この件、来週の「きまぐれな日々」の題材にしようかと一瞬思ったが、それは止めて今書いておく。最近はこちらの日記と比較して「きまぐれな日々」のアクセス数がきわめて少ないので、本当に書きたいことはこちらに書いておかなければならないし、思ったことはすぐに書いた方が良い、と考えを改めた。
安倍が生んだ初の戦死者か~湯川の民間軍事会社と新自由主義、軍事拡大 : 日本がアブナイ!(2015年1月31日)に、下記2件の記事が引用されている。
- http://www.kokusyo.jp/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%94%BF%E6%A8%A9%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%A8%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E5%8C%96%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%82%93%E3%81%A0%E6%9C%80/(2015年1月26日)
- http://www.kokusyo.jp/%E7%A7%81%E8%A8%AD%E3%81%AE%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%81%A8%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E6%B0%91%E5%96%B6%E5%8C%96%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82%E3%80%81%E7%8F%BE%E5%9C%B0%E3%83%AA%E3%82%AF/(2015年1月28日)
上記2件の記事は非常に示唆的だが、特に注目すべきは安倍政権の「新自由主義」と「軍事大国化」とを結びつけて論じているところだ。
新自由主義的軍事大国においては、軍隊も私営化(privatize)*1される。アメリカにおいては、60年代に新自由主義の教祖の一人であるミルトン・フリードマンが徴兵制の廃止を主張してリベラル層からも拍手喝采を浴びたが、実際にアメリカの徴兵制は1973年1月に廃止された。フリードマン一派の介入で悪名高いピノチェトによるチリのクーデターが起きたのは、同じ1973年の9月11日だった。
だから、上記リンクの2本目の記事に、
わたしはどこまで民営化が進むのか、暗い好奇心を抱いてきたが、結果的に軍事部門までが、民営化の方向へ向かっているとは想像もしなかった。
と書かれているのは意外だった。そんなことは常識の範疇に属する事柄だと認識していたからだ。もっとも、その後の文章を読むと、著者はそんなことは百も承知で、単に読者を引きつけるために上記のように書いたのではないかと思う。
傭兵が一般化していたことが公知であった例として、浦沢直樹の漫画(原作・工藤かつや)の漫画『パイナップルARMY』(1985〜88年)の主人公ジェド・豪士が世界各地の戦場を渡り歩いた元傭兵であることが挙げられる。余談だが、この漫画や続く『MASTERキートン』(1988〜94年、原作・勝鹿北星)の初めの方を読んで、浦沢直樹というのは右翼的な人かと思っていたら、『MASTERキートン』の途中から急に平和志向になったのであれっと思ったものだが、のちに『MASTERキートン』の途中からは編集者の長崎尚志が主にかかわったらしいと知って納得した。長崎尚志はまぎれもなくリベラル系の人であり、それがあの『美味しんぼ』の原作者・雁屋哲と仲が悪いのだから面白い。もっとも私が雁屋哲を評価しないことは以前から書いている。
漫画の話はこのくらいにして、新自由主義と軍事大国化の話に戻る。以下、上記引用文に続く文章を引用する。
◇なぜ、戦争の民営化なのか?
軍事部門における民営化の典型例は、傭兵の派遣会社である。この方式は、「小さな政府」を目指す国家にとっては、さまざまなメリットがある。具体的には、
- 傭兵を現地でリクルートするので、兵隊の派遣費用がゼロ円になる。
- 戦死者に対して国が責任を負わないので、補償問題が生じない。
- 先進工業国よりも、第3世界の方が傭兵のリクルートが簡単。
- 地理的な感がない日本兵では戦力にならないゲリラ戦にも、現地傭兵で対応できる。
わたしが知る限り、傭兵による戦争が本格化したのは、1980年代のニカラグア内戦である。1979年に首都を制圧したFMLN(サンディニスタ民族解放戦線)による革命政権に対して、右派が起こした内戦である。が、右派の背景には、米国のレーガン政権がいた。
レーガン政権はコントラと呼ぶ傭兵部隊を組織し、米国民に対しては、「フリーダム・ファイターズ」と命名して、その正当性を主張した。さすがにコントラの主体は、民間軍事会社ではなかったが、国家予算を削減する目的は達した。
傭兵のリクルート先は、もともと中央政府に対して民族自決の意識が極めて高かったニカラグアのカリブ海よりの地域だった。ここで傭兵を集め、米軍が直接戦闘に参加するのではなく、兵士に対して軍事訓練をほどこし、戦闘員としたのである。
レーガン大統領は、イギリスのサッチャー首相、チリの独裁者ピノチェトと並ぶ初期の新自由主義者である。そのレーガン大統領の下で、米軍の派遣は司令官とトレーナーだけに限定することで、経費を抑え、しかも、米軍に代って傭兵を投入する「代行戦略」が確立したのである。
日本も将来的には、米国と同じ方向性をもった軍事行動のスタイルを目めざす可能性が高い。しかも、コントラとは異なり、民間会社と「日本軍」の協力というモデルが出来るのではないかと推測される。
徴兵制にすると、日本人の平和意識を目覚めさせるからだ。
ちなみに米国が日本に軍事部門の協力を迫っている背景にも、米国の新自由主義政策があると見て間違いない。戦争に莫大な国家予算使いたくないからだ。
