kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

夫の三浦朱門が認知症になった曽野綾子は、丹羽文雄の前例を知らなかったのか

曽野綾子の夫にして、かつて「できん者はできんままで結構」、「無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいい」(『機会不平等』文春文庫)*1などの暴言を吐いたことで悪名高い三浦朱門認知症になったことで曽野綾子が打撃を受けて自分が書いたばかりの近作を自己否定した件は、さとうしゅういち氏の記事を読んで知っていた。

植松被疑者の「師匠」曽野綾子さん、夫の認知症で「転向」? : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2016年9月26日)

「高齢者を始末すべき」というお考えを反映させた小説を書いておられた曽野綾子さん。

相模原大虐殺の植松聖被疑者の「師匠」と言うべき存在でしょう。

石原慎太郎さん、曽野綾子さんらの「役に立たない奴は死ね」的な思想を植松被疑者はまともに実行してしまっただけです。

その曽野さん。夫の三浦朱門さん(元文化庁長官)が認知症の症状を呈した今、お考えを変えられたそうです。

小説家としてはあまりにも想像力が足りなかったのではないか?

それとも、ウケる中身の文章を売っていただけなのか?

今まで、大物文化人として大物政治家の石原慎太郎さん、麻生太郎さん、片山さつきさんらとともに「植松」的な思想を流してきた人間として責任を取って頂きたいものです。


それでも反省の色さえ見えない石原慎太郎さんよりは、(自分自身に介護問題が降りかかってからとはいえ、)反省した曽野綾子さんは「よりまし」かもしれないですけどね。


http://lite-ra.com/i/2016/09/post-2585-entry.html

 曽野の独占手記を読むと、自宅にケアマネージャーが訪れるなどしていることが窺えるが、そのように夫の介護を決意したいま、曽野は以前に発表した“ある小説”について、こう振り返るのだ。

〈この危険で破壊的な小説の内容は、当時あくまで空想上のことであった。むしろ現在だったら、私はこの作品を書けなかっただろう〉

 その小説とは、曽野が「小説新潮」(新潮社)2014年1月号に発表した「二〇五〇年」という短編のこと。「いまなら書けない」というこの小説、じつは高齢者の自己責任を煎じ詰めた内容なのだ。


認知症を患った老齢の小説家で忘れられないのは、90年代後半にNHKの番組で見た丹羽文雄の例だ。時間軸での検索が苦手なインターネット検索の例に漏れず、なかなか当時見た番組を記述したサイトが引っかからなかったが、下記2件をみつけた。

人生の奥付ROAD TO THE EXPERIENCE OF KOREA 痴呆と耄碌ー丹羽文雄(2007年2月25日)

『作家丹羽文雄・痴呆を生きる』(NHK)を見た。(認知症という言葉を使っていないから、七・八年前の制作だ)
 82才でアルツハイマーと診断され、その後18年生きる。
 60代の後半にはその兆候が見え始めたそうだ。母校早稲田から卒業生としての活動を表彰されて演壇に上がった。3分スピーチの約束が20分続いた。同じ話題を、視点を変えて繰り返したという。娘の証言である。父は演説が上手だった。おかしいなと思った。
 身の回りの世話を焼く娘は82才の診断結果を父に告げていない。だから丹羽文雄は加齢による耄碌だと思っている。そこにこの番組の価値があった。

 アルツハイマーは進行性の病だ。丹羽は小説を書いても、前後を繋ぐことに困難を感じてきた。編集者は小説ではなく病気の記録を書くよう依頼したが、娘は痴呆の父を世間に晒したくないと断っている。以後丹羽は世間から姿を消した。
 記憶は薄れても習慣だけは残る。机の前に座りペンを取る。しかし原稿用紙に書かれる文字はいくつも並ぶ自分の名前だけだ。
 娘は父に病気を告げなかったことを後悔し始める。そして自宅にNHKのカメラを入れた。
 
 言葉の記憶がなくなるから、丹羽はカメラに向かってほとんど言葉を発しない。唯一のインタビューが撮れている。「人間には限界がある。それを知らなくちゃいかん」。自分は耄碌してきた。それを自覚しなくてはならない。そんなことのようだ。
 この状況は自信家の丹羽にとって苛酷だ。若い頃の文壇インタビュー番組の映像が挿入されている。「九十になっても百になっても小説を書く」。人間を究めたいという意欲は満々だった。

