kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

サッチャーの死を多数の英国民が祝賀/フォークランド戦争について

当ダイアリーの記事を毎日お読みの方はお気づきと思うが、私はマーガレット・サッチャーの死を扱った一昨日と昨日の2本の記事で、故人に哀悼の意を表さなかった。以前中川昭一がおそらく酒の飲み過ぎと関係すると思われる病気によって若死にした時に書いた記事に対して、お悔やみの言葉もないのか、とネトウヨから罵倒されたことがあるが、その時には別に意図して弔意を表明しなかったのではなかった。しかし、あの時罵倒されたことによってかえって、弔意を欠片ほども感じない人間に対して、心にもない儀礼的な決まり文句など書くものかと固く心に誓ったのである。

サッチャーがだいぶ前から認知症になっていたことは知っていた。一つの時代が終わったと思ったのはサッチャー認知症を患ったニュースを知った時であり、今回ではなかった。もはや新たな言動によって世界に悪影響を与える恐れなどとっくの昔になくなっていた人間に対して、いまさら憎悪を新たにすることもなく、訃報を聞いた時には自分でも意外なほど冷静だった。しかし、現実にサッチャーに痛めつけられた記憶が今も生々しいイギリスの人たちにとって、そんなに簡単に過去を水に流すことなどできなかったに違いない。

4/9の朝刊で歯の浮くような哀悼の記事しか書かなかった朝日新聞も、同日の夕刊には「『鉄の女』死後も英国二分」と題した記事を掲載しているが、朝日新聞デジタルの無料記事には出ていないようなので、よく似た毎日新聞の記事をまず紹介する。やはり夕刊の記事である。蛇足ながら、毎日も朝刊はおそらく朝日のそれと似たようなものだったのではないかと想像する。


http://mainichi.jp/select/news/20130409k0000e030204000c.html

サッチャー氏死去:哀悼も批判も…分かれる英国世論


 【ロンドン小倉孝保マーガレット・サッチャー元首相の死去(8日)について、英テレビなどは特別番組に切り替え各界からの哀悼の声を伝えた。一方、インターネットなどでは、「最良のニュースだ」といった意見も相次ぎ、業績への評価が極端に分かれるサッチャー氏らしい最後となった。

 BBC放送はサッチャー氏死去のニュースが飛び込んだ直後から、この関連ニュースを継続して報道。キャメロン英首相やオバマ米大統領ら内外からの哀悼の声を報じた。

 また、元首相のかつての側近や元首相を取材したジャーナリストなどが、強力なリーダーシップで英国経済を衰退の危機から救い、国際社会での英国の地位を押し上げたと、その業績を評価した。

 一方、インターネット上には、サッチャー氏死去を歓迎するページが設置され8日夕方までに約20万人がアクセスした。ある労働組合員がツイッターでパブでの祝賀パーティーへの参加を呼びかけたほか、元炭鉱労働者はフェイスブックに「人生で最良の日だ」と書き込んだ。

 また、テレビの中継でも、涙を浮かべながら悲しむお年寄りの女性が紹介された後、「サッチャーが私の街をぶちこわした。私は彼女の死を歓迎する」と答える男性が登場するなど意見は二分した。良かれあしかれ、英国でこれほど国民に愛され、これほど国民に憎まれた指導者は少ない。

毎日新聞 2013年04月09日 13時04分(最終更新 04月09日 13時53分)


毎日のサイトにはロイターが配信したサッチャーの自宅前の保守党関係者の弔問の写真が出ているが、朝日の夕刊にも朝日の特派員が撮影した「サッチャー氏の自宅前で献花する家族連れ」の写真が出ている。以下、朝日の4月9日付夕刊掲載記事から、サッチャーに肯定的ないし中立的な文章をすべて割愛し、サッチャーdisの部分のみ抜き書きする(笑)

(前略)製造業の衰退を招き、労働者の強い反発を招いた。(中略)自宅近くを通りかかった政治活動団体の女性職員(48)は「現代英国で最も国を分断した政治家だ」と言い切った。

