kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍晋三内閣は現代の「ビリケン内閣」だ(ビリケン=非立憲)

安倍政権や自民党の言い分に全く理がないことがますますはっきりしてきた。長谷部恭男ではなく佐藤幸治衆院憲法審査会に出席していたとしても「3人全員が『違憲』と発言した」事態は必ずや起きていた。

憲法改正:「いつまでぐだぐだ言い続けるのか」 佐藤幸治・京大名誉教授が強く批判 - 毎日新聞

憲法改正:「いつまでぐだぐだ言い続けるのか」 佐藤幸治・京大名誉教授が強く批判

 ◇「立憲主義の危機」シンポで基調講演

 日本国憲法に関するシンポジウム「立憲主義の危機」が6日、東京都文京区の東京大学で開かれ、佐藤幸治・京大名誉教授の基調講演や憲法学者らによるパネルディスカッションが行われた。出席した3人の憲法学者全員が審議中の安全保障関連法案を「憲法違反」と断じた4日の衆院憲法審査会への出席を、自民党などは当初、佐藤氏に要請したが、断られており、その発言が注目されていた。

 基調講演で佐藤氏は、憲法の個別的な修正は否定しないとしつつ、「(憲法の)本体、根幹を安易に揺るがすことはしないという賢慮が大切。土台がどうなるかわからないところでは、政治も司法も立派な建物を建てられるはずはない」と強調。さらにイギリスやドイツ、米国でも憲法の根幹が変わったことはないとした上で「いつまで日本はそんなことをぐだぐだ言い続けるんですか」と強い調子で、日本国憲法の根幹にある立憲主義を脅かすような改憲の動きを批判した。

 戦後作られた日本国憲法はGHQ(連合国軍総司令部)の押し付けとも言われる。しかし、佐藤氏は「日本の政府・国民がなぜ、軍国主義にかくも簡単にからめとられたかを考えれば、自分たちの手で、日本国憲法に近いものを作っていたはずだ」と述べた。

 佐藤氏は、神権的観念と立憲主義の両要素を含んでいた明治憲法下の日本が、憲法学者美濃部達吉の「天皇機関説」の否定を契機に「奈落への疾走を加速させ」、太平洋戦争に突入していった歴史を説明。終戦の日の1945年8月15日は、明治憲法下の日本が、大正デモクラシーのような一定の成果を上げながら、どうしてひたすら戦争に突き進んでいったかについて、根本的な反省を加え、日本のかたちの抜本的な再構築に取り組むスタートとなるべき日だったと指摘した。また、アジアの人々に筆舌に尽くしがたい苦しみを与えたことも踏まえ「悔恨と鎮魂」を伴う作業が必要だったと話した。

 第二次世界大戦後、各国では、大戦の悲劇を踏まえ、軍国主義を防げなかった憲法の意義をとらえ直す動きが起こったという。佐藤氏はその結果、(1)憲法制定権力として国民が、統治権力による権力の乱用を防ぐ仕組みを作る(2)基本的人権の保障を徹底する(3)「戦争は立憲主義の最大の敵」という考えから、平和国家への志向を憲法に明記する−−などの原則が強調されることになり、日本国憲法にはその特質がよく表れているとした。

 パネルディスカッションでは、違憲とは言えないかもしれないが、憲法の精神には反していることを示す「非立憲」という言葉が話題になった。これまで、特に政治家の行動を戒めるために使われてきた言葉という。樋口陽一・東大名誉教授は、憲法改正の要件を定める憲法96条を改正し、国会発議のハードルを下げる「96条改正論」や、政府・与党による安保法制の提案の仕方そのものが非立憲と批判した。【尾村洋介/デジタル報道センター】

毎日新聞 2015年06月06日)


おお、「非立憲」か。その伝で行けば、安倍晋三内閣は21世紀の「ビリケン内閣」ってことだね。

https://twitter.com/akisumitomo/status/543328941558075392

住友陽文
@akisumitomo

憲法学者樋口陽一さんが、戦前の政党には「立憲」という文言がつくのが多いが、戦後には見かけないと指摘していた点、なるほどと思った。むしろ戦前でこそ立憲主義が重視されていた。立憲主義など聴いたことがないと言い放った自民党議員がいたが、実は僕たちだって最近まで意識しなかった。

0:58 - 2014年12月12日


https://twitter.com/akisumitomo/status/543329032927182849

住友陽文
@akisumitomo

そのような立憲主義の空隙をねらって安倍さんたちが世界でも類例を見ない非立憲主義的な「憲法」を作ろうとしている。非立憲主義的な憲法というのはすでに論理矛盾だ。それに気づく人がいないのは、やはり僕たちにも問題があったのだ。しかし今からでもそれに気づくのに遅くはない。

0:58 - 2014年12月12日


https://twitter.com/aihiroshima/status/543332949790179328

Shinji Noma
@aihiroshima

@akisumitomo 安倍内閣はまさに非立憲(ビリケン)内閣になりそうですな。そう言えば、寺内正毅も山口出身だった

1:14 - 2014年12月12日


https://twitter.com/akisumitomo/status/543345704538611712

住友陽文
@akisumitomo

寺内よりひどくなる可能性があるのは、安倍政権が憲法まで壊そうとしていて、近代の立憲主義に大きなダメージを与えようとしているという点でしょうね。 RT @aihiroshima 安倍内閣はまさに非立憲(ビリケン)内閣になりそうですな。そう言えば、寺内正毅も山口出身だったわ。

2:04 - 2014年12月12日


ほほう。寺内正毅も山口出身か。ってことは、1986年に私も、あのテロリストを顕彰する不逞の施設である「吉田松陰記念館」でその蝋人形を拝まされていたってことになるなあ、と思ってネット検索をかけたところ、その通りであった。

蝋人形 - Living, Loving, Thinking, Again(2006年9月22日)より

 さて、「安倍家郷有危険的国粋主義立場」という新華社の記事があって、そのなかで、山口県萩市の「吉田松陰記念館」に「山口県出身的日本歴代総理大臣蝋人像」ということで、伊藤博文山県有朋桂太郎寺内正毅田中義一岸信介佐藤栄作の蝋人形があることを知った。これら7人については立像なのだが、もう1体座像があるという。それは安倍晋三の父親である安倍晋太郎。1985年に彼が「長州出来的第八位首相」になることを願って作られた。しかし、首相にはなれずに1991年に死去。失望した山口人はこれを撤去しようとさえしたが、安倍晋太郎の身長は高く、撤去が難しく、結局足を折って、そのまま館内に置かれているのだという。

 ところで、2001年の9.11の後、吉田松陰松下村塾というのは〈江戸時代のタリバン〉じゃないかと思った。どちらも、血腥い田舎学者とその弟子どもという構成である。