kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

不人気ブログ記事のコメント欄からつらつら思うこと

先週の きまぐれな日々 政権を奪回して所得税増税に豹変した安倍自民党政権だが(1月28日)と、今週の きまぐれな日々 アベノミクスの「反緊縮」は良いが「公助」を軽視しすぎだ(2月4日)は、非常に不人気な記事であって、柔道女子・園田隆二一派の暴力事件に関する新聞記事を紹介しているだけでこのところアクセスが増えている当ダイアリーと比較して、1日当たりのアクセス数が5分の1程度に落ち込んでいる。

特に後者はコメントも少ないが、対照的なコメントを2件紹介したい。


http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1289.html#comment16054

松下政経塾系や旧自由党系はKOJITAKENさんが言われるとおりでしょう。
しかしリベラル派も所得税相続税減税には前向きです。
彼らは高税率である事は国民の活力をそぐという考え方ですから。
格差がないとやる気が出ないという新自由主義の典型的発想ですね。
その証拠に菅も格差はあっても良いという発言をしてます。
事実、過去民主党は両税の税率引き下げに賛成しています。
1999年の所得税大幅引き下げに、民主党は積極的でしたよね。
当時はまだ旧社会党勢が多かったので、左派が強かった頃の話です。


もう少し踏み込むと、枝野は社民主義を猛烈に批判しています。
新自由主義者と全く同じロジックで、結果の平等は悪平等であり、社会主義であると非難しています。
その点では菅も似たようなもので、社民主義は冷戦終焉と共に過去のものとなったと断じている程です。
つまりリベラル派の立場は、所得税相続税社会主義的であり、容認できないというものなんです。
彼らはかつて「敗者は四畳半の部屋で三食カップラーメンが食べられれば十分だ」という事も言っています。
建前は別として、リベラル派の本音は、所得税相続税増税には反対なんです。
彼らは松下政経塾系や旧自由党系と同じく、アンチ社民主義なんですよ。


民主党の基本骨格は、あくまでも新自由主義なんです。
民主党松下政経塾系・旧自由党系とそれ以外とに分けて考えるべきではありません。
彼らは減税と小さな政府化では完全に一致しており、一つ穴の貉に過ぎない。

2013.02.05 17:33 悪玉は民主党そのもの


http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1289.html#comment16057

全体の論旨は賛成だが、タイトルがひどすぎらあ。
アベノミクスの「反緊縮」は良いが「公助」を軽視しすぎだ』
まるで安倍が公助を少しは考えているような印象しか与えないな。このタイトルでは。
生活保護を削減した一件だけもでわかる。公助する気は毛頭ないよ。


民主党が「コンクリートから人へ」の政策と緊縮財政を間違ったという認識も正確さに欠ける。財源が足りないにもかかわらず、民主党は「コンクリートから人へ」と舵を切ったのは事実。こども手当、教育支援がそれだ。財政再建はどの党が政権をとったとしても必須の課題であった(今でもそう)。それには増税か緊縮財政かその両方かしかない。増税のつもりがなかった民主党が緊縮によるのは必然。


kojitakenさんが信奉する神野氏は民主党のブレーンだった。なのに、なぜか民主党に批判的。神野氏は「強い社会保障」を発案した。しかし、所得増税だけで強い社会保障が実現できたのだろうか、自民党の反対を押し切って所得増税先行が国会を通すことができただろうか。


kojitakenさんは民主党については収入元が悪いだけで批判し、自民党に対しては支出先がちょっと悪くても支出が大きい(反緊縮)だけで甘い評価。政権の政策を評価するためには国の予算の入りと出の双方から評価することが必要。税制の本を多読したために全体像を掴みそこなったとしか思えない。


痩せても枯れても安倍は自由主義者だ。所信表明でも「我々自身(注、国民のこと)の手によって運命を開拓するほかに道はない」と突き放した。生活保護受給者、障害者、派遣労働者、お年寄りはどうすりゃいいんだ。もっと、バーンと批判せんかい。以前、Abendの論陣をはったブロガーとも思えない。