 国営企業の民営化を進めたサッチャー氏は1980年代、非効率な炭鉱などを次々に閉鎖した。社会派の英映画監督ケン・ローチ氏は「大量失業、工場閉鎖、地域社会の崩壊。彼女の敵は英国の労働者階級だった」とばっさり。英北部ダラムの炭鉱労働者協会書記長は「全炭鉱労働者にとって司馬らしい日。葬儀の時にはデモを行う」とメディアに語った。

 サッチャー氏を嫌う人たちが設けた「サッチャーはもう死んだか」というウェブサイトにはアクセスが殺到。ロンドン南部と英北部グラスゴーの街頭では8日夜、数百人がビールを手に気勢を上げた。(後略)

朝日新聞 2013年4月9日付夕刊2面掲載記事「『鉄の女』死後も英国二分」より)


ところで、経済政策以外でもサッチャーには多くの悪行がある。その最大のものが1982年のフォークランド戦争(一般には「紛争」と呼ばれる)だろう。

この件を、当時を回想しつつ書かれたブログ記事があるので紹介する。


安倍が信奉するサッチャリズムの功罪~サッチャー元英首相の訃報に接して : 日本がアブナイ!(2013年4月9日)より

(前略)サッチャー元首相が、82年に南米のアルゼンチンの横にあるフォークランド諸島の領有権を守るために、軍隊を派遣し、アルゼンチン軍と戦闘を行なったことも、世界から大注目された。(@@)


 第二次世界大戦後、英米などは(とりあえず?)帝国主義をやめ、植民地としていた領土を徐々に解放して行ったのであるが。英国は、アルゼンチンがフォークランド諸島を実効支配しようとしていたことを許容せず。原子力潜水艦、レーザー照射機、長距離爆撃機をはじめ、近代兵器や特殊部隊なども総動員する形で、延べ8000人の軍隊を派遣。米国やNATO軍の支援も受け、1ヵ月半でアルゼンチンを降伏させた。
<両軍の死者は約1000人(英軍は256名)、負傷者は約2000人(英軍は777名)だったという。>


 正直を言うと、mew的には、英国がはるか南米の端の小さな諸島の領有権侵害に怒って、大規模な軍隊を出して制圧しようとしたことに、チョット驚いてしまったところがあったのだが。<誰かがTVで「結局、英米帝国主義、世界の植民地化は終わっていない」と言っていたのを見て「そうなのかもな〜」と思ったのを覚えている。>(後略)


ここに書かれている、テレビで誰かが言ったという「結局、英米帝国主義、世界の植民地化は終わっていない」との論評は、当時のこの戦争に対する代表的なマスコミの論調だったと記憶する。サッチャーの首相就任前からずっと激しく嫌い続けていた私などは、「やはりサッチャーというのは恐ろしい女だ」と思ったものだ。

同じブログに、安倍晋三が2月28日に行った施政方針演説で、わざわざフォークランド紛争に関するサッチャーの言葉を引用したことに言及したエントリがある。


安倍、高支持率で図に乗り始める?安倍カラーがにじんだ施政方針演説 : 日本がアブナイ!(2013年3月2日)より

(前略)また「強い国」がらみで言えば、mewが、ちょっとギョッとさせられたのは、安倍首相があえてサッチャー英元首相の言葉を引用して、中国を牽制&国民の危機感を煽っていたことだ。(゚Д゚)

フォークランド紛争を振り返って、イギリスのマーガレット・サッチャー元首相は、こう語りました。
 「海における法の支配」。私は、現代において、「力の行使による現状変更」は、何も正当化しないということを、国際社会に対して訴えたいと思います。
 安全保障の危機は、「他人事」ではありません。「今、そこにある危機」なのです。」


