kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

文化の日

今日は文化の日。1946年に日本国憲法が公布された日を記念する祝日だが、明治天皇の誕生日でもあり、明治時代には「天長節」、明治天皇の死後1947年までは「明治節」という名前の「祭日」だった。何やら、日本国憲法の「主権在民」の精神に抵触する馬鹿げた行為を行った山本太郎に対して、極右や右翼にとどまらず、どうやら保守的な心情を持つらしい日本人の多くが、山本に対して「不経済」の類の批判を行ったらしいことと二重写しになる。つまり、この国にはまだまだ日本国憲法大日本帝国憲法の二重構造が存在するらしいのだ。

10月31日から昨日(11/2)まで、そのことを嫌というほど思い知らされて暗澹たる気分になったのだけれど、この件に言及するのは、できればこれで打ち止めにしたい。「できれば」というのは、もし山本に議員辞職を求めるだの除名するだのの話になったらまた言及しないわけにはいかないからだが、重ねて断っておくけれども私は山本の「処分」には断固反対である。「除名」など言語道断だし、山本が議員辞職をする必要もないと思う。山本が議員辞職に値するなら、安倍晋三以下自民党や維新の怪の国会議員どもの大部分や、民主党議員の多くも議員辞職しなければなるまい。

最初の文に戻って、「祭日」の話だけれど、私の親は「国民の祝日」のことを「祭日」と呼んでいたから、小学生の頃は私も「祭日」と呼び慣わしていた。日本国憲法を知ってから「祭日」という言葉を使うのを止めて、「祝日」と言うようになったのだけれど、昔は「祭日」と言う人が多かったが、最近は「祭日」とはほとんど呼ばれなくなったように思う。お年寄りは今でも「祭日」と呼ぶのかもしれないけれど。

それが、昨年とある中華料理店で、中国人の店員が「祭日」と言っているのを聞いてあれっと思ったのだった。いかなる日本語教育を受けたのかは全く不明だが。

また、日本国憲法の公布日を11月3日としたことには、明らかに政治的な意図があったようだが、大日本帝国憲法時代精神を温存しようとした当時の保守派がかけた呪いは、解けることなく現在に至っていると思われる。この祝日は、暦に合わせて日が変動しない月日固定の祝日だが、上記のつまらない呪いを解くためにも、暦に合わせて毎年11月の第1月曜日に改めても良いのではないか。また2月11日の建国記念の日は廃止すべきであろう。

祝日の固定日・移動日の選定には理不尽なものが多く、たとえば次の「勤労感謝の日」は月日固定の祝日であり、今年は土曜日であるため3連休にはならない。なぜ「勤労感謝の日」が固定されているかというと、それはこの日が「新嘗祭」の日だからである。こういったつまらない縛りを解き放って移動日の祝日を増やし、実質的に休日を増やす代わりに、百害あって一利なしの「建国記念の日」を廃止してしまえば良いのである。