kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍晋三総理復帰とともに日本の「報道の自由度」が53位に劇落

NHKニュースより。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130130/k10015163951000.html

報道の自由度”日本53位に大幅後退


ジャーナリストの国際団体「国境なき記者団」は、国や地域ごとにどれだけ自由な報道が認められているかを表す「報道の自由度」のランキングを発表し、日本は、東京電力福島第一原発の事故で開示される情報が限られているなどとして前の年の22位から53位へと大幅に順位が下がりました。

報道の自由度」のランキングは、パリに本部を置く「国境なき記者団」が毎年発表しているもので、今回は179の国と地域が対象となりました。
このうち、日本は、東京電力福島第一原発の事故について、「透明性に欠け、個別取材に対して政府などから開示される情報があまりにも限られている」などとされ、前の年の22位から53位へと大幅に順位が下がりました。
これについて「国境なき記者団」は、「例年は上位に入っている日本の評価が急落したことは、警鐘が鳴らされたものと受け止めるべきだ」と指摘しています。
ほかの国や地域の順位を見ますと、1位のフィンランドを筆頭にヨーロッパ諸国が上位を占め、アジアでは、民主化が進むミャンマーが、当局による検閲が行われなくなったなどとして前の年から18順位を上げ、151位とされたほか、中国がほぼ横ばいの173位、北朝鮮は変わらず178位でした。

NHKニュース 2013年1月30日 14時44分)


この「報道の自由」ランキングだが、日本は2006年に51位だったのが、じわじわと順位を上げて2010年には11位になった。しかし、2011年に22位に落ちると、昨年(2012年)はさらに順位を大きく落とし、ついに6年前の水準に逆戻りしてしまったのである。

2006年、というとピンとくる方もおられるかもしれない。そう、安倍晋三が最初に総理大臣に就任した年である。政権交代とともに「報道の自由度」のランキングを大きく上げた日本が、KY安倍晋三の総理大臣復帰とともに元の木阿弥になってしまったのは、偶然の符合だろうか。

以下に、昨年1月に書いた記事を再掲しておく。


日本の「報道の自由度」は小泉時代の末期(2006年)の「51位」から2010年には「11位」にまで上がっていた - kojitakenの日記(2012年1月26日)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/120126/erp12012600250002-n1.htm(注:リンク切れ)

報道の自由度 日本、22位に後退
2012.1.26 00:21


 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は25日、世界179カ国・地域を対象にした報道の自由度ランキングを発表した。日本は前年の11位から22位に後退した。東日本大震災東京電力福島第1原発事故で過剰な報道規制が行われ、「報道の多元性が制限された」としている。

 「アラブの春」の結果、中東諸国ではチュニジアが164位から134位、リビアが160位から154位にそれぞれ上昇した一方、ムバラク政権崩壊後も軍が統治を主導するエジプトは127位から166位に下がった。(ベルリン 宮下日出男)

MSN産経ニュース 2012.1.26 00:21)


この記事の見出しを見た時、えっ、22位に「後退」だって? と思った。

なぜなら、かつて『きまぐれな日々』に下記の記事を書いたことを覚えていたからだ。


きまぐれな日々 日本の「報道の自由」度は世界51位(2006年10月26日)


日本の「報道の自由」度は、小泉郵政選挙のあった2005年には37位、小泉純一郎から安倍晋三に総理大臣が代わった2006年には51位だったのだ。それが、2010年には11位にまで上がっていた。

こんなランキングにはさしたる意味はないようにも思うが、実感としても2006年頃の日本の報道には、現在の比ではない息苦しさがあった。特に2005年8月の「郵政解散」以降、小泉純一郎や「ポスト小泉」一番手と目されていた安倍晋三に対する批判は実質的にタブーだった。2006年2月、当時民主党幹事長だった鳩山由紀夫NHKの『日曜討論』で、ライブドア事件に絡んでライブドア投資事業組合に関係していた政治家として安倍晋三の実名を挙げたことがあったが、なぜか当のNHKはもちろん民放各局もそれをニュースとして取り上げたところはどこもなかった*1。あの頃、テレビや新聞はもちろん、週刊誌にさえ安倍晋三批判の記事がほとんど掲載されなかったので、数少ない安倍批判記事が出ると、私はそれが載っている週刊誌を買い求め、ブログでそれらの記事を紹介したものだ。あの頃ほど権力批判が抑制されていた時期は、私の人生で他に記憶がない。

それが、総理大臣が小泉から安倍に代わるや否や、憑き物でも落ちたかのように政権批判が盛んになった。その一年後、安倍晋三首相(当時)は「KY」と嘲笑され、参院選惨敗と腹痛のために退陣した。それ自体は痛快だったが、なんでマスコミ報道があんなに一変したのか、今もって腑に落ちないところではある。それと日本の「報道の自由度」が、「底」だった2006年から4年間で40位もランクを上げたことと相関があるかどうかは全くわからない。

報道の自由」度は、2010年の11位から2011年には22位に落ちたとのことだが、大震災や東電原発事故をめぐる報道統制以上に気になるのは、橋下徹への批判言論がほとんど見られないことだ。2005〜06年の「小泉暗黒時代」に回帰しつつあるように思えてならない今日この頃である。

*1:そうこうしているうちに永田寿康が「偽メール事件」を起こし、安倍ら武部勤自民党政治家に対する追及は沙汰止みになった。