まず、比例代表制の選挙で選ばれた議席のローテーションについて、弊ブログは頭ごなしに否定する立場には立たないというスタンスを明確にしておく。比例代表制とはもともと政党を選ぶ制度だからだ。多く指摘されている通り、もともとドイツの緑の党がローテーション制を導入したのは、草の根民主主義(あるいは底辺民主主義)の実現のためだった。以前にも触れたが、ドイツの緑の党でこの試みをぶち壊したのはそれこそ「居座り」をしたカリスマ指導者だった。下記リンク先に詳しい。
以下引用する。
(前略)「神奈川ネットワーク運動(以下、ネット)」とあえて政治団体らしからぬ名称にしたのも、彼らが「緑の人々(Die Grunen)」と名乗っていたことが影響している(注1)。
その後、ネットが1980年代半ばに2期8年を原則とする議員のローテーション(任期交代)制度を決めたのも、個人主義的でカリスマ的なリーダーを否定する緑の党の制度がヒントだった。その後、「東京・生活者ネットワーク(元、グループ生活者)」をはじめ他の自治体で誕生したローカル・パーティーもローテーション制度を導入していった。
(注1) 一般的には「緑の党」と呼ばれるが、正式名称は「緑の人々(Die Grunen)」。東西ドイツ統一後に、東ドイツの市民グループ「同盟90」と統合したことで、「同盟90/緑の人々(Bundnis 9?0/Die Grunen)」になった。
すでにローテーション制度を廃止していた緑の党
私は1988年秋から1990年までの2年半、イギリスに在住して、生協や労働者協同組合、緑の党などを訪問・調査していた。驚いたのは、オーストリアで開催された欧州緑の党の集会でのことだった。出席者から、「すでにローテーション制度はほとんどの国で廃止された」と聞かされたのだ。それも真っ先に、廃止を主張して議員を続けたのは、ドイツ緑の党の創設者の一人であり、世界の緑の党にとってスター的存在だったペトラ・ケリーだった。
ドイツ連邦議会は小選挙区比例代表併用制を採用しており、比例代表選挙は名簿拘束式なので、緑の党は議員を任期途中の2年で交代するルールを決めていた。議員が辞任すれば、同じ政党の下位の名簿の後継者が繰り上がって議員になる仕組みで、4年間に2人が議員を経験することになる。
ところが1983年の初当選から2年後の1985年、全議員が辞任する中、1人が拒否して議員を続けた。それがペトラ・ケリーだった。結局、1986年の総会で交代制が廃止され、任期は各州レベルの緑の党が判断することになった。もちろん議員が職業化することを危惧して反対するメンバーもいたが、実際には後継者にすべての経験を引き継ぐことはできず、組織が弱体化することは明らかだった。
結局、90年代には、議員だけでなく、1年で交代するはずだった議長や事務局長も継続が認められるようになっていた。
この伝でいうと、今後「×××ローテーション」が実施された場合に本当に「居座る」のは、緑の党の構成員にして昨年秋にリズ・トラスを絶賛するツイートを発して赤恥をかいた実質的な新自由主義者である某氏ではなかろうかと皮肉に想像する。それにしても、もともとカリスマ指導者の独裁を抑えるために考案されたローテーションを、カリスマ独裁者自身の恣意的な権力行使に悪用しようとは開いた口がふさがらない。
とはいえ、一定の理念に基づいて採用されたローテーション制であればそれを肯定的に受け止めることは可能だ。さらにいえば、弊ブログは現行の衆院選の小選挙区制比例代表並立制の方がよほどクソであり、小沢一郎らが旗を振って導入したこの制度こそ日本の政治をダメにした最大の元凶だと考えている。
たとえば井戸まさえ氏も下記のように呟いている。
れいわを批判する人は、まず「そもそも今の選挙制度、どうよ?」と問うべし。非常に重要な問題提起だと思う。
— 井戸 まさえ (@idomasae) 2023年1月16日
衆議院では小選挙区敗者のセーフティネット的な役目となって、比例復活する顔ぶれは毎回同じ〜固定化=既得権化している面も。目的とは違い、相当に歪んだ使われ方しているんだから。
井戸氏の意見には理がある。弊ブログも最初に「×××ローテーション」を取り上げた時、まず賛否双方の主張に耳を傾けると書いた。
その後、新選組(というよりその独裁権力者である山本太郎)がこれを「今回限り」(これ自体ふざけた話である)採用したのは、党(組)内権力抗争の片側に加担するために党首である自らが持つ権力を濫用しただけのことだとの心証を得た。だから山本と新選組を批判しているのである。ローテーション制を採用するのであれば、参院選前にそれを示すべきだったという鮫島浩の主張は(鮫島には珍しく)正しい。ただ、鮫島が書いた記事の目的が大島九州男氏に対する威嚇あるいは恫喝であり、新選組の信者に向けて吹いた犬笛であるとのsumita-m氏の指摘(下記リンクのブログ記事)はその通りだと私も思う。
もちろん私は大島氏が鮫某ごときの恫喝に屈することなどあってはならないと考えている。今回の件で信者ではない新選組の構成員や支持者も少なからずいることがわかったので(これは今回の騒動で得られた最大の収穫だ)、彼らには大いに活発な党内での議論を行っていただきたいと強く願う。彼らに罵詈雑言を浴びせかけるヤマシン(山本信者)どもなんか蹴散らしてもらいたい。
弊ブログは新選組に限らず同様のパワハラが見られると思われる立憲民主党や共産党をめぐる議論でも、声を挙げる人たちを応援し、それを圧殺しようとする某暴犬その他が発する一犬ならぬ万(番)犬の吠え声は無視する。そして自らの支持政党の件になると口を噤んでしまう人たちの怯懦を憎む。立民で弊ブログが評価できる衆院候補者は愛知10区の藤原のりまさ(規眞)氏であり、Twitterアカウントで目に入る範囲ではぷろもはん氏のツイートに好意を持って接している。一例として下記ツイートを挙げておく。
自分の市議選のこと考えたら、ここまで勇気振り絞れない。
— ぷろもはん🕊🌈💙💛 (@promoterno26) 2023年1月23日
元々森川さんは、旧立憲の頃から立憲らしさを1番持っていた人。
ぜひこれを読んでほしい… https://t.co/mx5pUa2mW2
共産党の件は今回は具体例には触れない。党首公選の是非よりも、声を挙げる行為に対する反応を弊ブログは注視している。