kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「居丈高な大阪のオッサン」って?

http://homepage2.nifty.com/suzie/gogo.html#20150301*1より。

■20150301/「居丈高な大阪のオッサン」だけに大阪文化を代表させてはいけない。

最近ワタシの周りでは、この本の話題がよく出てくる。やしきたかじんの死に関する「ドキュメント」(らしい)、百田尚樹著『殉愛』という本の内容を執拗に暴いていく内容。その暴き方の痛快さに、この本の魅力があるのだろう。


百田尚樹『殉愛』の真実

百田尚樹『殉愛』の真実


ただ、一歩引いて思うのは、そもそも、やしきたかじん百田尚樹が、なぜ、ここまで世間的に注目される人物になったのか、なれたのかという疑問である。 ここで、この二人の、ある共通項に着目する―――「居丈高な大阪のオッサン」。

居丈高(いたけだか)=威圧的、粗暴。そして、そんな性分の象徴として、大きな声で、怒鳴るように話す感じ。

特に大阪において、この10年ほどの間、「居丈高な大阪のオッサン」を過度に持ち上げる風潮があったと思う。そして、当のそのオッサンたちは、大阪人のシンパシーを効率的に獲得する手立てとして、「反・東京」的言説を上手く使う。

そんな「居丈高な大阪のオッサン」のグループに、橋下徹や、ちょっとニュアンスは違うが、辛坊治郎なども入る気がするのだが。

ワタシが耐えられないのが、他の地域から見たときの、大阪文化のイメージ全体が、その「居丈高」な感じ、「やしき・百田」的な感じに集約されつつあるような気がすること。更に耐えられないのは、そういう傾向を、当の大阪人自身が歓迎しているように見えることである。

例えば、JR大阪駅の発車ベルが《やっぱ好きやねん》になっていることなど、個人的には論外と思うのだが、もし住民投票すると、残念ながら、かなりの確率で、賛成票が多数になると思う。

そういえば、百田は、『探偵!ナイトスクープ』のチーフライターである。大好きな番組で、今でも毎週観ているのだが、見方を変えればこの番組も、「大阪人は必ず家にタコ焼き器を持っている」的な「一面的な大阪人観」をまき散らしたフシがあって、そういう大阪人観と「やしき・百田」的なあれこれは確実につながっていると思う。

結論は、いつかとまた同じ。「やわらかくふくよかな大阪文化を取り戻そう」

ちょっと大げさに言えば、居丈高な態度や大声は「暴力」だと思う。歴史的に、大阪のDNAのひとつとして「反・東京」精神があると思うが、その本質は「反・中央統制」であり、それは要するに、どちらかと言えば「反・暴力」の方向に近いものと考えている。


その「大阪のイメージ」は、1980年の「THE MANZAI」ブームの頃から世に蔓延、定着したものではなかろうか。1980年は、私が最初に上京した年である。

子ども時代に旧摂津国(大阪→兵庫)に住んでいた70年代の私の感覚は、「関西弁は間延びして迫力がない」「東京弁は威勢が良すぎて怖い」というものだった。今でこそ熱狂ぶりが世に知れ渡っている「阪神ファン」も、1960年頃には「甲子園球場の野次は関西弁なので迫力がない」などと言われていたらしい。


阪神タイガースの正体

阪神タイガースの正体


大阪の記憶は小学校に上がる前の年までしか持たない私ではあるが、橋下徹やらやしきたかじんやら百田尚樹やら、ましてや関西出身ですらない辛坊治郎など、昔のイメージで言えばおよそ「大阪らしさからおよそかけ離れた人間の典型例」にしか見えない。しかし、現在の大阪人にとってはそうではないのかもしれない。

JR大阪駅の発車ベルが《やっぱ好きやねん》になっているそうだが、この歌を売り出す時から指摘されていたのは、「大阪では『やっぱ』とは言わない」ことだ。「やっぱ」とはどう考えても関東方言であろう。私も子ども時代に「やっぱ」などと言ったことは一度もない。そんな「似非大阪弁」の歌をJR大阪駅の発車ベルに使うのは論外だと私も思う。

ある意味、大阪ほど東京の文化の侵食を受けた地方都市は他にはないのではないかと思うことが多い。