 アルツハイマーの原因は分からないが、夫人は文壇でも知れ渡った料理家だから、丹羽が美食家であることは確かだ。ちなみに、夫人も痴呆で有料ホームに入っている。

 番組は金持ち家族の記録だ。それ故“文学の時間”的価値はあっても、“福祉の時間”的価値はない。しかし、痴呆の兆候を考えさせるには十分だった。

 周囲の人間は気付く。本人も注意深く生活していれば掴むことはできないか。
 冒頭に書いたスピーチの例から判断して、時間の観念がもっとも顕著に薄れていくようだ。行動をメモする習慣は有効かもしれない。
 丹羽は手紙も書けなくなっている。便箋に大き目の字でやっと一枚が埋まるかというところで、後が続かず文は完成できなかった。
“時間の感覚”と“文章完成能力”。これが痴呆の兆候目安だ。習慣的な趣味の手順に躓きが生じたら目安にもなる。これらは単なる物忘れとは異なるだろう。

 何故痴呆の兆候を自覚することが大切なのか。他人の世話になったら、世話してくれるその他人が後戻りできないからだ。自分の始末は自分でつける。さて、方法は。20年間考える。


もう一件のリンク先には、NHKの番組をキャプチャしたと思われる画像が多数挿入されており、番組の音声の文字起こしも記されている。番組を見た時の記憶がまざまざと甦ってきた。

丹羽文雄(痴呆)と母親(まだらボケ)の介護に献身、斃れた本田桂子さん つぶやき館/ウェブリブログ(2014年10月6日)

 あの文壇の大御所だった丹羽文雄氏があろうことかアルツハイマー型痴呆を患い、さらには母親の綾子さんもパーキンソン病、大腸がんなど多くの疾患を経て、「まだらボケ」の症状、人格も変わって意地悪に変身で両親の介護で長女の桂子さんに降りかかった介護の数知れない言うに言えない苦しみはその著書を読めば誰しも驚かれると思う。ただその世話、介護はいかに大変であっても愛すべき父親という文雄氏に比べ、母親の綾子さんの「まだらボケ」こそは桂子さんにとって「諸悪の根源」という苦しみを与えたのである。両親の介護でいかに本田桂子さんが御苦労されたか、・・・遂に桂子さんは文雄氏よりずっと早く亡くなられてしまったのである。

(中略)

 最近は認知症という疾患名が定着し、痴呆、ボケという現実的な意味合いを持ち得ない病名を無条件に社会は受け入れる状況は極めて好ましくない、と私は思う。痴呆ともボケの症状もまず見られない高齢者が「医師が認知症と言えば認知症」というわけで、認知症という精神疾患病名利権の暴走となっているのは疑問を感じるが、・・・さて。

 あの丹羽文雄氏が、・・・・アルツハーマー型痴呆になろうとは、・・・これ病名はあるていど病理学的裏付けがあるとされるが、・・・・・・長く日本文芸家協会の会長、さらに数知れない肩書、役職、・・・私費を投じて文芸誌「文学者」を創刊、継続し、一切の会費を取ることもなく無名の新人、−竹西寛子瀬戸内晴美(寂聴)、河野多恵子、などを文壇にデビューさせた功績。文壇の大御所とは菊池寛など歴史的に問題ではなく、もう丹羽文雄にとどめを刺す、・・・のであるが、娘の桂子さんにとっても、「父親以上の男性に巡り合えるどうか」と思うほどの魅力あふれるハンサムでダンディだった丹羽文雄氏が痴呆となってしまったのである。文化勲章も受賞し、芸術院会員、その栄誉は数知れなかった。「非情の作家」と呼ばれ、人間の煩悩、罪をえぐりだす作品を次々と発表し、まだ志半ばと言える80歳過ぎでの発症だった。

 丹羽文雄氏の作家としてのある意味、最大の特徴が「驚異的な多作」という点が挙げられるべきだろう。まさにこの世のものとは思えぬ多作、多くの役職、交際も同時に行いながらの超人的多作はその内容の密度からして感歎すべきものであった。その憑かれたような多作の根底にあるものは何であったの?高密度の作品の信じられない多作の果てに行きついた所がアルツハイマー型痴呆、−もう自分自身の作品の記憶は皆無に近い、というのだから世の中、分からぬものである。

