kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

斎藤貴男『『あしたのジョー』と梶原一騎の奇跡』(朝日文庫)を「再読」した

2001年に新潮文庫版で読んだもののその後処分してしまった斎藤貴男の『梶原一騎伝』が、タイトルを変えて朝日文庫朝日新聞出版)から再刊されたので、高かったけれども買って、15年ぶりに読んだ。買ったのは、この日記でしばしば梶原一騎が話題にのぼるせいもある。初めて読んだ時(倉敷から愛媛まで、石鎚山だったか瓶が森だったかに行ったときの行きの列車と帰りの高速バスの車内で読みふけった)と同様、一気読みしてしまったために、年末の大掃除の予定がすっかり狂ってしまった。しかもこうして日記に駄文まで書いているから予定がますます狂ってしまう。



以前にも何度か書いたが、私は著者の斎藤貴男との相性があまり良くない。それは、もしかしたら斎藤氏が今でも梶原一騎にはまり続けているような心性の持ち主だからかも知れない。私は小学生の頃こそなんとかの星を読んだが、中学生になって手塚治虫の『火の鳥』を読んだのをきっかけに手塚派に完全転向し*1、以後梶原一騎をバカにするようになった(ちなみに手塚治虫は『××の星』のどこが面白いのか全く理解できなかったという)。世間の人々というか子どもたちの間でも、漫画の読者の梶原一騎離れは70年代後半以降急速に進んだように記憶するから、同様の人は同世代に結構いるのではないかと思う。しかし、それにもかかわらずこの本は文句なく面白い。斎藤貴男氏本人には不本意かもしれないが、私は本書こそ斎藤氏の最高傑作だとの思いを新たにした。

この記事では、この日記で話題になった件を中心に軽くコメントする。

まず、スポ根野球漫画『××の星』*2に実名で登場するプロ野球・読売の選手(当時)の森昌彦岐阜県出身)や金田正一(愛知県出身)が、出身地の言葉とはかなりかけ離れている関西弁を使っている件について、私は作画の川崎のぼるは大阪出身なのになあ、と書いたことがあるが、セリフは原作者の梶原一騎が作っているんだろう、でも梶原も九州出身のはずなのに、というコメントをいただいた。

しかし、本書を再読して、梶原一騎は九州(熊本)出身ではなく江戸っ子であったことがわかった。梶原は東京府浅草区(現在の東京都台東区)生まれで育ちも東京、九州には戦争中に宮崎県の日向に疎開したことはあるものの、それ以外は東京都か神奈川県にしか住んでいない。自らが九州出身だという情報は確かに流布していたが、それは梶原一騎自身がでっち上げた虚像だったことが本書で明らかにされている(但し梶原のルーツは確かに熊本にある。祖父の代まで熊本在住で、ちょうど生まれも育ちの東京の安倍晋三のルーツが長州にあるようなものだ)。セリフについてはコメント主の推測通り、当時の川崎のぼる程度のキャリアの浅い作画者の場合、ほぼ梶原が押しつけていたようだ(『あしたのジョー』のちばてつやなどは、原作にない作画をずいぶんしていたようだが)。東京の人たちの中には名古屋が関西に含まれると思っている人が少なくないことを私は知っているから、なんだ、典型的な頭狂人、もとい東京人の考えたセリフだったのか、と納得してしまった。

また、梶原一騎・正力松太郎・長嶋茂雄・天地真理 - kojitakenの日記(2011年11月16日)に、

 先日、南沙織に関して書かれた本を読んでブログに記事を書こうとしていた時にネット検索にしきりに天地真理が引っかかったのだが、梶原一騎の劇画から芸名をとった、いかにも「作り物」の雰囲気に満ち満ちたこの人がタイムマシンで現在に現れたとしても「ゲテモノ」扱いされるだけで、あの当時のような爆発的な人気を得ることなどあり得ないだろう。ところが70年代前半とはおそるべき時代で、読売が9連覇を目前にした1973年10月7日には、「天地真理長嶋茂雄誘拐未遂事件」が起きた。

と書いたことがあるが、天地真理の芸名が梶原一騎作品からとられたことに関する記述を本書から抜き書きしておく。

(前略)『朝日の恋人』の連載が、こうして始まった。

 ――暴力団組長の娘として育てられたヒロイン天地真理は、その境遇を恥じ、あくまでも気高く生きる女子高校生である。坂本征二ら、彼女を愛する男子生徒たちは、彼女にふさわしくありたい一心で男を磨いていく――(本書223頁)

 掲載誌『チャンピオン』の編集長だった成田清美は作中の天地真理に惚れ込み、連載中生まれた長女に「真理」と名づけた。

 また本名を斎藤真理といった女性歌手の芸名も、この作品から取られた。(本書224頁)

そういえば著者も斎藤姓であり、斎藤貴男という名前は『ゴルゴ13』の作者であるさいとう・たかをと紛らわしいことこの上ない。これについては著者自身があとがきで言及しており、

氏には迷惑な話で、申し訳ないなのだが、これは親から貰った本名なので、変えるわけにもいかないのである。(本書489頁)

と書いている。もっとも最近では、かつて所属していた芸能事務所に本名でもある芸名の使用を禁止されたことで話題になった芸能人もいる。

『朝日の恋人』については、歌手の天地真理が漫画のキャラクターの天地真理のファンから不興を買ったというブログ記事をどこかで読んだ記憶がある。私はこの漫画を読んだことがないので、そんなに魅力的なヒロインかどうかはまったくわからない。

