kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

サラサーテもKKKもシャーロック・ホームズに教わった/河出文庫版『シャーロック・ホームズの冒険』を読む

2011年にネットで無料で読める コンプリート・シャーロック・ホームズ が公開されたことを知った頃、下記の記事を書いた。

だが、この翻訳を私は第1短編集『シャーロック・ホームズの冒険』の12編のうち5編しか読まなかった。それは、『赤毛組合』の中にあった下記の誤訳に失望したためである*1

 「セント・ジェームズ劇場で今日の午後サラサーテの劇がある」彼は言った。「どうだワトソン、何時間か費やす気はあるか?」

サラサーテの劇」はないだろう。サラサーテは当時の名ヴァイオリニストで、『ツィゴイネルワイゼン』を作った作曲家としても知られる。ここは当然、「サラサーテの演奏(会)」と訳さなければならないところだ。原文は、"Sarasate plays at the St. James’s Hall this afternoon," *2である。

この誤訳に失望して、やはり世に出ている翻訳にはそれだけの価値があるのだなと改めて思った。私は昔、小学生の頃に偕成社から出ていた子ども向けの抄訳でホームズ探偵譚の全60編を読んでいたが、中学に上がって『シャーロック・ホームズの冒険』を含む4冊を延原謙訳の新潮文庫版で読んだ。しかし、『冒険』は愛読したものの、他の3冊(『シャーロック・ホームズの思い出』、『緋色の研究』、『四つの署名』)は『冒険』ほど面白いとは思わなかったためか、はたまた他の本に興味が移ったためか、全編は全訳では読まなかったのだった。

ネットの無料版はさすがに翻訳の質が少し落ちるようでもあるし、何より私は電子書籍にもなじめず、本は製本された紙の本で読むに限ると思っている人間なので、ホームズ譚の全編を紙の本で一度読んでおこうかと思い立ったのだった。

しかし、本屋でいくつかの文庫から出ている『シャーロック・ホームズの冒険』のいずれにも食指が動かなかった。その時の選択基準が、『冒険』の冒頭に置かれた「ボヘミアの醜聞」のヒロインが、「アイリーネ・アドラー」と表記されているものということだったが、それを満たすものが、昔読んだ延原謙訳の新潮文庫版を含めて1点もなかったからだった。

前にも書いたが、下記のTwitterによると、"Irene Adler" は、イギリス英語の発音をカタカナ表記した場合、「アイリーン」よりも「アイリーネ」に近く聞こえるそうだ。

https://twitter.com/bcSHfanjp/status/60269136755957760

B.カンバーバッチ&SHERLOCK
@bcSHfanjp

アイリーン・アドラーの名前が、あいりーんじゃなくて、アイリーネだということに初めて気が付いた今朝。BBCラジオドラマでは、アイリーネと連呼されている。 確かに、<アイリーン>ってローマ字読みだな。

2:10 - 2011年4月19日

昔の延原謙訳でも、偕成社の子ども向きジュブナイル版でも、確か「アイリーネ」と表記されていた記憶があるが、アメリカ英語式の発音で勉強していた中学生の私はそれに違和感を持っていて、「アイリーン」と表記すべきじゃないのかなあとずっと思っていた。しかしそれは誤った認識であって、延原謙が正しかったことをその時知ったのだった。

しかし、本屋で実地検分してみると、「アイリーネ」と書かれていたはずの延原謙訳までもが「アイリーン」と表記されていた。延原謙訳は、訳者が1977年に亡くなったあと、1990年に息子の延原展氏が手を入れていて表記を一部変えたようだが、その時に「アイリーネ」が「アイリーン」に変えられたものだろう。

今回、この記事を書くに当たって調べてみたところ、昔の訳でも、1936年初版の菊池武一訳(岩波文庫)には「アイリーン」と表記されていたようだ。

ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊 : 菊池武一訳『シャーロック・ホームズの冒険』(昭和16年7月 7刷)(2009年9月9日)から引用する。

   菊池訳の岩波文庫のホームズものを列記すると以下のようになる。

   『シャーロック・ホームズの冒険』 昭和11年12月15日初版
   『シャーロック・ホームズの回想』 昭和12年9月1日初版
   『シャーロック・ホームズの帰還』 昭和13年3月10日初版

(中略)

  まず。訳者の菊池武一とはどんな人だったか? これについては、幸い丸谷才一さんの「菊池武一」(『低空飛行』所収)というエッセイがある。それを拝借するのが手っ取り早いし、正確でもあるので、以下に引用する。

「菊池武一。四国高松の人。明治二十九年三月二十八日生まれ。一高文科を経て、東大英文科卒。長く国学院大学の教授として英語を教えた。昭和四十七年四月二十四日没。享年七十六。」

