kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山本太郎を増長させた既存野党(社民・立民・共産)の責任

 しつこく山本太郎について。

 

 

 「党名が元号の隠れた理由」というより、あの党名こそ「名は体を表す」典型だと思うよ。

 内なる天皇制どころか、党運営が天皇制と根っこが同じであることを高らかに宣しているものだ。

 それに反応できない「オールド左翼」は「内なる天皇制」を抱えているといえる。

 それが「気持ち悪いというか無節操」という感想は私も同じだ。だが、×××新選組よりも「野党内の覇権主義」を問題にしていると見受けられる呟きの主とは違って、私は「野党内の覇権主義」も「×××新選組」の天皇制的党運営も両方とも同じくらい問題だと考えている。

 同じ呟きの主のツイートより。

 

 

 2013年の参院選で民主と共産は候補を立てたけれども社民は候補を立てずに山本太郎を応援した。今となってみれば、社民党は間違った判断をしたとしか言いようがない。もっとも社民党の誤りは何も山本太郎絡みだけではなく、それ以前から小沢一郎衛星政党と化していた。2010年6月の民主党代表選で、「社民党にも理解を得られる候補を」と発言した小沢一郎が、舌の根の乾かぬうちに右派にして過激な新自由主義者樽床伸二を担いだ時、社民党から違和感が表明されることは全くなかった。この惨状に呆れた私は、それ以降の国政選挙で社民党に投票する機会が激減した。福島瑞穂は比較的最近にも民民の玉木雄一郎にすり寄ったことがあったし、政局のセンスが絶望的に欠けている。社民党衰退は歴史的必然だったかも知れないが、福島氏には少なくとも党の衰退を大いに加速させた責任がある。

 立民と共産にもそれぞれ山本太郎にすり寄ったことが少なからずあった。昨年の衆院選では東京5区の手塚仁雄が自らの選挙区事情から山本と手を握っていたことはほぼ確実と見られる。

 また共産党では、2019年の「野党連合政権での協力合意」が大失策だった。当時の赤旗記事(2019年9月13日)を以下にリンクする。

 

www.jcp.or.jp

 

 共産党民主集中制違反の分派を認定された「日本共産党(左派)」(毛沢東主義系)の事実上の機関紙である長周新聞がいつから山本太郎と×××新選組を応援していたかは知らないが、少なくとも2019年7月には同紙が山本と×××を熱烈に応援していたことが下記リンク(2019年7月17日付記事)からわかる。

 

www.chosyu-journal.jp

 

 当時の山本太郎は斎藤まさしとのつながりが強かったとみられる。斎藤はポル・ポトにも容認的または好意的だったそうだから、カンボジアポル・ポト政権時代にその後ろ楯になっていた中国とも親和的だったかもしれない。

 そんな人脈を持つ山本の政党と軽々しく「協力合意」をしてしまった志位執行部は強く批判されるべきではないか。かつて認定した分派につながる勢力と手を握るに等しいのだから。それが党の利益に資すると考えたとするならあまりもあさはかだった。民主集中制で執行部が無能な場合にはどうなるか、その悪い見本を示したも同然ではなかろうか。

 「×××(山本太郎)にすり寄る共産・社民・立民の一部」、「維新にすり寄る立民の一部・民民の一部(特に前原誠司)」、「自民にすり寄る民民の大部分(前原誠司を除く)」はいずれも大きな誤りを犯したと考える今日この頃。