kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

元大洋・横浜・近鉄投手、盛田幸妃氏が死去

福岡ソフトバンクホークス日本シリーズ進出を決め、ヤクルトスワローズが王手をかけたことを報じる新聞のスポーツ面に、元大洋ホエールズ横浜ベイスターズ大阪近鉄バファローズの投手だった盛田幸妃氏の訃報記事が出ていた。朝日新聞デジタルに出ている下記の記事は、紙面で読めるものとは幾分違う。

http://www.asahi.com/articles/ASHBJ6302HBJUTQP022.html

近鉄の投手、盛田幸妃さん死去 脳腫瘍から復帰し登板
2015年10月16日21時52分

 盛田幸妃さん(もりた・こうき=元プロ野球投手)が45歳で死去。関係者が16日、明らかにした。

 北海道出身。函館有斗(現函館大有斗)高からドラフト1位で88年に大洋(現DeNA)に入団し、92年には最優秀防御率のタイトルを獲得した。近鉄に移籍した98年、脳腫瘍(しゅよう)に侵されていることが判明し、手術を受けた。翌99年に1軍復帰を果たし、01年には2勝を挙げてカムバック賞に輝き、「奇跡のリリーバー(救援投手)」と呼ばれた。02年限りで現役を引退し、その後は野球解説者などとして活動していた。

     ◇

 元近鉄監督の梨田氏 「僕が2軍監督の頃に彼が病気になって、1軍監督の時に復帰して頑張ってくれた。病気の影響で足がしびれるなど、キャンプ中も思うように体が動かなくて相当悔しそうにしていたのを覚えている。そこから復帰した。熱い気持ちで、鋭いシュートで打者に向かっていく投手。時々球場で会うと、『元気ですよ』と言っていたのに。ショックですね」

 横浜時代に同僚だった楽天斎藤隆 「非常に残念です。彼とは同い年ですが、よき友であり、よきライバルでした。あのえぐるようなシュートは今でも鮮明に覚えていますし、投手としての能力が高く、何よりもマウンド度胸がすごかった。私もたくさんのことを学ばせてもらいましたし、参考にさせてもらいました。彼がそれまでブルペンを支えてくれて、たくさんのものを残してくれたからこそ1998年の横浜ベイスターズ日本一があったと思います。(移籍して)その優勝の喜びを一緒に味わえなかったことは心残りですが、あまりにも若すぎます。心よりお悔やみ申し上げます」

 大洋、横浜時代に同僚だった中日・谷繁監督 「大洋に入団した時から常に一緒にやっていた方で、野球も必死にお互い取り組み、プライベートでもよくしていただきました。体調が悪いことは知っていました。いろんなことを考えると本当に寂しい。ゆっくり休んでほしいです。ご冥福をお祈りいたします」

 近鉄時代に同僚だった中日・大塚晶文投手コーチ 「突然のことで信じられません。盛田さんには病気から立ち直って復活するという、あきらめない気持ちを教わりました。僕も5回の手術をして、マウンドに必ず戻るという気持ちは盛田さんの姿を見たからこそでした。今はただご冥福をお祈りいたします」

朝日新聞デジタルより)


盛田幸妃が患った脳腫瘍は津田恒美(1960-1993, 元広島投手)のそれとは違って良性だったとばかり思っていたので、この訃報を知って愕然とした。

訃報を受けて早速かなり追記されたと見られるWikipediaを参照しても、1998年に受けた手術について、

検査の結果、ゴルフボール大の髄膜腫(良性の脳腫瘍)が見つかり、9月に摘出手術を受ける。

などと書かれている。しかし事実は悪性の脳腫瘍だったようだ。

津田恒美とは違って手術は成功し、盛田*1は一軍のマウンドにも復帰した。2001年のヤクルトとの日本シリーズ第3戦にもリリーフで登板した。しかし、9対2と大量リードを許して敗色濃厚の終盤に1イニング投げただけだった。この年の盛田は、レギュラーシーズンで34試合に登板して2勝0敗ながら、防御率7.06で、全盛期とはほど遠い投球内容だった。

