kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

イチローとピート・ローズと谷亮子と

もはや旧聞に属するが、先週「日米通算安打数」でピート・ローズの「大リーグ記録」とやらを抜いたイチローのインタビューが面白かった。下記サイトに全文が収録されている。

イチロー"ローズ超え"日米4257安打 会見全文「僕が持ってないはずない」 | Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―

同案多数だろうが、もっともウケた部分をピックアップする。

――日本のファンが自分たちの喜び、誇りになると国中が喜んでいる。こちらでプレーヤーとしてそういうことを与えられたということについては?

「それは嬉しいんですけど、難しいところですねぇ。合わせた記録というところが。だから、いつかアメリカで、ピート・ローズの記録を抜く選手が出てきてほしいし、それはジーターみたいな人格者であることが理想ですし、もっと言えば、日本だけでピート・ローズの記録を抜くことがおそらく一番難しい記録だと思うので、これを誰かにやってほしい。とてつもなく難しいことですけど、それを見てみたいですよねぇ。だから、日米合わせた記録とはいえ、生きている間に見られて、ちょっとうらやましいですね、ピート・ローズのことは。僕も見てみたいです」

朝日新聞 2016年6月16日)


要するにイチローの本音は、たいしたことねえよ、こんな記録なんて。俺がずっとメジャーでプレーしてたらピート・ローズの記録どころじゃなく、もっと沢山ヒット打ってたぜ。それをあんなピート・ローズみたいな野球賭博で永久追放食らった人間失格野郎がガタガタ言いやがって、ふざけんなよ。といったところだろう。

実際、日本でイチローがブレイクしてからの7年間である1994〜2000年の7年間と、メジャーに移籍したあと、衰えが見え始める前の2001〜2010年の10年間の記録を比較してみると、イチローがずっとメジャーでプレーしたと仮定すると、おそらく4500本を軽く超える安打数を記録していたに違いないと思われる。イチローのようなプレースタイルの選手であれば、日本プロ野球でもMLBでも同じような安打数を記録することができるから、単純に年間の試合数と年間の安打数の期待値が比例すると思われるからだ。

一方、イチローの快挙を伝えるスポーツジャーナリズムの報道は一様に貧困だった。せっかくピート・ローズにインタビューしながらそれを無批判に垂れ流した報道ステーションテレビ朝日)はその一例だし、下記の6月16日朝日新聞記事には、事実関係がおかしいところさえあった。以下引用する。

 日米で積み重ねた4257安打。イチロー選手が、ピート・ローズさんの大リーグ最多安打記録を上回った。「鳥肌が立った」「まだまだ頑張れる」。高校時代の恩師らが「世界一」を祝った。
 母校・愛工大名電高で監督だった中村豪さん(74)は愛知県西尾市の自宅で生中継を見た。新記録に「鳥肌が立った。神々しさや、神がかり的なものさえ感じる」と興奮気味に話す。
 42歳になった教え子の姿に「白髪が増えたね」。それでも、「まだまだ走れる。ますます記録を伸ばし、年寄りの夢をかなえてほしい」と期待した。
 出身地・愛知県豊山町は、長さ9メートルの幕を役場に掲げ、新記録を祝った。「豊山町の名前を世界に広めてくれた。努力を重ねる姿を子どもたちにも見習ってほしい」と鈴木幸育(ゆきやす)町長。「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」を主催するNPO法人JB豊山」のメンバー、河井政三(まさみ)さん(73)は、「『日本の宝』が『世界の宝』になった。50歳まで記録を伸ばしてほしい」と話した。
 少年時代、イチロー選手は豊山町のバッティングセンター「空港バッティング」に通った。「誇らしい」とオーナーの前田岩夫さん(76)。「細い子だったけど、ボールをバットの芯で捉えるのがうまかった」
 日本で9シーズン在籍したオリックス。当時、選手寮「青濤(せいとう)館」(神戸市西区)の寮長を務めた平川恵一郎さん(77)=大阪市中央区=は「4千本安打を達成した時は『神の域』と思った。今度は世界一。何と言ったらええかわからん。誰もよう破らんで」。
 寮の部屋には、NBAで活躍したマイケル・ジョーダンさんや、柔道の五輪金メダリスト谷亮子さんらの写真が貼ってあった。「世界一になることが、当時から目標やったんやろね」と振り返った。


私がイチャモンをつけるのは最後の文章だ。「寮の部屋」というからにはイチローの独身時代の話であり、イチローが結婚したのは1999年だからその前のことなのだろうが、当時「柔道の五輪金メダリスト谷亮子」なる人物など存在しなかった。谷亮子は当時まだ田村亮子という名前だったなどと言いたいのではなく、田村亮子は1992年のバルセロナでも1996年のアトランタでも五輪の決勝戦で負けていて「金メダリスト」ではなかったのである。「世界一になることが目標だった」はずのイチローが、谷(田村)亮子の写真を貼っていたなんて本当だろうか。それ自体疑いたくなる。

そもそも私は、谷亮子人間性なんてピート・ローズと似たようなもの、つまり競技者としては超一流なのだろうが、人格的には全く尊敬できないとみなしている。仮にイチローが寮の部屋に谷亮子の写真を貼っていたとするなら、それは当時のイチローに人を見る目がなかっただけの話であろう。