◇戦争中という認識がないその意味では、ジャーナリズムは、今後、私設の軍事会社を監視対象にしなければならない。
しかし、日本の新聞・テレビは、(株)民間軍事会社が戦死者を出した背景を正確に伝えていない。湯川氏の死を、一般的なテロによる死としてしか報じない。確かにテロには違いないが、それ以前に、空爆や銃撃も含めて、刃物による人質の殺害も、広義の戦闘行為であることを忘れている。
今、イスラム国と日本の間で起こっていること、そのものが戦争の実態なのだ。
その通りとしか言いようがない。
昨年、私は「徴兵制の復活を心配するリベラルや左翼が多いが、そんなことにはならない。もっと心配すべきことがある」と書いて、一部の「リベラル」や左翼から「徴兵制の脅威を甘く見ている」と批判されたが、私は戦争の私(民)営化は徴兵制よりもずっと現実的な脅威だと言いたかったのである。面倒臭かったからいちいち書かなかったけれど。
先週書いた 「ハンドウを回す」とは - 松本清張『遠い接近』(文春文庫) - kojitakenの日記(2015年1月24日)で触れたように、「ハンドウを回されて」懲罰として徴兵された松本清張や、東条英機ににらまれて硫黄島に送り込まれそうになった毎日新聞の新名丈夫記者、さらにそのとばっちりで徴兵されて硫黄島で戦死した丸亀連隊の250人などの恣意的な徴兵の例はあったとはいえ、原則としては富める者も貧しい者も徴兵の対象となった。つまり、まだしも「人の命は平等」であった。
しかし、新自由主義的な軍事大国においてはそうではない。金持ちの子弟はもはや戦争に行かなくても良い。湯川遥菜氏のように、人生に絶望した者、あるいは食うに困った者などが戦地に送り込まれる(あるいは自ら戦地へと赴く)のである。浦沢直樹の漫画『MONSTER』(1994〜2002年)に、エヴァ・ハイネマンは、婚約者であった主人公の医師・テンマ(天馬賢三)に「人の命は平等じゃないんだもの」と言い放つが、これこそ新自由主義的な軍事大国において公認された価値観なのだ。
だから、現在の日本において、安倍政権の軍事大国化に反対する人間は、同時に新自由主義にも強く反対しなければならないのである。「今は安倍政権のアブナイ軍事タカ派的な体質に反対することが先決だから」と言って、維新の党の江田憲司派なんかに迎合してはいけない。たとえば、維新江田派の柿沢未途は、国会での質疑で安倍晋三と下記のような質疑応答を行った。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201501/2015013000429&g=pol
「イスラム国」呼称は不適切=野党提起、安倍首相も賛同
メディアは「イスラム国」と呼ぶのをやめるべきだ−。30日の衆院予算委員会で、日本人人質事件を起こした過激組織「イスラム国」の呼称をめぐり、維新の党の柿沢未途氏がこう提案し、安倍晋三首相も賛同する場面があった。首相は「『イスラム国』と言えば、まるで国として存在し、イスラムの代表であるかのごとき印象を与え、イスラムの人々にとって極めて不快な話だ」と指摘。「政府としてはISIL(『イラク・レバントのイスラム国』の英語略称)を使っており、マスメディアも検討される可能性があるのではないか」と述べた。
(時事通信 2015/01/30-11:40)
柿沢未途のように、安倍晋三の「テロとの戦い」を後押しする政治家がいる政党(や派閥)を「リベラル」が容認していてはダメだろう。
さらに余談だが、現在の日本においてほぼ空白になっているのは、「国家社会主義」的政治勢力だと思う。戦前の日本における北一輝のようなカリスマは、現在の日本には存在しない。三橋貴明や中野剛志では「カリスマ」たり得ない。
そのことに不満を持っている右翼も少なからずいると思われる。たとえば、上記『日本がアブナイ!』にTBされた、下記ブログ記事などがその例だ。
http://itoh-blog.at.webry.info/201501/article_31.html(2015年1月30日)
戦後70年総理談話「国民的議論経て出すべき」
民主党の長妻昭代表代行が飛ばしてる
まるでゲンダイなみに、、。
マスコミの思い込みを取り上げ
国会での追及材料にしかねない民主党の
リベラル勢力の代表となった長妻は
民主党はどうなんだよ!とやじられるほどブーメランが身についてる。
こいつらのやり方はいつも一緒。
安倍さんの言質をとるために必死で、論議すらしない。
思い通りの発言をしないもんだから、捨て台詞で質問を終える。
馬鹿さ加減満載、、、。
海外支援に使うドルの理屈も解らず
国民の税金が〜って、、、。(´・ω・`)
日本政府の外貨準備高は円にすると約120兆円で、そのほとんどがドルと米国債
これらは日本円に換金して国内向けに配ることができない(ドル安円高で自爆するから)ので、
経済危機の防衛以外では国外に出して投資資金にする以外に使い道がない
確かにアベノミクスで格差が拡大したのはあってるの
だから再分配政策をしないといけないってのは正解
んでもそれは金融緩和やらを続けながらする物なのであって
民主みたいに金融緩和ストップで再分配だけじゃ意味ないの
日本には金融緩和はするけど再分配をしない党はあるのに金融緩和も再分配もする党がないの
これが問題なのであって金融緩和自体を否定する民主に用事はない
上記の記事中、真ん中の方の主張には賛成できないが、最後の段落の主張は本当にその通りだと思う。そして、こういう政策を言い出す政治勢力や(かつての北一輝のような)カリスマが、この文章を書いたブログ主と同じ陣営である「右」側から現れた時には、現在における新自由主義的な戦争の危機ではなく、第二次世界大戦の再来のような、全面戦争の危機が訪れると思う。それこそ「国家社会主義」の脅威だ。
その事態を防ぐためにも、戦争に反対するリベラルこそ機先を制して、経済成長と再分配のバランスがとれた主張をするようになってほしいと強く願う今日この頃なのである。