  戦前は、ホームズ物語の訳者として有名で、戦後は有名予備校・代々木ゼミナールの初代校長をつとめた。以下、再び丸谷さんの文章から――

岩波文庫に三冊収めてあるシャーロック・ホームズものは、みな、菊池さんの訳による。(……)わたしと同年輩(注:丸谷さんは大正14年=1925年生まれ)ないしはそれ以上ならば、大概この翻訳で『まだらの紐』や『踊る人形』を読んでゐるはずだ。かういうものをテクストにして英語を教わる際、岩波文庫を虎の巻きに使った人も大勢いたにちがゐない。とにかく、なるほどあの菊池武一かと記憶をよみがえらせる人はかなり多いだらうと思ふ。」

  菊池さんの訳は独特の語り口調が特徴。優しく噛んで含めるような文体は、生徒に教える先生の口調そのままである。その一例を「ボヘミヤ事件」から引く。

シャーロック・ホームズから言ふと、その女はいつでも『あの女』です。ほかの名前でその人を呼ぶのを滅多に聞いたことがありません。ホームズの眼からみると、その女が女性全体を蔽ひかくし、女性全体を支配してゐるのです。といつても、何も彼がそのアイリーンアドラーに何か恋愛らしい感情を持つてゐたといふわけではないのです。」

菊池武一(1896-1972)が高松の人なら、延原謙(1892-1977)は岡山の人。「讃岐弁では『アイリーン』、おきゃあま弁では『アイリーネ』と読むのかも」などというアホなことを思いついてしまったが、延原謙が「アイリーネ」と表記したのは、何も私が生意気な中学生の頃に疑っていたように延原謙が「ローマ字読み」をしたためではなく、イギリス英語の発音を知った上でのこだわりがあったものと想像されるのである。

とはいえ、現代日本では英語といえばアメリカ英語。それに、Irene Adlerは作中では「アメリカ生まれのコントラルト歌手」ということになっているから、表記は「アイリーン」でもかまわない*3。そもそも英語の発音をカタカナ表記すること自体に無理があると言われればそれまでの話ではある。以上のことは前にも書いた。


さて、ようやく本論。2年あまり前にホームズ譚の読み直しを断念したのだったが、今月に入って河出文庫からシャーロック・ホームズ全集の刊行が開始された。まず今月『シャーロック・ホームズの冒険』とホームズもの第1作の長編『緋色の習作』が刊行され、4月以降は月1冊のペースで『バスカヴィル家の犬』(4月)、『シャーロック・ホームズの思い出』(5月)、『四つのサイン』(6月)、『シャーロック・ホームズの帰還』(7月)、『恐怖の谷』(8月)、『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』(9月)、『シャーロック・ホームズの事件簿』(10月)の順で刊行されるという。

本屋で見かけた時、早速「ボヘミアの醜聞」のページを開いてみたが、残念ながら「アイリーン・アドラー」と表記されていた。しかし、文字が大きく、その分だけ分厚くなっているとはいえ、何より今月を除いてひと月に1冊のペースでゆっくり楽しめそうであることが気に入ったので、『シャーロック・ホームズの冒険』だけ買った。『緋色の習作』(延原謙訳では『緋色の研究』)は、『冒険』を読んで、気に入ったら改めて買おうと思ってその時には買わなかった。ようやくホームズ譚の再読(『冒険』など)および初の全訳全編読破にとりかかったのであった。



結論から言うと、買って正解だった。前述のネット版における誤訳に不満を持ったサラサーテも、アメリカのレイシストたちが結成した悪名高いテロリスト集団 "KKK"(クー・クラックス・クラン)も、ホームズ物語を読んで初めて知ったことを懐かしく思い出したり、「まだらの紐」のトリックと解決方法はやっぱり実現不可能だよなあと改めて思ったりした。その上この訳本にはプラスアルファがある。

この本を含む全集は、「シャーロッキアン」(ホームズマニア)である訳者(小林司東山あかね)夫妻による、オックスフォード大学出版部刊行の全集の翻訳だが、小林氏は2010年に亡くなっている。前世紀末から今世紀初めにかけて刊行された河出書房新社版の文庫化で、注釈を簡略化し、解説も短くしたものであるという。私はホームズものの読者ではあっても、中学生の頃に延原謙訳の全編読破をできなかったことからもわかるように「シャーロッキアン」ではないので、「簡略化」されたという注釈でも「やや過剰」かと思われたが、訳者夫妻による解説は非常に興味深かった。作者コナン・ドイルに関する精神分析的解釈を試みており*4、その解釈が作品内容と実によく符合しているのだ。

