特定秘密保護法案の衆議院通過を報じた昨日(11/27)の朝日新聞オピニオン面は、しかしながら法案に関してではなく「内なる天皇制」と題した森達也のインタビューだった。
まず森の言葉を引用する。
「騒動後に社会とメディアにあふれた言葉は『政治利用』だけではなく、『非礼』や『失礼』でした。この国の『内なる天皇制』はこれほどに強固だったのかと感じ入りました」
同感である。
だが、これを聞き手は「どういうことですか」と聞く。森達也の答え。
「大学の授業で、学生たちに山本さんの行為をどう思うかを聞くと、一様に『失礼だ』『不敬だ』との答えが返ってきました。その表情は真剣です。(中略)彼らは平成生まれです。なのに天皇はタブーに囲まれた特権的な存在だという意識をいつの間にか内面化している。これが『内なる天皇制』です。今の若い世代は権威に従順で空気に感染しやすいので、自然とそうなってしまったのでしょう」
「権威に従順で空気に感染しやすい」のは何も「今の若い世代」に限らないだろうと、そこに私は引っかかったが、聞き手はそこには突っ込まず、
−− とはいえ歴史を踏まえれば、天皇の政治利用は許されません。
と聞く。この時点で、聞き手はあの記者じゃないかと思って欄末を見ると案の定。高橋純子記者であった。以下森達也の答えより。
「そうですね。しかし天皇制の歴史は、時の政治権力に利用され続けてきた歴史ともいえる。その究極がアジア太平洋戦争です。しかしアメリカは日本の占領統治を円滑に進めるために、天皇制を残した方がいいと考えた。そのために昭和天皇は戦争に積極的ではなく、軍部に利用されただけだという『物語』を強調しました。(後略)」
このあと、森達也の話は昭和天皇も現天皇*1もA級戦犯の合祀後靖国を参拝していないこと、一方で自民党が靖国参拝や天皇元首化に執念を燃やすという「倒錯した政治利用」があり、それに自民党も国民も無自覚だったからこそ山本太郎の件で表層的な批判しか行われず「内なる天皇制」や皇室タブーがさらに強化されたことへと続き、今年4月の「主権回復の日」で安倍晋三や麻生太郎を含む出席者が「天皇陛下万歳」をしたこと、それを政府がインターネットにアップした動画から「天皇陛下」の音声を消去していたことが言及される。
以下再び記事から引用。
−− 原発反対の一点で支持され、国会議員になった山本さんが、その原発問題について天皇に「直訴」する。戦後の民主主義とはいったい何だったのでしょうか。
「民主趣致や主権在民という言葉がむなしく響きます。結局は与えられたままになっているということです。その理由の一つは、やはり天皇制にあると思います。統治者と被統治者という緊張関係があるからこそ、被統治者の権利への意識が覚醒し、民主主義は実体化する。しかし日本では、天皇制がその緊張関係に対する緩衝材のような役割を果たしてしまう。為政者にとってはとても都合の良いシステムです
−− 山本さんの弁明は「この胸の内を、苦悩を、理解してくれるのはあの方しか居ない、との身勝手な敬愛の念と想いが溢れ、お手紙をしたためてしまいました」でした。
「まるで一昔前の恋文ですね。でも考えてみれば、山本さんほど直情的でないにせよ、天皇に対する信頼がいま、僕を含め、左派リベラルの間で深まっていると思います」
このあたりから話がおかしくなる。森達也は、「内なる天皇制」「菊のタブー」を助長した山本太郎への批判もそこそこに、現天皇に対する親近感を語っているのである。おそらく聞き手の高橋純子記者の誘導のせいもあるだろう。この部分を割愛し、最後の段落へと移る。
−− ただ、天皇への思い入れが薄い若い世代が増えれば、状況はずいぶん変わってくるでしょう。
「僕もそう思っていましたが、今回、それは違うと気づいた。老若男女を問わず日本人は好きなんですね、『万世一系』という大きな物語が。日本は世界に例を見ない特別な国なんだという、インスタントな自己肯定感を与えてくれますから」
「天皇制は、選民思想を誘発します。この国の近代化の原動力の一つは、他のアジア諸国への蔑視であり優越感で、敗戦後もその感情は持続しました。(中略)しかしGDP(国内総生産)で中国に抜かれ、近代化のシンボルである原発で事故が起き、日本は今後間違いなく、ダウンサイジングの時代に入ります。でも、認めたくないんですよ。アジアの中のワン・オブ・ゼムになってしまうことを。ひそかに醸成してきたアジアへの優越感情をどうしても中和できない。その『現実』と『感情』の軋みがいま、ヘイトスピーチや、『万世一系』神話の主役である天皇への好感と期待として表れているのではないでしょうか」
「結局、戦後約70年をかけてもなお、僕たちは天皇制とどう向き合うべきか、きちんとした答えを出せていない。山本さんの軽率な行動は図らずも、このことを明らかにしてくれました」
あらぬ方向に行ってしまうかに見えたインタビューは、最後の部分で持ち直したかに見えたが、山本太郎の行為を「軽率」と軽く片付けてしまったあたり、やはり及第点はつけられない。山本の行為は、日本をますます民主主義や主権在民から遠ざけてしまうものであって、「軽率」では批判が弱すぎるのである。
途中引用をはしょった森達也の現天皇への親近感についていえば、現天皇が「リベラル」な思想信条を持っているらしいことが、逆に天皇制を強化するというパラドックスに陥っていることをもっと強調すべきであった。それを森達也は回りくどい表現で語っていると解釈できるところが引用を省略した部分に少しあるとはいえ、いかにも弱い。それを象徴するのが、最後の「山本さんの軽率な行動」という言葉なんだろうなと思った。
私自身についていえば、これまで「象徴天皇制は好ましくないが、明治維新以後政府に考え方を刷り込まれた人たちと妥協するためには仕方ないかもしれない」と思っていた。しかし今回の山本太郎の「お手紙事件」とこれに対する国民の反応を見て、この考えが誤りであったことをはっきり悟った。天皇制のタブーは、時とともに薄れてきたものとばかり思い込んでいたが、昭和天皇が死んでから間もなく四半世紀になる今、全然そうなっていなかったことを、今回いやというほど思い知らされたからだ。
やはり、天皇制は廃止しなければならない。