kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

選手の成功は簡単に忘れるが、失敗は永久に忘れない。そんなゴロツキスポーツ記者が「悲劇」を再生産する

下記ブログ記事を一読して呆れ返った。というより激怒した。


道新ブログ

☆沙羅ジャンプ4位。期待し過ぎた私たちも反省しなければ
2014年02月12日


 高梨沙羅のジャンプは2回目の失敗が響いて4位。1発で決まるジャンプ競技の難しさを改めて感じた。

 試合後のインタビューでもきちんと受け答えしていたが、カメラが正面をとらえなくなると、涙を見せていた。それを映し出すのも残酷、と思ったが、「金メダル、金メダル」と騒ぎ立てたマスコミ、そして僕も各雑誌のコラムや著作のなかで「金メダル最有望」と書いてきただけに、反省しなければ、と思う。17歳の少女にプレッシャーが重くのしかかっていたことは否定できないだろう。

 この結果を見て、真っ先に思い出したのが1984年のサラエボオリンピックのときのスケート男子500メートルの金メダル候補だった黒岩彰氏のことだ。

 彼は本番で10位。一般には名前さえ知られていなかった北沢欣浩が銀メダルに輝いた。

 このとき、僕は東京でスケート担当もしていたので、黒岩選手を何度か取材したが、いつも取り囲む記者が最後に質問するのが「オリンピックでの金メダルへの思い」だった。

 だれだって、欲しいに決まっている。

 それでも繰り返し聞く。聞く方としては、その思いが少しずつ大きくなっていくように原稿を作りたい。そうすると、どうしてもしつこくなる。

 それがプレッシャーになる。

 黒岩は、その後、国際舞台で活躍することなく、西武球団広報、同代表などを経て、橋本聖子氏などの勧めもあって、富士急の監督としてスケート界に戻って来た。のちのインタビューなどで、五輪当時に繰り返し聞く記者の質問に、イライラが募っていたことを告白している。

 だが、僕が黒岩を取材するときは、いつもおとなしい口調で、大学生とは見えない、大人びた言葉で、抱負を述べていた。

 その姿が、沙羅選手に重なったことがあった。あれだけ、静かに、ひと言ひと言を選ぶように話していると、きっと心の中にストレスがたまるだろうな、と。「応援してくれているみなさんのために」「女子ジャンプ界のために」「感動を与えられるように」そして、決まって「楽しみたいと思います」。17歳で、そこまで深く考えることができるだろうか。

 僕は本音を知りたかった。苦しい胸の内を明かした方が、本番にはプラスになると思っていた。

 今回のジャンプと心の葛藤との関係は本人しかわからない。あえて、いま、それを聞きたいとも思わない。聞いてもいけないと思う。

 取材する側は、沙羅選手を追いかけるのは、一定の期間だけである。五輪が終わってしまえば、しばらくは取材しなくなる。また、4年後に同じことを聞くかもしれない。

 沙羅選手の心の中を察してあげられる記者が何人残るのか、僕は興味がある。

 われわれも反省しなければならない。


この文章を書いた黒田伸という人間は、北海道新聞編集委員までを務めた元幹部級記者(現在はフリージャーナリスト)らしいが、あまりに酷い文章に開いた口がふさがらなかった。

呆れた理由は、赤字ボールドにした部分に尽きる。

黒岩彰は、サラエボ冬季五輪で惨敗したあと、「国際舞台で活躍することなく」西武球団公報になったってか? 冗談じゃない。馬鹿も休み休み言え。

黒岩は、サラエボ五輪で惨敗した直後の世界選手権で2位になったのを皮切りに、その後も国際戦で好成績を収めた。1987年の世界スプリント選手権で優勝し、二度目の五輪となった1988年のカルガリー五輪のスピードスケート男子500mで銅メダルを獲得した。

この黒田という男は1957年生まれらしいから、カルガリー五輪当時は30歳か31歳のはず。当然その当時も道新のスポーツ記者だったに決まっているから、黒岩彰の銅メダルは、その時点では間違いなく知っていたはずだ。

それなのに、黒岩の銅メダルをきれいさっぱり忘れる一方、高梨沙羅がメダルを取れなかったことで黒岩の惨敗を引き合いに出すくらい、サラエボ五輪の惨敗を執念深く覚えている。

黒岩の実績は全く覚えていないくせに、五輪でのたった一度の失敗は一生忘れない。しかもその後の同じ五輪での雪辱は「都合良く」忘れているというおまけつき。こんな新聞記者がいるから、選手にかかるプレッシャーが増幅されるのである。

スポーツ記者がこのていたらくでは、いつまで経っても「メダルの重圧に押し潰される選手」が跡を絶つはずもない。

黒田は、

沙羅選手の心の中を察してあげられる記者が何人残るのか、僕は興味がある。

などとしたり顔で書いているが、「沙羅選手の心の中を察してあげられる記者」の中に黒田自身が含まれないことはいうまでもない。

黒田伸のようなゴロツキスポーツ記者が、「悲劇」を再生産するのである。