kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

元ヤクルト・岡林洋一がテレビ東京に出ていたのか

年末に入ってアクセス数が激減するはずの今日12月29日になって、夜8時台にアクセス数が跳ね上がっていたので調べてみたら、6年前に書いたプロ野球の元ヤクルト投手・岡林洋一に関する記事が多く参照されていた。


上記は、ちょうど私が蛇蝎のように嫌っていた元読売「V9戦士」の高田繁がヤクルトの監督をクビになったこともあってヤクルトファンに復帰しようとしていた頃に書いた記事。なぜ今頃参照されるのか、まさか不幸があったんじゃなかろうなと思って検索語「岡林洋一」でググると、幸いにも不幸ではなく、岡林のテレビ出演(テレビ東京)を報じるスポーツ報知(敵方のメディアではある)の記事が引っかかった。

http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161228-OHT1T50158.html

元ヤクルト岡林洋一氏、魂のピッチングの原点はパラグアイでの友情
2016年12月29日6時0分 スポーツ報知

 ヤクルトで投手として活躍(現スカウト)した岡林洋一氏(48)が、少年時代を過ごしたパラグアイの野球チームでバッテリーを組んだ日系人と34年ぶりに再会したことが分かった。29日にテレビ東京系で放送する「世界!ニッポン行きたい人応援団 3時間スペシャル!」(後5時55分)で、その模様が紹介される

 岡林氏は中学までパラグアイ日系人移住地であるイグアス居住区で生まれ育ち、その後来日。ヤクルト入団後は92年の日本シリーズで西武相手に3試合で完投、合計30イニング430球に及ぶ魂のこもった投球を披露するなど、00年に引退するまでヤクルト一筋で活躍した。番組では「ニッポンに行きたくてたまらないという外国人を探し出して熱い思いをかなえてあげる」のテーマに沿って、岡林氏とバッテリーを組んでいたパラグアイ在住の49歳の日系人男性をピックアップ。「子供の頃、バッテリーを組んでいた岡林投手に会いたい」の夢をかなえるため、男性は初来日した。

 岡林氏は、中学時代に男性と3年間バッテリーを組んでおり、チームは3年連続でパラグアイの全国大会で優勝するなど最強を誇った。しかし中学最後の3連覇がかかる試合、岡林氏は家族の関係で日本に向かわなければならず、引き留められたが帰国。決勝のマウンドに上がることはできなかったという。

 日本中を旅して初めての雪や富士山を体験した男性は、高知市営球場で同県内のスカウトを担当する岡林氏と再会。「生まれた頃は家の裏は森林で本当に何もなかった」「家に着いたら、即サッカーをしていた」などと、少年時代のエピソードを披露。がっちり握手すると、中学最後の試合で果たせなかったキャッチボールで34年を経ても変わらない友情に感謝した。

 スタジオで見ていた、50年来のヤクルトファンである三宅裕司(65)は「知らなかった。思わず身を乗り出して見ちゃったよ」と感動。サバンナの高橋茂雄(40)も「だから岡林は、あんな魂のこもったピッチングをするんだ」と感激した様子で、ナレーションをしていた増田明美(52)も思わず涙を流していた。


増田明美が涙を流していたというのは、いつものオーバーアクションだったんだろうなと思うが、そんな番組をやってたんだったら、斎藤貴男が書いた梶原一騎伝の記事なんか書かずに見れば良かった。だが後の祭り。まあ仕方がない。