盛田の全盛期はなんといっても1992年だった。この大洋ホエールズ最後のシーズン途中から監督に就任した江尻亮監督が、盛田を中継ぎ(今で言うセットアッパー)に起用したが、これがみごとに当たった。盛田からリリーフエースの佐々木主浩につなぐ継投で、この年の大洋は5位ながら、優勝を争うヤクルトに勝ち越し、読売と五分に渡り合って気を吐いた(反面、大洋はヤクルト・読売と優勝を激しく争った阪神にはカモにされた)。7月に甲子園でヤクルトが阪神と延長の死闘を戦った同じ日、横浜でリリーフに立った盛田が読売打線を抑え込み、終盤に大洋打線が爆発して大洋が読売に快勝した試合があった。その日、阪神との延長戦を制したヤクルトが首位に復帰したのだった。しかしそのヤクルトも、終盤に横浜・神宮でそれぞれ大洋に連敗した4敗*2を含む9連敗を喫して、一時期優勝が危うくなったのだった。この年の大洋戦は、中盤までにリードを許したら負けを覚悟し、実際その通りになった。その頃の印象から、盛田はヤクルトと読売に強かったイメージがあるが、詳細な通算成績がどうだったかまでは把握していない。

その大洋ホエールズ横浜ベイスターズとなってからは、不思議と盛田の印象は強くない。上記Wikipediaを参照すると、横浜ベイスターズ初年度の93年は不振で*3、94年と95年には復調したものの、イニング数は92年の半分強だ。96年からは再び不振に陥り、近鉄に移籍した98年に脳腫瘍の手術を受けた。上記朝日新聞デジタル記事の斎藤隆のコメントにある通り、横浜ベイスターズの38年ぶりリーグ優勝と日本一に盛田は加われなかった。このあたり、発病した91年にチームがリーグ優勝した津田恒美を思い出させる。

津田よりは運が良かったと言うべきか、盛田は復活し、2001年の近鉄のリーグ優勝に加わった。私の盛田の復活劇に感銘を受けた一人だ。しかし、盛田は翌2002年のシーズンを最後に現役を引退した。盛田が最後に所属した近鉄バファローズも、2004年の球界再編騒動でオリックスに吸収される形で合併して消滅してしまった。

そして、私は全然知らなかったのだが、病魔は盛田氏の体内にしぶとく居座っていたのだった。前記Wikipediaには、

2005年の夏に脳腫瘍が再発するが、翌2006年2月に除去手術を受けて成功した。しかしその後も2010年に脳腫瘍の転移した骨腫瘍が発生、2013年には脳腫瘍も再発、骨への転移と手術も繰り返すようになり、2014年の春には大腿骨を骨折するような状況であった。

と書かれている。

また、下記はデイリースポーツの記事。

盛田氏ブログに「健康な身体がほしい」/野球/デイリースポーツ online

盛田氏ブログに「健康な身体がほしい
2015年10月17日

 プロ野球の大洋(横浜、現DeNA)、近鉄で主に救援投手として活躍した盛田幸妃さんの訃報が16日に伝えられたが、公式ブログには盛田さん自身の手により闘病の歩みが記されている。

 最後の書き込みは14年4月26日で、「二週間前から入院してしまいました。今度は右足の付け根を骨折したので大変です」と報告し、「何とか、生きます 心配かけてすみません!!またね!!」とつづっていた。

 ブログが開設されたのは10年4月22日。ブログを開設してすぐの時期に右腕上腕部の骨折を明らかにしているが、10年6月11日には「骨腫瘍」だったと公表、「脳からの転移ではないか」と事務局の書き込みとして報告されている。

 12年10月4日にも「右上腕部の手術のために入院をしました」と明かした。「今年の3月に脳の再発で手術をしたと思ったら今度は腕です。いったい何回やれば終わりが来るのか?もしも神様がいるのならば何度、試練を与えるのか、まあ〜やるしかないでしょ〜下を向いてもしょうがない」と、度重なる腫瘍の再発に揺れ動く心境が語られている。

