kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

もともと無価値な「吉田調書『命令違反』報道」を朝日新聞社長が謎の「謝罪」

昨夕(9/11)、朝日新聞社の社長が「吉田調書」と従軍慰安婦報道に関する「謝罪」の記者会見を行い、テレビ朝日の『報道ステーション』が朝日新聞慰安婦報道の「検証」を長々とやっていた。そして今朝(9/12)の朝日1面記事には、「吉田調書『命令違反し撤退』報道 本社、記事取り消し謝罪」なる記事がデカデカと出ていた。

http://www.asahi.com/articles/ASG9C7344G9CULZU00P.html

吉田調書「命令違反」報道、記事取り消し謝罪 朝日新聞

慰安婦巡る記事、撤回遅れも謝罪

 朝日新聞社木村伊量(ただかず)社長は11日、記者会見を開き、東京電力福島第一原発事故政府事故調査・検証委員会が作成した、吉田昌郎(まさお)所長(昨年7月死去)に対する「聴取結果書」(吉田調書)について、5月20日付朝刊で報じた記事を取り消し、読者と東京電力の関係者に謝罪した。杉浦信之取締役の編集担当の職を解き、木村社長は改革と再生に向けた道筋をつけた上で進退を決める。

 朝日新聞社は、「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を立ち上げ、取材・報道上の問題点を点検、検証し、将来の紙面づくりにいかす。

 本社は政府が非公開としていた吉田調書を入手し、5月20日付紙面で「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」と報じた。

 しかし、吉田所長の発言を聞いていなかった所員らがいるなか、「命令に違反 撤退」という記述と見出しは、多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した。

 調書を読み解く過程での評価を誤り、十分なチェックが働かなかったことなどが原因と判断した。問題点や記事の影響などについて、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」に審理を申し立てた。

 朝日新聞社が、韓国・済州島慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽と判断し、関連記事を取り消したこと、その訂正が遅きに失したことについて、木村社長は「おわびすべきだった」と謝罪した。元名古屋高裁長官の中込秀樹氏を委員長とする第三者委員会を立ち上げ、過去の報道の経緯、国際社会に与えた影響、特集紙面の妥当性などの検証を求める。

 木村社長は、慰安婦特集について論評した池上彰氏の連載コラムの掲載を見合わせた判断については、「言論の自由の封殺であるという思いもよらぬ批判があった」「責任を痛感している」とした。

     ◇

■本社の報道を審理・検証する各委員会

・「吉田調書」報道/報道と人権委員会(PRC)

慰安婦報道/有識者による第三者委員会

・信頼回復/信頼回復と再生のための委員会(仮称)

朝日新聞デジタル 2014年9月12日03時02分)

「吉田調書」の記事は私も読んだ。朝日が連日「スクープ」として麗々しく報じ、その後も自らの報道を自画自賛していたが、朝日が何を威張っているのか、購読者である私にはさっぱり理解できなかった。

当ダイアリーで朝日の「吉田調書『スクープ』」に触れた記事は下記2件しかなく、いずれも記事に対してネガティブな評価を下した。また、「きまぐれな日々」では取り上げていない。

 (前略)このように、2号機と3号機の違いはあるものの、東電が福島第一原発でドライベントをやろうとしていたことは、過去に報じられているばかりか、政府事故調の中間報告で既に明らかにされていたのだった。

 この件に限らず、今回の朝日の「スクープ」、羊頭狗肉の感が否めない。

東電福島第一原発1号機「非常用復水器機能せず」と吉田昌郎所長の責任は常識 - kojitakenの日記(2014年5月23日)より

 (前略)1971年運転開始の東電福島第一原発の1号機にだけ、他の原子炉と異なって、非常用復水器(Isolation condenser (IC) = アイソレーションコンデンサ、略してイソコン)という非常用冷却装置が設置されていたものの、それが動作しているのを見たものは誰もいなかった。「豚の鼻」と通称される水蒸気放出口からもやもやと湯気が上がっているのを作業員が見て、ICが作動しているものと思い込み、その結果1号機が早々にメルトダウンに至った。