 これは一部では物議をかもしていたようで、毎日新聞には、こんな記事が出ていた。

安倍晋三首相は28日の施政方針演説で、英国のサッチャー元首相が1982年のフォークランド紛争を回顧した言葉を引用し、沖縄県尖閣諸島周辺で領海・領空侵犯を続ける中国をけん制した。
 サッチャー氏の発言は回顧録にある「何よりも国際法が力の行使に勝たなくてはならない」という一節。周辺には「誤解されかねない」として引用に慎重意見もあったが、首相が押し切ったという。(毎日新聞2月28日)』


 フォークランド紛争とは、大西洋上の南米のすぐ横にあるフォークランド諸島の領有権を巡る対立から、82年に3ヶ月にわたり行なわれた英国とアルゼンチンの間での戦争のこと。<両軍で約1000人の死者が出た。>「鉄の宰相」と呼ばれたサッチャー英元首が、同諸島の領有権を守るために英海軍部隊を派遣したことで、世界から注目された。


 でも、一国首相として、あえて国会の演説でこの言葉を取り上げることは、オモテ向きは「国際法」重視をアピールするものであっても、そのウラで、いざとなれば出兵も辞さないという姿勢を示しているとも誤解されかねないし。また、日本がサッチャー政権の時のような国政を目指すことを宣言しているようにも思えた。


<実は、安倍氏&仲間たちは、昔からサッチャーに憧れて、勉強会などを行なっており、その施策を見習おうとしているところがある。
 サッチャーも超保守タカ派の思想の持ち主で、古きよき(?)強いイギリスを取り戻すことを公言。軍事強化に努め、フォークランド諸島でも毅然と武力行使を行なった上、経済強化のためにサッチャリズムを断行したり、自虐的歴史観を修正を含め、愛国教育を強化していたからだ。>(後略)


いつの間にか、サッチャーの言葉を肯定的に引用する安倍晋三に違和感を感じない人間の方が多数を占めるようになった。ここ30年間における日本の右傾化はそれほどにも急激だ。


Wikipedia「実効支配」の項を参照すると、

フォークランド諸島(スペイン名:マルビナス諸島)- 植民地時代にスペインへの帰属が確定し、植民地の独立後主権もアルゼンチンに受け継がれていたと考えられ、1820年にリオ・デ・ラ・プラタ諸州連合に編入されたが、1833年にイギリス軍の攻撃により占領され、以降イギリスが現在に至るまで実効支配を続けている。

と書かれている。これが一説によると「『国際法』上ではイギリスの領有権が認められる」ということらしいのだが、1982年当時も今も私の意見は、上記に引用したブログ主さんが1982年に感じたことと同じかどうかはわからないが、「『英国がはるか南米の端の小さな諸島の領有権侵害に怒って、大規模な軍隊を出して制圧しようと』するとは、帝国主義そのものではないか」ということである。フォークランド諸島の領有権について、本当に国際法上イギリスに一方的な理があるのか、それ自体疑わしいと私は思うが、仮にイギリスに一方的に国際法上の理があるというまことしやかな通説が本当であるとすれば、国際法というのもずいぶんと不正義や矛盾をはらんだいい加減なものだと思わずにはいられない。こんなことを書くとまたまた批判を浴びそうだが、フォークランド諸島の地理的な位置からして、イギリスに領有権があって然るべきだとは私には到底信じられないのである。サッチャーが1982年に行ったことは帝国主義の発現そのものであって、それを施政方針演説に引用した安倍晋三もまた、トンデモ元外交官・孫崎享が絶賛するA級戦犯容疑者・岸信介の孫だけのことはあるというべきか、帝国主義者植民地主義者としての本性をむき出しにしたというほかない。

サッチャーといえば、新自由主義的な政策の印象ばかりが強いが、上記ブログ記事にも紹介されているような「超保守タカ派」(=極右)政治家としての側面に対する批判も怠ってはならないだろう。もちろんこの国の総理大臣である安倍晋三や、石原慎太郎橋下徹、その他有象無象に対する批判も欠かせないけれど。