 この時、腰にも腫瘍が見つかっていた。43歳の誕生日を迎えた後には「最高の野球人生を送る半ば28歳で病気になりその後、カンバックしましたが脳、腕、腰の再発の連続です。もし、プレゼントをくれるならば、時間を巻き戻し27才から始めたい。野球が駄目なら健康な身体がほしいでも、叶わない夢です」と心の叫びをつづっていた。

 この後も繰り返し手術を受けた盛田さんは努めて明るく、治療を受ける自分の姿をブログで伝えていた。野球解説者としても、日本ハムの大谷が二刀流に挑戦することに反対を表明するなど、はっきりと自分の意見を表明し続けていた。

 時には弱音を漏らすこともあったが、「病気には笑顔がいいらしい」など自分を奮い立たせていた。そして、健康の大切さを読者に訴えていた。

(デイリースポーツより)


健康の大切さ、といっても盛田幸妃津田恒美のような、日頃から体を鍛えているプロの運動選手でも脳腫瘍に冒されては勝てない。病気の運不運ばかりはどうしようもない。

デイリースポーツの記事にあるように盛田氏はブログを残しているが、それを見ると、2010年の開設当時から「闘病ブログ」の色が濃いものであった。

http://ameblo.jp/morita21/

たとえば、デイリースポーツの記事にある2010年6月11日のブログ記事より。
http://ameblo.jp/morita21/entry-10560057824.html

2010-06-11 12:48:45
事務局より
テーマ:医療ブログ

本人からのコメントにありました、

入院の詳細をご報告させていただきます。

右腕上腕部を病的骨折と以前ご報告しました。

これは、右腕上腕部に腫瘍ができ、

骨腫瘍を発症したものでした。

検査の結果、幸いにも内臓からの転移ではなく、

脳からの転移ではないかと思われます。

手術は、上腕部の腫瘍部分を取り除き、

左腸骨を部分的に削り、移植を行ったものです。


下記2件は2011年7月の記事。

http://ameblo.jp/morita21/entry-10960581134.html

2011-07-21 15:57:16
検査結果
テーマ:医療ブログ

大変申し訳ありません。
結果は、何と言えばいいでしょう。大丈夫でした。転移は、ありませんでしたありがとうございました。来週は、頭のMRI検査
です。
検査で忙しい


http://ameblo.jp/morita21/entry-10968858275.html

2011-07-29 15:42:27
検査結果
テーマ:医療ブログ

頭の検査が終わりました。最悪な検査です。
前向きに、考えます。


プロ野球では、盛田氏は横浜DeNAベイスターズ北海道日本ハムファイターズを応援していたようだ。

http://ameblo.jp/morita21/entry-11631092936.html

2013-10-08 12:57:00
動き出す
テーマ:野球

やはりプロ野球は、勝たないとダメですね!!負けたチームには厳しい人事、再編が待っている。当然のことですが。
ベイスターズは誰が責任をとるのか、考えていた。予想通り…しかし波留は、とばっちり
に私は思ったなぁ〜シーズン中の問題はあったが、たわいもない会話で引きずる
ことはないかも!?それが理由ならね。

ファイターズは、よく解らない!?少し厳しい気もする。ヘッドにも多少なりとも…
責任はあるような…まだまだ書きたいが
危なくなるので止めときます叫び

危ないベア〜


最後のブログ更新は昨年(2014年)4月26日だった。

http://ameblo.jp/morita21/entry-11834630331.html

2014-04-26 22:47:50
又…
テーマ:医療ブログ

えーと、二週間前から入院してしまいました。

今度は右足の付け根を骨折したので大変です、

いきなり折れたので、最高に痛かった

嫌なことばかりですが。しょうがない…としか言えない。
体重も80キロになりました?

何とか、生きます

心配かけてすみません!!

またね!!


最後のブログ更新から1年半近くが経っている。

闘病は長く苦しいものであったのではないかと想像される。

長い間お疲れさまでした、という言葉しか浮かばない。故人のご冥福をお祈りする。

*1:以後、プロ野球球団所属当時の呼称は敬称略。

*2:この4連敗でヤクルトは大洋との対戦成績を逆転され、この年の大洋戦は12勝14敗の負け越しに終わった。

*3:盛田の不調の影響もあってか、この年ヤクルトは22勝4敗と横浜をカモにして連覇した。