まあ、もう一度言いますが全体の論旨は賛成です。
kojitakenさんの紹介する本は勉強になるので今度読んで見ます。

2013.02.08 00:23 tarari1036


「悪玉は民主党そのもの」というHN名の方はおそらく社民党支持、id:tarari1036さんは民主党寄り(支持者かどうかはわかりません)かと想像します。tarari1036さんが「私が信奉する」と書く神野直彦氏は、民主党とともに社民党のブレーンでもありました。神野氏はスウェーデンを範にとる考え方の人で、私は100パーセント支持ではありませんが(どんな人に対しても「100%支持」はあり得ません)、北欧が実は厳しい競争社会であり、産業構造の転換も積極的に行っていることを肯定的に評価している点も含めて神野氏の論調を支持しています。

というのは、北欧諸国が日本はもとより他のヨーロッパ諸国と比較しても、経済成長という点で成果をあげてきたからであって、かつてメーカーに勤務し、再分配とともに経済成長をも重視する立場に立つ*1私は、なぜ高福祉高負担の北欧諸国が、低福祉低負担で、特に富裕層に甘い日本と比較して成果をあげてきたかを考えることを課題としているからです。

ただ、神野氏というか北欧的な福祉国家の思想にも難点はあって、それを指摘しているのが下記『dongfang99の日記』の「追記」の部分です。


「再分配のパラドクス」について - dongfang99の日記(2010年9月3日)

 財政学者の神野直彦氏の「再分配のパラドクス」について、分かりやすい解説を見つけたので備忘録として引用しておく。

再分配のパラドックス ― 博多連々(はかたつれづれ)

http://ryuseisya.cocolog-nifty.com/hakata/2010/08/post-da12.html

本当に支援が必要な人”にのみ集中的に支援する方法は、

  • 支援の有る/無しのギャップが大きい
  • ボーダー付近で支援を受けられない人は、支援を受ける人より苦しくなる「逆転現象」も起きる
  • 支援を受ける人へのまなざしが非常に厳しくなる(「本当に困ってるのか?」「怠けてんじゃないのか?」「ウチだって苦しいのに、不公平じゃないか」etc.)
  • 支援を受ける条件・審査を厳しくせよという圧力が高まる
  • 条件がどんどん厳しくなり、ボーダーが下がる
  • 支援されてしかるべき人が除外されていく
  • 支援全体が縮小する


 「再分配」という場合、一般には高所得者から低所得者への所得移転、言い換えれば消費性向の低い人から高い人への所得移転と理解されている。しかし、再分配というものはもっと繊細に考えることが必要になる。逆説的な言い方になるが、政府による直接的な分配に依存しなければいけないような、低所得者を再生産しないようにするための再分配の仕組みを、制度的に設計することが重要である。

 単純な所得再分配の方法は、ややもすると低所得者や貧困者を再生産するメカニズムそのものが不問にされてしまう危険性がある。結果的に政府の分配に依存して生活するだけの人々が増加し、財政コストが嵩むだけではなく、彼らに対する「税金を食いつぶしている」的なスティグマが強まり、再分配の削減を主張する政治勢力が支持されるようになる。

 「子ども手当て」の問題は、高所得者も受給できてしまえるという点ではなく、ワーキングプア状態のシングルマザーを再生産しないような、制度的な設計を欠いている点にある。保育所の整備はもちろん、職業訓練、雇用創出、育児休暇など法規制の強化といった、育児支援全体の設計図のなかで「子ども手当て」が位置づけられていればいいのだが、今のところ「子ども手当」だけが極端に突出しまっており、それが世論の違和感や「廃止すべきだ」という根強い声の原因にもなっている。

 とにかく再分配というのは、単純な財や金銭の移転ではなく、教育、雇用、社会保障、法律といった制度全体で設計することが肝要である。問題は、そのためには安定した政権運営と官僚との綿密な共同作業が必要なのだが、今の民主党政権や世論の現状を考えるとほとんど絶望的になってくる。

(追記)

 ただ自分の中にもジレンマはあって、北欧型のワークフェアは政策論的には正しいとしても、倫理的にはどうなのかなというのはある。そもそも、働く能力や意欲を失っている(大多数は低所得・貧困の)人を排除してしまうのではないか、またそういう人を「二級市民」に貶めてしまうのではないか、という疑念はある。前にも書いたが、好き嫌いの話だけで言えば、北欧モデルは必ずしも好みではないし、日本が全面的に北欧のようになるべきだとも全く思わない。