 これは、NHKスペシャルでも放送された有名なシーンであって、東電原発事故に関心のある人間なら誰でも知っていることだろう。

 また、吉田昌郎と東電福島第二原発所長・増田尚宏を対比して、ともにメルトダウン直前まで行った両原発の危機対応を論じた書物として、朝日新聞主筆船橋洋一が書いた『メルトダウン・カウントダウン』(文藝春秋,2012)がある。

 当ダイアリーにいただいたブコメで、菅直人ばかりを悪者にして、吉田昌郎を英雄視する風潮があるから、今回の朝日の報道にも意義があるのではないかとの指摘があったが、吉田昌郎を手放しで礼賛しているのは、東電原発事故についてほとんど何も知らない人たちだけだろう。

 今回の朝日の「『吉田調書』スクープ」の中でも、今日のが一番しょぼかった。1面トップで報道するほどのものではない。

また、今朝の記事の見出しにもなっている「吉田調書『命令違反』報道」は、日記に取り上げなかった。記事に全く共感しなかったからだ。私は、仮に吉田昌郎の「(業務)命令」があったとしても、「俺が東電の社員であってもそんな『命令』には従わずに逃げ出すよ」と思った。そんなことは誰だって同じではなかろうか。なぜなら、東電の社員が入社時に会社と交わした契約に、「原発事故があったら命を投げ出しても対応に当たる」などと書かれていたはずがないからだ。要するに問題の本質は、「国策民営」というまやかしの方法によって、原発という本質的に危険な施設が運営されてきたことにあるのだ。それを指摘しない記事に何の意味もない。

だから、「電力貴族」である東電の社員が2F(東電福島第二原発)に退避したからと言って、それを批判するニュアンスの記事を「報道貴族」である朝日新聞記者たちが書き立てたことについて、「何書いてんだ、お前ら」としか思わなかったのである。そもそも記事を書いた記者たちの思いが理解不能だった。私が吉田昌郎をもともと大して買っていなかったせいもあるかもしれないが、朝日の記者は「吉田昌郎=正義の味方、吉田の部下の東電社員=悪役」みたいな図式にでもしたいのだろうかと訝ったものである。

私は、「東電の従業員というのは、高給をもらっていながら、いざ原発事故が起きたら逃げ出す連中なんだ。ひでえよなあ」などとは全く思わなかった。一方、「朝日の記者だって東電の正社員と同じ特権階級じゃねえか」とは確かに思った。そんな本音を当ダイアリーにあけすけに書くのはさすがに憚られたので、それは書かなかった。このように、朝日新聞の読者というのは、「東電の正社員の高給」と同じくらい、自らが購読している「朝日新聞記者の高給」にも冷たい視線を向けていることを、朝日新聞の記者たちは思い知らねばならない。

以上のような認識だったから、なんであんなつまらない記事が問題になったのかもわからないし、そんなものをいったい朝日新聞の社長がわざわざ出てきて訂正と謝罪をする必要があるのか、それもさっぱりわからない。自衛隊員ならともかく、民間企業のリーダーが部下に対して自らの生命を賭する要求を含む業務命令を出した場合、そんな憲法違反の命令は無効であって、従業員がそれに従う必要など全くないと私は認識しているから、そんな憲法違反の命令があったのなかったのなど、どうでも良い話ではないかというのが私の感覚なのである。「吉田命令」が事実であったかどうかが東電原発事故の全体に占める重要性の割合というのは、「吉田清治の証言」が慰安婦問題全体に占める割合と同様、限りなくゼロに近く無視できるほど小さいというのが私の見解である。

逆に言えば、あんなつまらない記事で朝日新聞の社長が謝罪させられるとは、今後、国民の命を危険に晒す「命令」が、国家あるいは国家の意を受けた企業によって出される時代が来るのではないかと予感させられる。