(後略)

丹羽文雄の妻の名前は奇しくも曽野と同じ綾子なのだが、綾子氏自身も「まだら呆け」になり、それが本田桂子氏に多大な負担となったという。

番組は、アルツハイマー病を患い、当時まだ存命だった丹羽文雄の言動の映像が映し出されていた。それはそれはショッキングきわまりない生々しい映像だった。

自著の書庫を文雄氏に見せる桂子さん、

 「これ、みんなお父さんが書いたのよ」

 文雄氏、本を一冊ずつ指差して

 「丹羽文雄、・・丹羽文雄、・・これも丹羽文雄!」

 もう自分が本を書いたということさえ、忘れている

この場面など鮮明に覚えている。三重県四日市市出身の丹羽文雄は、「にわふみお」という自身の名前を、「に」に強勢を置いて高く発音していた。典型的な京阪式アクセントの発音だった。

丹羽文雄さんの死と家族の過労死: あしあと

丹羽文雄さんの死と家族の過労死

4月20日 文豪丹羽文雄さんが100歳で亡くなりました。
私がショックだったのは、娘さんの本田桂子さんがご両親と義母の介護のために、65歳で過労死なさっていたのを知ったことです。

本田桂子さんが書かれた「父・丹羽文雄介護の日々」を読んで赤裸々な介護ライフに複雑な思いをもったことがあります。

丹羽文雄さんは温和ないい人にボケて、お母様が陰険な意地悪ばあさんにボケたのです。お母様は文豪の妻として模範的ないい人を演じ続け、そのせいかどうかわかりませんが、いいボケ方をしなくて、娘の桂子さんをものすごく苦しめるわけです。特にお金に対して大変な執着があって、実の娘を本当に訴えようとしました。

本田桂子さんはストレスのあまりアルコール依存症になり、やっと回復して本を書き、そして過労死だったなんて、あんまりじゃないですか。

私はホームヘルパーの仕事をしているので、さまざまなタイプの認知症(昨年から痴呆から呼び変えた)のお年寄りと出会いました。認知症の方は感覚が鋭敏で、上手に接しないと手に負えなくなる方もあって、認知症の方のお世話は大変な仕事の部類に入いることが多いです。

でも基本的には私は認知症の方と接するのが好きです。そんなエピソードのエッセイ「ピュアな心」を書いたこともあります。

ただ、ご家族の大変さというのは壮絶です。本当に大変です。本田桂子さんの過労死、残念です。今だったらヘルパーやデイサービス、グループホーム等を利用して、ご家族の負担を減らして、本田桂子さん死なずに済んだかもしれないと思いました。


私も本田桂子氏が丹羽文雄よりも早く亡くなっていたことを知った時にはショックを受けた。

それにしても、石原慎太郎曽野綾子が、同じ世界の大先輩である丹羽文雄の例を知らなかったはずはなかろう。

だが石原や曽野は、自らの極右政治家あるいは極右言論人としての主張に不都合な真実から目を背けていただけなのではないか。ネトウヨをはじめとする「自己責任厨」からの拍手喝采を得ていい気になっていた彼らはある日、災いが我が身に降りかかってきたことに気づいて愕然とした。それだけの話ではないのか。

そう思うと、彼らへの同情心などこれっぽっちも起きない。

今朝のTBSテレビの『サンデーモーニング』ラストの「風を読む」だったかで、アメリカのシンクタンクの調査で「政府は自分で生活できない人を救うべきか?」という質問に対し、「救うべきではない」と答えた人の割合は、イギリス8%、ドイツ7%、イタリア9%、中国9%に対して、自己責任論者が多いアメリカでは28%もいた。ところが日本は、アメリカをも大きく上回る38%にも達していた。

その「自己責任厨」を煽った張本人が石原慎太郎曽野綾子(や麻生太郎橋下徹片山さつきや長谷川豊ら)だったのである。

彼らに対して取るべき態度は、同情よりも批判だろう。まず彼らの流した害毒を正しく指摘しなければならない。もちろん批判したあと、かけらほどの同情はしてやっても構わないとは思うけれども。