なお、この漫画は1971年にNET(現テレビ朝日)がテレビドラマ化したときに『太陽の恋人』というタイトルで放送されたが、3か月で打ち切られた。本書には、

東映によるテレビドラマ化の際、関西でのキー局が毎日新聞系の毎日放送であったためにライバル朝日新聞を連想させるタイトルが嫌がられ、『太陽の恋人』に改題したことがテーマ性を失わせる要因となった。(本書252-253頁)

と書かれている。しかし、Wikipediaを参照すると、

関西地区では当時の系列局だった毎日放送東京12チャンネル(現:テレビ東京)の番組を同時ネットしていた関係で、独立UHF放送局サンテレビ近畿放送(現:京都放送)で1週遅れの水曜20:00 - 20:54に放送された。

とある。おそらくこちらが正しそうだ。なお、大阪では毎日放送は1975年3月までNET(現テレビ朝日)とネットを組み、朝日放送がTBSとネットを組んでいたが(いわゆる腸捻転)、田中角栄の肝煎りで毎日放送がTBSと、朝日放送がNETとネットを組む現在の関係になった。しかし毎日放送には東京12ちゃんねるからネットを受ける番組もあり(その逆もあった。『ヤングおー!おー!』など)、NETの番組のネットを打ち切ったりしたこともままあったから(『23時ショー』など)、もしかしたら毎日放送がネットを受ける話があったものの、原作のタイトルを嫌って立ち消えになったのかもしれない(毎日放送が嫌ったのは朝日新聞よりも在阪民放局のライバル・朝日放送の名前を連想させることだったのだろうけれど)。

梶原一騎の話に戻ると、梶原とコンビを組んだ漫画家は結構苦労したらしい。超常現象に傾斜したつのだじろう*3などは、オカルト漫画『魔子』のセリフで梶原一騎実弟真樹日佐夫に呪いをかけたが、梶原の側近の中心によって梶原らに露呈し、その結果つのだは梶原・真樹兄弟によって京王プラザホテルに軟禁されて詫び状を書かされた。その呪いのセリフは下記。

「カラワジ・イキツ・キマト・ワヒオサ・ハノクキヨウ・ミツオ・レシモオイ……呪われよ!」
「カチク・ツテバン・ダクリノノロイ・オウケミクニク・ルクシミ・クタルバ……呪われよ!」(本書342頁より孫引き)

著者は「あえて解読は試みないでおく」(本書343頁)と書いているが、解読は容易である。下記のように読み解ける。

梶原一騎真樹日佐夫は脅迫の罪を思い知れ……呪われよ!」
「近く天罰呪いの下りを受け醜く苦しみくたばる……呪われよ!」

なるほど、これなら梶原の側近に簡単に解読できてしまうわけだ。冒頭の「カラワジ」はかなりわかり易いし、「呪い」など語順もそのままだ。つのだじろうもずいぶん大胆だなあと感心したが、梶原と真樹の軟禁行為はさすがにこの兄弟ならではの凶暴さだ。

この一件を含む、人生の頂点に立った後の梶原の転落ぶりはすさまじいもので、まあこんな人生もあるんだなあと思うものの、斎藤貴男のように梶原一騎に入れ込む気持ちにはなれない。ただ、それでも斎藤貴男の書く梶原一騎像は文句なく面白いのである。好き嫌いで言えば梶原一騎なんか大嫌いであるにもかかわらず。

そういえば、以前にも書いたことがあるかもしれないが、梶原一騎の訃報を受けて、職場の雑談で「梶原一騎が死んだ」と言ったら、3歳年下の女性社員(熱心な読売ファンだった)に「ずいぶんうれしそうですね」と言われた。彼女はそのあと「悪人だから…」とも言ったが、晩年の梶原は悪評紛々だったし、私は梶原の死を悼む気など全く起きなかった。今でも梶原の早世が惜しかったとは思わない。

だが、悪名は無名に勝るというべきか、大掃除で忙しかるべき時間を割かせてアンチにこんな駄文を書かせるほどのパワーを持った人間だったことだけは認めざるを得ない。

来年、2017年1月21日で梶原一騎の没後30年になる。早いものだ。

*1:今では漫画をほとんど読まなくなり、唯一単行本を買って読んでいた浦沢直樹の『BILLY BAT』が今年夏に全20巻で完結したことも、つい先日本屋の漫画売り場で第20巻を見つけた(もちろん買って読んだ)時に初めて気がついたくらいだ。浦沢と長崎尚志のコンビによるこの作品は、前作の『PLUTO』のように正面切って明かされてはいないが、手塚の『火の鳥』への明らかなオマージュである。晩年のケヴィン・ヤマガタなど『火の鳥鳳凰編に出てくる我王そのものだ。

*2:本書で「スポコン」とすべきところが一箇所誤って「スコポン」になっている(59頁)のに笑ってしまった。

*3:蛇足だが、つのだじろうの『恐怖新聞』は、石川淳の短編小説「鷹」を下敷きにしたんじゃなかろうかと思ったことがある。昨年だったかに「鷹」を読んだ時そう思ったのだが、これを指摘した例はネット検索ではみつからなかった。