昨年末に図書館で借りた本は4タイトル6冊で、うち2タイトル3冊は、仮に返却期限が迫っても一気読みできるようにと松本清張ものだったのだが、予想外に読むのに時間がかかってしまい、返却期限当日の今朝、やっとこさ読み終えた。
- 作者: 松本清張
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/07/10
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- 作者: 松本清張
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/07/10
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『火の路』は1973年から74年にかけて朝日新聞に連載され、75年に文藝春秋から単行本化された。さらに1983年に文春の『松本清張全集』第50巻に収録され、2009年に清張生誕100年を記念して文春文庫版が出版されたらしい。
松本清張(1909-1992)は福岡県(現北九州市)の出身で、若い頃に北九州市にある朝日新聞西部本社に勤めていたが、作家としてデビューしてからは、読売新聞に代表作の『砂の器』を含むいくつかの小説を連載したものの、朝日新聞の連載はどうやら本作が初めてだったようだ。そのせいか、清張が心血を注いだと思われる古代史の研究成果の発表ともいえる、異様に力の入った作品になっている。そのために読むのに骨が折れた。清張作品で読むのにこんなに時間がかかったのは初めてだった。清張が立てた仮説の検証については、下巻に考古学者で同志社大学名誉教授だった故森浩一氏(1928-2013)の解説が参考になる。森氏は、清張の仮説にはその後の研究によって否定された部分もあるとはいえ、
『火の路』での清張さんの大胆な仮説の提出が学界の起爆剤になったことは銘記しておいてよかろう。(下巻507頁)
として、『火の路』で清張が提示した仮説を高く評価している。
ただ、読者の大半が期待するであろうミステリーの部分が尻切れトンボになった印象は否めない。物語の舞台が松山と思われる四国の城下町に移るが(同じ朝日新聞に小説を連載していた夏目漱石へのオマージュではないかと思った)、結末にはエラリー・クイーンの(というか「バーナビー・ロス」の)さる小説を思わせるところがあるなど、完成後手を入れればミステリーとしても読み応えのある名作になったのではないかと思ったが、連載に力を注いだと思われる割にはそれはやらなかったらしいことが惜しまれる。
ただ、終わり近くで舞台を四国(愛媛県)のほか、九州(福岡県の古賀に近いという鐘崎というところ)に移したことは、『火の路』連載終了から1年あまり後の1976年1月から10月にかけて『週刊新潮』に連載された『渡された場面』に引き継がれる。『火の路』と同時に借りたのはこの本だったが、こちらは短時間で読み終えられるいつもの清張作品だった。
- 作者: 松本清張
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1981/01/27
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『渡された場面』とは、作品中の佐賀県(唐津に近い「坊城町」という架空の地名だが、佐賀県唐津市呼子町がモデルらしい)と四国A県の県内第二の市(明記されていないが、愛媛県第二の市なら今治市になる。しかしネット検索をかけると描写された特徴が特徴が新居浜市=愛媛県第三の都市=に酷似しているとの指摘もあった。但し、今治と新居浜のどちらを考えても辻褄の合わない箇所があるので、架空の地と考える方が良いと思った)との間で場面が渡されることを指すが、同時に『火の路』から渡された場面であるともいえるのではないかと思ったのだった。
ただ、九州方言には堪能だったに違いない清張も、関西弁と四国方言との区別が全くついていなかったのではないかと思った。作中に登場する四国の警察官の言葉は、四国の言葉というより関西弁に近いものの、関西弁としてもおかしな、国籍ならぬ地域不明語としか言いようがない。もっとも舞台は今治でも新居浜でもない架空の市だからそれで良いのかもしれないし、関西にも中国地方にも四国にも首都圏にも居住経験のある私自身の言葉もまた地域不明語になっている(笑)。
しかし、下記のくだりにはさすがに引っかかった。
「……瀬戸物では聞えたところですな。伊万里も近うて」
陶器のことを関西や四国では瀬戸物と云っている。(同114頁)
えっ、「瀬戸物」って東京でも言うだろ?と思ってネット検索をかけたら、案の定だった。
世界大百科事典 第2版の解説
せともの【瀬戸物】
大衆向けの日常用陶磁器の俗称。その用語例は1563年(永禄6)に織田信長が下した制札に始まるが,一般に用いられるようになったのは,江戸時代に入って窯業生産の主座から転落した瀬戸,美濃において,大衆向けの日常食器類が主として焼かれ,それが全国的にひろく流通するようになってからであろう。通常,瀬戸物の語を用いるのは近畿地方以東の東日本であり,中国,四国,九州などの西日本では唐津物(からつもの)の語が流布している。
「瀬戸物」とはやはり東日本から近畿地方にかけて普通に使われる言葉だった。清張が書いたような「関西と四国の方言」などではない。
四国の香川県(や中国地方の岡山県)に住んでいた頃、瀬戸物のことを「唐津物」と言っていたかどうか、それは実は記憶にないのだが(そもそも高松市の居住経験があるとはいえ四国の家庭に生まれ育ったわけでもないからわからない)、これは単純に瀬戸(愛知県)と唐津(佐賀県)のどちらに近いかによって呼び方が変わってくるのではなかろうか。それに四国といっても広いから、「瀬戸物」と言う人もいるし「唐津物」と言う人もいるかもしれない。それに清張が小説を書いた70年代と今では違うかもしれない。ただ、現在では、というよりこの小説が書かれた1976年にも既に四国の瀬戸内側から九州に行くには、一度瀬戸内海を渡って本州の岡山県あるいは広島県を経由して行く方が、四国から九州に直接渡るよりも早く、作中の四国の警察官たちもそのルートで佐賀県を訪れているのだが、昔はそうではなかったはずで、だから四国でも「唐津物」と言うのが普通だったのかもしれない。
なお、『渡された場面』はミステリーとしては1976年当時NHKで放送されて絶大な人気を誇っていた『刑事コロンボ』を思わせる倒叙ものの作品だ。最後の1頁でオチるのは、この頃の清張作品の定番だ。1973〜74年の『火の路』も、1972年に高松塚古墳の壁画が発見されて古代史がブームになった時代の小説だったから、松本清張は流行に敏感な作家だったともいえよう。しかし、『渡された場面』も『火の路』同様、もう少し手を加えればもっと良い作品になったものを、と思わされた。未回収の伏線などが目につく。
しかし、作品の完成度を90%から95%へ、さらには99%へと高めるには膨大な時間がかかる。それよりも新しい小説を書きたいという欲求に突き上げられていたのが松本清張という小説家だったのだろうから、そこは我慢しなければならないところなのだろう。