その内容をくどくどと書くと、本編のネタバレになってしまうし、なおかつ本書『シャーロック・ホームズの冒険』に収められた12編以外への言及もあるので、詳しく紹介するとその内容が私の頭にしっかり入ってしまい、それが当該の本を読む時に余計な予備知識になってしまって読書の興をそいでしまう*5。だから、もったいぶった書き方をするけれども、その紹介はしないでおく。

短編集『シャーロック・ホームズの冒険』についていえば、新潮文庫延原謙訳は、12編中2編が割愛されて、同じように他の短編集から割愛されたものを集めて別の本にしているので、12編全部を通して読んだのは今回が初めてだった。また、オックスフォード版の特徴の一つとして、2編目と3編目の順番を入れ替え、「ボヘミアの醜聞」、「花婿失踪事件」、「赤毛組合」の順番で収録されているが、これは大正解である。原作者ドイルの執筆順が上記の通りだったことは、読めばすぐわかる。従来「赤毛組合」が「花婿失踪事件」よりも前に来ていたのは、雑誌掲載順に従ってのことだったが、ドイルは両作の原稿を雑誌の編集部に同時に送っており、編集部が掲載順を間違えたのがそのままになっていただけの話だった。ドイルが、シャーロック・ホームズ譚を自身の最高の作品とは考えておらず、ホームズものばかりが注目されることにむしろ不満を持っていたことはよく知られているが、そのことが逆順のまま単行本化されても頓着しなかった理由であろう。

本書に難癖をつけるとするなら、前述の「アイリーン・アドラー」の表記以外では、「はじめに」に書かれた文章に違和感を持ったことくらいだ。以下引用する。

 日本語に訳されたシャーロック・ホームズ物語は多数ある。その六十作品を独りで訳出された延原謙さんの新潮文庫は特に長い歴史があり多くの人に読みつがれてきた。延原さんの訳文は典雅であり、原文の雰囲気を最もよく伝えていたが、敗戦後まもなくの仕事であったから、現代の若い人たちには旧字体の漢字を読むことができないなどの不都合が生じてきた。そこで、ご子息の延原展さんが当用漢字ややさしい表現による改定版を出された。こうして、親子二代によるちっぱな延原訳が個人全訳として存在している。

アーサー・コナン・ドイル作、小林司東山あかね訳『シャーロック・ホームズの冒険』(河出文庫,2014)6頁)

私が新潮文庫版の『シャーロック・ホームズの冒険』を買って読んだのは1974年であり、当時延原謙氏はまだ健在だったが、既に漢字は新字体になっていたし、読みにくいとは全く思わなかった。延原謙氏の翻訳全集は、1955年(昭和30年)頃に新潮文庫に入ったが、その時に新字体に改められたものと思われる。加えて、シリーズ中でも特に人気の高い『シャーロック・ホームズの冒険』は、1973年に延原謙氏自身の手になる改版が行われており*6、全集の他の9冊と比較して活字もくっきりとして内容も読みやすかった記憶がある。『緋色の研究』と『四つの署名』にも同様の改版があったような気もするが、こちらは作品自体の魅力が『冒険』よりも落ちた。『シャーロック・ホームズの思い出』以下の7冊は、その頃はまだ新潮文庫入りした当時のままで、それが中学生時代に全編読破する気を失った理由になったのかもしれないが、少なくとも「旧字体の漢字」ではなかったことは確かだ。調べてみると、延原展氏の改定版は1990年に刊行されている。

もちろん上記の違和感はほんの些細なことに過ぎない。『シャーロック・ホームズの冒険』を読み終えて、『緋色の習作』も買って読もうと思ったことは言うまでもない。

*1:http://www.221b.jp/h/redh-6.html

*2:http://www.freeenglish.jp/holmes/h/redh-6-t.html

*3:さらには、ボヘミアのオペラハウスで活躍していたのだから「イレーネ」でもかまわない。

*4:小林司氏は精神科医であり、その方面の著書や訳書を多く書かれた。原作者コナン・ドイルもまた医者であった。

*5:もちろん既に読んでしまったわけだが、私の記憶力の程度を思えば、4月以降に刊行される当該の本を読む時には、そんなものはきれいさっぱり忘れ去ってしまっているはずである(笑)。

*6:http://blog.goo.ne.jp/kanagawa_kun/e/990f886d910331a023b2841161912ef3 参照。「コナン・ドイル延原謙訳 昭和28年発行・昭和48年40刷改版 新潮文庫版;私が持ってるのは、昭和55年53刷」とのこと。「ボヘミアの醜聞」について、「かの有名な、ホームズに『あの女』という尊称で呼ばれる、アイリーネアドラーの話」と書かれている。