kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

野党が「〇〇なんて憲法に書いていない」という論陣を張るのは質悪。このロジックを与党が使い出したら山本太郎は切腹モノ (Oricquen氏)

 Oricquen氏のツイートより。

 

 

 それはいえているが、そもそも山本太郎という人は地金が保守あるいは右翼だからそういう言葉が自然に出てくるのだろう。党名に現元号や「新選組」をつけるセンスにも山本の体質がよく現れている。

 私は2013年に山本が当時の明仁天皇に「直訴」した頃には既に彼の本性は保守あるいは右翼だと見切っていた。それなのにそれから10年が経つ今に至るも若い世代になればなるほど「左」を自認する人が新選組になびく割合が増えるというのだから頭が痛い。弊ブログがこのところ共産党が変わるべきだと繰り返し主張しているのも、×××新選組のような「右」も「左」もないポピュリズム政党にいつまでのさばらせるんだよ、という苛立ちが強いからだ。私には共産党が「ゆで蛙」になっているように見える。

 あの鮫某ですら言っている通り、新選組がローテーション制をやるなら参院選前に公約に掲げなければならなかった。しかし参院選前には水道橋博士氏が鬱病議員辞職することなど山本やN氏や緑の党系の連中は想定していなかったから大島九州男氏の議席獲得を阻止するためにそんな公約は掲げず、水道橋氏の議員辞職止むなしの事態になったために大島議員を短期で追い落とすためにローテーション制を持ち出したとみるほかない。それは、かつてドイツの緑の党が「カリスマ指導者の支配を防止し、草の根民主主義を実現させる」狙いで試行したローテーション制の精神とは真っ向から反する暴挙だ。山本がローテーション制を「今回に限って」などと言ったり、大島議員が議員辞職しない場合を「居座る」という言葉で表現したことなどは「問うに落ちず語るに落ちる」の好例であって、気に入らない構成員をパージするための権力の濫用だったという以外の解釈はできない。山本の衣の下から鎧が見えるのである。

 山本太郎と×××新選組は、今や「民主主義の敵」というべき政治勢力にまで堕落した。