kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

内田樹とは「リベラル」を「戦前回帰」へと導く「ハーメルンの笛吹き」なのではないか

あっという間に前言撤回となってしまい、再び山本太郎の件に言及するが、「リベラル」の人々に対する影響力の強い人間が発した、決して看過できないTwitterを見つけてしまったので、これに言及する。

https://twitter.com/levinassien/status/396159380636180480

内田樹
@levinassien

山本太郎議員が園遊会天皇陛下に「直訴」したことが問題になっていますが、「天皇に直訴すればなんとかしてもらえるんじゃないか」という依存の感覚を一般市民が天皇制に対して持つようになったというのは、じつはものすごくひさしぶりのことなのであります。それに驚くべきでしょう。

2013年10月31日 - 23:18


一瞥して、山本太郎に批判的に言及したものかと思ったが、どうやら違うらしいと気づいて愕然とした。

https://twitter.com/levinassien/status/396160067638009856

内田樹
@levinassien

誰も気づかないうちに天皇陛下の「政治的実力」は非政治的な行動を通じて蓄積されていったのです。今日本でいちばん信頼されている「公人」は間違いなく天皇陛下ですから。政治家と官僚の質があまりに劣化したために天皇陛下の「公正さ」が際立ってきている。

2013年10月31日 - 23:21


内田樹は、どうやら大衆*1が「リベラルなテンノーヘーカ」に依存するようになったことを言祝いでいるらしいのである。こんな文章を書くのが「知識人」のあるべき姿なのか。大いに疑問を感じる。

人間の寿命は有限だから、天皇は移り変わっていき、未来においてどんな人間が天皇になるかわかったものではないという話もあるが、それ以前に現段階においても、山本の軽挙妄動が自民党だの維新の会だの民主党だのによって「『天皇の政治利用』という名の『政治利用』」をされている現状を思う時、内田樹が「リベラル」たちをミスリードしている罪は極めて重いと考える。

「(リベラルな)天皇」に「直訴」すれば「なんとかしてもらえるんじゃないか」という発想(妄想)は、「新保守の旗手」から「リベラル」の政治家へと転身したらしい「小沢一郎」に依存すれば「なんとかしてもらえるんじゃないか」と考える「小沢信者」の思考回路そのものでもある。現に山本太郎は先の参院選で、新潟選挙区から立候補して落選した生活の党公認候補・森裕子の応援のために自分の選挙そっちのけで新潟入りした人間であり、「小沢信者」御用達の政治家といえる。また内田樹自身、小沢一郎のシンパといえる。私がこのTwitterにたどり着いたのも、某「小沢信者」のブログを経由してだった。

その手の「なんとかしてくれそう」な「偉い人」に対する依存心が日本の民主主義をダメにした、というより日本に民主主義が根づくのを妨害していると日々痛感するのだが、内田樹は、この傾向にさらに拍車をかけようとしているように見える。

内田樹とは、「リベラル」たちを「戦前回帰」へと導く、「ハーメルンの笛吹き」なのではないか。

*1:参議院議員である山本太郎は、決して「大衆」などではなく権力者であるが、そのことはひとまず措く。