 湯浅誠氏のような貧困運動の最前線にいる人は、そもそも「働く意欲を失ってしまった人」に膨大に直面しており、しかもそれは日本社会の中にある独特なワークフェア文化によって排除されてきた人たちなわけで、湯浅氏のような貧困運動家が、日本の文脈を念頭においた上で、北欧型のワークフェアに懐疑的になるのは、やはり当然であると思う。これは、福祉国家論者が真摯に直面すべき問いである。


この記事では、最初に紹介したお二方のコメントに対するコメントを長々と書こうかと思ったが、とりとめのないものにしかなりそうにないのでやめておく。

ただ、tarari1036さんのコメントで、神野直彦氏は民主党のブレーンだったのに、なぜ「民主党については収入元が悪いだけで批判し、自民党に対しては支出先がちょっと悪くても支出が大きい(反緊縮)だけで甘い評価」をするのか、という点にだけ答えておくと、神野氏の思想では財政政策の基本は「量出制入(出を量って入を制する)の原則」に基づくので、それに沿って論じるとそうならざるを得ないということです。但し、「アベノミクス」においては、政府支出が公共事業に偏重していて、社会保障費を削減しようとしているのは論外であるのは、記事にも書きました。「安倍は『公助』を無視している」というタイトルにでもすれば、多少はtarari1036さんのお気に召したのかもしれませんが、それでは「反緊縮」の評価という論点を損ねるので、多少安倍に甘い印象を与えることは承知の上で記事のタイトルを決めた次第です。


さて、記事本文で田中角栄の再評価をしながら小沢一郎をこき下ろすことをやったのだけれど、その根底には、自民党保守本流が高度経済成長を導きながら、「小さな政府」を維持しようとして減税をやりまくった*2こととは対照的に、田中角栄は敢然と、かどうかはわからないが、今日では「バラマキ」の一言で批判されている積極財政路線をとったことがある。ある時、その田中角栄の「左派性」を評価して、なおかつ「小沢信者」になっている新左翼崩れの人間の論考を目にしたことがあるが、その人物は小沢一郎田中角栄の延長線上で捉えていたようだ。しかし、小沢こそ初当選当時から「所得税・住民税の大幅減税」を唱えていた「小さな政府」志向がきわめて人間だった*3。その点に関しては、小沢の政策は師も田中角栄とは真逆と言っても過言ではなく、調べれば調べるほど私はその確信を強めた。そして、私が目にした「田中角栄の左派性」を評価する論考を書いた現「小沢信者」が私の小沢批判に切れているらしいことを、下記Twitterを通じて知った。


https://twitter.com/bogussimotukatr/status/299466561369042944

@rendaico やれやれ。小沢ファンならきちんと「お前の紹介したid:kojitakenid:vanacoralの小沢批判を読んだが間違ってる。反論する」位のことを言ったら?。「かわいげがない」とかどうでもいいことしか言えないのが哀れ。別に小沢信者に好かれたくないですけど


なんだかんだ言って、旧「日本未来の党」に入り込んだ小沢一郎が、新左翼崩れの多くの人間を道連れにして壮絶に自爆したのが先の総選挙だった。Twitterではまだ余燼がくすぶっているようだが、ブログを運営する側から言わせてもらうと、昨年末の衆院選まで、あれほど多くもらった「小沢信者」からの嫌がらせのコメントはめっきり減った。その代わりに増えたのがネトウヨからの嫌がらせのコメントで、最近はこのダイアリーで晒すのも面倒になったので、削除するか未承認で放置するかのいずれかにしている。気の利いたコメントでもあれば紹介して晒しものにするのだが、最近のネトウヨにはその程度の知性もないらしく、つまんないから事務的に彼らのアホコメントを削除する今日この頃である。

*1:「強い経済」がなければ「強い社会保障」は望めないと私は考えている。

*2:1960〜70年代当時、社会党共産党もこれに反対するどころか、積極的により多くの減税を求めていた。最初に紹介したコメンテーターの方は、民主党のいわゆる「リベラル派」(私は彼らが「リベラル」の名に値するとは必ずしも思わないが)がずっと減税を求めていたとしてこれを批判していたが、それを言い出したら旧社会党共産党も同罪になる。

*3:その小沢一郎が、単に小泉純一郎に対抗するためだけの目的で「国民の生活が第一」なるスローガンとそれに沿った政策を掲げたから、「入りは小さな政府、出は大きな政府」という自己ねじれを起こしてしまったのである。