?)、何か間違いが起きて、橋下が小沢と組むようなことがあっても、それは橋下が小沢を呑み込むことを意味するのであって、「橋下の危なさが100倍に希釈される」ことなど天地がひっくり返ってもあり得ず、逆に「小沢一郎の危なさが100倍に増幅される」だけの話である。

それが今の政治の現実だ。

*1:もっとも、このあたりの挙動に関しては社民党福島瑞穂党首)も小沢一郎と何の変わりもない。