kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「人間、40,50歳になっては、そうそう『コペルニクス的転回』は起こらない」のは確かだが

つぶやきの主のTwitterを見ると、私が蛇蝎のように嫌っている孫崎享Twitterリツイートしたりしている、小沢一郎支持者なのだろうと推測する。

人間、40,50歳になっては、そうそう「コペルニクス的転回」は起こらない。日記の主も同様。

というのはその通りだし、日記を読んでもらえばわかる通り私もその年代なのだが、歳をとってできることの一つに、日本あるいは世界の歴史の流れで自分史をとらえ直すということがある。

たとえば昨日取り上げた中野晃一の本を読んで、戦後の日本政治史を改めてなぞり、中曽根政権時代、海部(小沢傀儡)政権時代、細川七党連立政権時代、自社さ政権時代、橋本政権時代、小泉政権時代、民主党政権時代、そして現在の安倍政権時代と自分が何を考えてきたか、それを著者の見解と照らし合わせることができる。

さらには、自分が生まれる前の本を読んで、それは戦後すぐの時代だったり戦前だったり明治時代だったり、あるいは19世紀のフランス(ピケティが引用したバルザックの『ゴリオ爺さん』など)だったりするが、そういう本を読んで(政治や経済の本よりも小説の方が良いと思う)、過去から現在までの時代の流れを自分なりに捉え、自らの死によって不可知である未来を想像する。それは、若い頃にはなかなかできない、というかやろうと思わないことだったりする。

たとえば戦後すぐの時代に書かれた小説で面白いと思ったのは、昨年初めに図書館で借りて読んだ堀田善衛の「広場の孤独」(1951)だった。その後辺見庸が絶賛した『時間』も岩波現代文庫で最近読んだが、私には「広場の孤独」の方が圧倒的に面白かった。主人公は戦後すぐの時代に、今の産経を思わせる反動的な新聞社に勤務する新聞記者だ。


広場の孤独 漢奸 (集英社文庫)

広場の孤独 漢奸 (集英社文庫)


時間 (岩波現代文庫)

時間 (岩波現代文庫)


あの当時は、共産主義への幻想も戦前への回帰を目指す反動の圧力もともに、その後の70年代や80年代とは比較にならないくらい大きい、緊張に満ちた時代だったのだなと思った。そこから60年安保、高度成長時代へとどうつながるのか、その歴史のダイナミクスについて仮説を立て、実際に得られる当時の情報と照らし合わせて自らの仮説を修正していく。この作業は結構面白い。仮説を立てて実験結果または社会に関するデータと照らし合わせるのは、自然科学においても人文・社会科学においてもオーソドックスな手法のはずだ。このことを十分理解していれば、あの分厚いピケティの『21世紀の資本』を読むことも全然苦にならないはずだと私は思う。

ただ、正直言ってあるべき未来像を確立するところまでは行っていない。「再分配を重視する政治」もゴールではなく今後の過渡期のある時点での目標にとどまる。確固とした大目標を打ち出せないは己の力不足のためであり、それは今後死ぬまでの課題だ。

とはいえ、

人間、40,50歳になっては、そうそう「コペルニクス的転回」は起こらない。

などと言って耳に障る他者の対立意見を聞こうともせず、耳に心地良い仲間の言葉だけ聞いて満足する中高年ライフを送るのでは、あまりにつまんない人生じゃないか、そう私は思うのだ。

もちろん、そんなの人の勝手だろ、大きなお世話だ、と言われればそれまでだけど。