kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安保法成立で浮き彫りになった「立憲・非立憲」の対立軸

長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の2人の学者の意見を朝日新聞高橋純子記者(現論説委員だと思う)が聞いて対談形式に構成してまとめる記事は、一昨年(2013年)末の特定秘密保護法成立の際、賛成論の長谷部氏と反対論の杉田氏の意見を対比させたところから始まった。従って、その当時には朝日お得意の「両論併記」であり、かつ高橋記者はかつて「『右』も『左』もない脱原発運動」をもてはやす記事を書いた人だから、なんだかなあと思っていた。

しかし、両氏は安保法にはともに反対の立場に立つ。特に長谷部氏が6月4日に国会に自民党推薦で参考人招致されて、「安保法案は違憲」と断言したことが、安保法案反対運動が盛り上がるきっかけになった。

安保法に関する両氏の意見を高橋記者がまとめた記事が9月27日の朝日新聞に載った。普段は、高橋記者が両氏に別々に取材し、それを対談形式に構成しているのだろうと推測しているが、今回は「長谷部氏・杉田氏が対談」と見出しにあるので、両氏が実際に対談したものかもしれない。その一部は朝日新聞デジタルの非登録者でも読める。以下引用する。

http://www.asahi.com/articles/ASH9V4WC6H9VUTFK009.html

安保法成立、日本の行方は? 長谷部氏・杉田氏が対談
高橋純
2015年9月27日05時26分

 やまない「違憲」批判を押し切って、安倍政権は安全保障関連法を成立させた。この法制をめぐる論議から見えてきたものは何か。何が変わり、何が変わらなかったのか。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の連続対談は今回、「安保法成立」後の社会と民主主義の行方を語り合ってもらった。

 杉田敦・法政大教授 新しい安保法制が成立しました。元最高裁長官や歴代の内閣法制局長官、多くの憲法学者や法律家らが違憲と指摘するなか、政治権力が押し切った。日本の立憲主義は壊れてしまったのでしょうか。

 長谷部恭男・早稲田大教授 少なくとも、集団的自衛権の行使は憲法上許されないという、9条解釈のコンセンサス(合意)は壊れていません。法律問題が生じた時、ほとんどは条文を読めば白黒の判断がつきますが、9条のように条文だけで結論を決められない問題が時々出てくる。その時、答えを決めるのは、長年議論を積み重ねた末に到達した「法律家共同体」のコンセンサスです。政治がどうあれ、ここは全く揺らいでいない。今後も、昨年の閣議決定は間違いだ、元に戻せと、あらゆる機会と手段を使って言い続けていくことになります。

 杉田 しかし推進側は、最高裁判決が出るまでは、法律家でなく政治家が答えを決めると主張しています。裁判になっても、最高裁憲法判断を避けるだろうとタカをくくっているようです。

 長谷部 希望的観測ですね。法律家共同体のコンセンサスを甘く見過ぎていると思います。そもそも憲法は政治権力を縛るためにあるのだから、その意味内容を政治家が決めてよいはずがない。安倍政権の下、シビリアンコントロール文民統制)どころかシビリアンの方が暴走しています。

 杉田 与党は今回、議会運営上の慣例を色々と壊し、野党の最後の抵抗手段としての質問時間さえ数の力で奪った。最終局面の大きな論点は、法制への賛否以前に、「こんなやり方が許されるのか」だったと思います。憲法は無視、専門家の意見も無視、議会の慣例も破壊する。これは、権力の暴走に歯止めをかけるという立憲主義の精神に反する「非立憲」です。「立憲」か「非立憲」か。これまで十分に可視化されていなかった日本社会の対立軸が、今回はからずも見えてきました。

朝日新聞デジタルより)


引用部末尾の杉田敦教授の意見は明快で説得力がある。杉田教授は、上記引用文のあとにも共感できる言葉を発しているので、いくつか紙面(9月27日付)から下記に引用する。

 非立憲主義者は、政策的に必要だと政治が判断すれば、法や慣例を破っても構わないとする。それも一つの立場だが、「あなたは非立憲主義者だ」と自覚を促す必要があります。「右/左」「保守/革新」というものさしではかれなかった関係が、「立憲/非立憲」ですっきり整理される。日本政治の見通しがずいぶん良くなります。

朝日新聞 2015年9月27日付3面掲載の杉田敦教授の発言より)


本当にその通りだ。杉田氏の主張は、従来よく見られた「『右』も『左』もない」とは全く異なる。「『右』も『左』もない」は単なる左翼またはリベラル・左派の右翼への阿り・媚びへつらいに過ぎず(平沼赳夫城内実の応援の旗を熱心に振った「リベラル」ブロガーがその典型例だ)、日本の右傾化の火に油を注いだだけだった。しかし、「立憲/非立憲」は、保守の中でも(左翼やリベラル・左派の中でもそうかも知れないが)意見が分かれる対立軸なのだ。「日本の安全保障のためには安保法は必要だし、成立は仕方ない」と考える人は「非立憲主義」に立っている。そのことを論者に自覚させる必要があることは疑いない。

引き続き杉田敦教授の発言を2つ引用する。

 非立憲主義は、ある種の功利主義とも相性が良い。「最大多数の最大幸福」のために、弱者や少数派の意見は切り捨てるべきだと。沖縄の基地問題についても、本土の冷淡な世論が、政権の対応を支えています。自分は強者の側、多数派の側にいると思っている人たちにとっては、分断・対決型の安倍晋三首相の政治手法も、好ましく映るのかもしれません。(同前)

 「必要は法を破る」とばかりに法的安定性をないがしろにしていると、安全な側にいたはずの人たちにも、いつ矛先が向けられるかわかりません。非立憲主義者には、そのリスクを考えてもらいたいものです。(同前)


いちいちうなずかされる発言ばかりだ。今回の記事は、これまでの杉田敦・長谷部恭男両教授の意見を高橋純子記者が対論形式でまとめた不定期掲載の記事の中でも一番良かった。印象に残った。